七節 「別離」

Ep.7‐1 そして少女は

「不思議でたまらない、という顔をしているね。そうだな、私に一矢報いたのに敬意を表して種明かしでもしようか」

 霧崎が何か言っている。胸が苦しくて、痛くて。何故か不思議と聴覚だけが研ぎ澄まされていた。

「私の権能イノセンスは『愛はすべてを超えてスタンドバイミー』と言ってね。簡単に言うと「いつ何時も愛する人の傍に居れる」という能力なんだ。何があっても、どんなことが起こっても。そう、

 何だ、それ。意味が解らない。そんなの勝てるわけないじゃないか。

「きっとこの能力は私の真なる願いに起因するのだろうな。私はずっと誰かに私を見てもらいたかったらしい。それこそ、その誰かを喪えば自身も消えて構わない程には」

 霧崎の話を聞いていて、気付いた。この権能の本当の恐ろしさに。霧崎道流の、本当の歪みに。

「その最悪な表情を見る限り、気付いたようだね。そう、この能力は麻里亜さん、君を媒介にして掛けられたもの。。つまり、君が死ぬと効力を失うんだ」

 そう、つまり、そういうことなんだろう。

「そう、

 最悪だ。最低最悪に悪趣味な能力だ。霧崎道流の歪みは、ここまで達していたのか。

「この能力を得たときから、私の未来は二つに決まった。私以外の誰かに君を殺され、私も死ぬか。。私は後者を選んだ。選ぶほか無かった。だって私以外の人間に君を殺されるなんて我慢できなかったからね」

 甘かった。これほどの覚悟を以て戦いに臨んでいた相手に敵う筈が無かった。

「さあ麻里亜さん、私と共に死んでくれ」

 霧崎が救いを求めるように手を差し伸べてきた。嫌だ。こんな歪な人間の傍で死ぬのだけは嫌だ。

「そんなことはさせない。これ以上お前の好き勝手にはさせない」

 ネヴィロスは敵意を丸出しに、私と霧崎の間に立ちふさがった。そしてまた、私をあの感覚が襲う。今日だけで四回目の転移。きっとこんな体験を出来る人間は、世界に二人といないに違いない――。


       ◆                 


 自室の天井は、いつもと違って色を失くして見えた。

「麻里亜、すまなかった。僕の油断だ」

 声が聞こえる。

「僕が君を巻き込まなければ」

 ううん、あなたのせいじゃない。

「許してくれ」

 最初から、あなたは何も悪い事なんかしてない。だって誘いに乗ったのは私なのだから。戦うのを決めたのは私なのだから。。だから、こうして簡単に命を落とそうとしている。第一、現実の世界に主人公なんていない。主人公じぶんに都合の良い物語なんて存在しない……。その時、かつん、と音を立ててまた指輪が手から転がり落ちた。ああ。霧崎の家でこの指輪を落としたのがそもそもの発端だった。いや、霧崎の誘いに乗らなければ? 夕方にデパートへ出掛けなければ? もっとさかのぼって、悪魔の語る魅力的な話に耳を貸さなければ? 私は何故、こんなことを考えているのだろう。もっと他に考えるべきことがあるんじゃないだろうか? 変な意地を張らずに親友と仲直りしておけばよかったという悔しさとか、後一日長く生きられたら好きな人とデート出来たのにという悲しさとか、折角一緒に戦おうと言ってくれたのに、何も出来ずにこうして死んでいく惨めさとか。

「麻里亜、死ぬな、死なないでくれ」

 死を目前にしてやっと分かった。私は、そんなことを、そんな普通の人間なら考えるべきことを考えられない、思うべきところを思えない人間なんだと。私には過去への後悔も未来への渇望も在り得ない。私にはただ、現実いまへの乾いた関心があるだけ。過去にも未来にも一切の期待を持たない徹底した現実主義リアリズム。それが私の本質だった。だから、こんな運命げんじつでも受け入れられてしまえる。こんな最期でも納得してしまえる。そんな私だから、叶えるべき願いなんて最初から無かった。そう、私には。


       ◆                


「麻里亜! 最後に願いを言うんだ! 何だって叶えてやるから! 傷を治してくれでも、一日時間を巻き戻してくれでも、何でもいいから!」

 彼の声が遠く聞こえる。初めて会った時、想定していないことは実現できないって言ったのは彼自身なのに。そんなことも忘れるほど切羽詰まってるなんて。私は可笑しくて笑った。


       ◇               


「麻里亜」

 意識が溶けていく中、彼にぎゅっと抱きしめられて、名前を呼ばれた気がした。だからせめて、何か返さないと。何か。私は少しも悩まずに、まるで初めから最期にはそう言うことが演劇の科白のごとく決まっていたかのように、声を振り絞って言った。

 そう言って、ゆっくりと目を閉じて。私はそっと私の世界を終えた。

 

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