Ep.6‐2 運命の夜Ⅴ

「あの、ネヴィロスさん」

「さんは抜きで良いよ。それとその敬語調もね。これから共に戦うんだ。他人行儀では都合も悪い」

「じゃあ、ネヴィロス。あなたの能力を使って、この場を切り抜けられないかな」

「空間転移は便利なように見えて実はとても能力の燃費が悪いんだ。連発は出来ないし、一晩にせいぜい四回、頑張って五回しか使えない。その上転移できるのは自分自身と自分と契約した者に限る。せいぜい数度の逃亡にしか使えない能力だよ。そしてアスタロトの能力とは相性が最悪だ。どうする麻里亜? 僕たちのっけから大ピンチだよ?」

 私は少し頭を巡らした後、

「一つ質問していい? あなたの能力、ひょっとして転移する対象が触れたものに対しても能力が連動するんじゃない?」

「そうだけど……よくわかったね」

「ほら、これ」

 私は手に握っていた壜をそっと彼に差し出した。

「ああ、それは」

 それは霧崎の地下室に置いてあった作品の一つだった。行き場を失くした少女の眼球は壜の中で灰色の瞳を曇らせていた。さっき地下室で転移する直前、咄嗟に手を触れたらしい。私の手に触れたことで、彼女の眼は薄暗い地下室から脱することが出来たのだ。

「待ってて、必ず仇は取るから」

 私は壜の中の色を失くした瞳にそう言い、霧崎道流を打倒することこそが、私がゲームの参加者の一人に選ばれた意義だという実感を抱いた。

「ちょっとした秘策があるの。今から私が言う場所に転移してくれないかな」

「秘策? 相手は手練れの殺人鬼だよ。君、ひょっとして何かの武道の有段者だったりするのかい?」

「いいえ、全然。体育は二だよ」

そう可笑しそうに言ってから、私は彼に伝えた。霧崎道流を打倒するための、起死回生の作戦プランを。


       ◇                 


 朱鷺山ときやまビルは住宅街の外れに城のように聳える、地方都市の再開発に取り残された遺物だ。複合商業施設との合体を謳った大規模工事は責任者一家の無理心中により頓挫とんざし、以後ずっと取り壊されることなく今に至る。相次ぐ飛び降り自殺や不審死のせいで、私が幼い頃から立ち入りは禁止されていた。夜な夜な現れる責任者一家の娘の亡霊が、人々を呪い殺すなんて怪談にまで発展していたほどだ。

 だから、悪魔の戦いにはこれ以上無いほど相応しい舞台設定だった。そんなことをネヴィロスに話すと、

「君やけに呑気だねえ、大丈夫? 無茶な作戦を立案したかと思えば、今度はお化け屋敷へ転移してくれだなんて、気でも触れたかと思ったよ」

 私たちがいるのは朱鷺山ビルの屋上の展望台だ。

「はい、大丈夫どころか気合十分ですよ。ここなら人目もないし少々派手なことになっても大丈夫です」

 吹きっ晒しの屋上に、ビル風が容赦なく轟々ごうごうと叩きつけられる。

「解ってる? チャンスは一度きり。しかも失敗したら死ぬんだよ? よくそんなにゆったりと構えてられるなあ。僕の方が緊張してきちゃったよ」

「私、あまり死への抵抗がないんです。だってそれは、私にとってずっと身近なものだったから」

 家族の死。いや、その前からずっと、死は私にとってごく当たり前のことだった。だから、いざ自分が生死の危機に至っても、こんなに落ち着いていられる。

「凄いな、君は。僕は悪魔になってさえ死の恐怖は拭えないというのに……と、無駄口を叩いている場合じゃない。来たよ」

 カツン、カツンと螺旋階段を上ってくる音。死が、音を立ててやってきた。

「やあ、探したよ。手間を取らせてくれたね」

 霧崎道流は笑って言った。

「先輩、あなたは何故人を殺すんですか」

「なんでって……それは愛しいからだよ。愛しいからこそ殺すんだ。誰の手にも渡したくない、渡してはならないから」

 私は霧崎への距離を詰めながら、さらに深くへと踏み入った。

「いいえ、それは違います。第一、先輩の行動は大きな矛盾を孕んでいます。もう一度訊きます。殺すのは何故ですか? 生きたまま愛し続けられれば、その方が良いじゃないですか」

 私はさらに霧崎へと歩を詰める。大丈夫、この人はまだ、私の言葉に耳を傾けている。

「いや、私の愛を理解してくれる相手なんて何処にもいなかった。だって私は」

 もう少し。もう少しだ。私は息を吸い込んで言った。 

「同性愛者だから、ですか? 先輩、あなた自身が無理と決めつけてしまっているのではないですか? あなたは他人を理解しようとしましたか? たった少しでも、人のことを考えたことがありますか?」

「麻里亜さん、禅問答染みた会話はもういい。私はもう、こうするしかないんだから。だって今更、まともには戻れないんだから」

 私はなるべく優しい声音で、語り掛けるように彼女に告げる。

「先輩、あなたは私のことを愛していると言いましたね。私はいいですよ。私はそんな先輩を受け入れられます。だから私を殺す必要なんて何処にもない」

「命乞いなら聞かないよ」

 霧崎道流は明らかに動揺していた。死を前にしても落ち着き払い、それどころか自分の内部へと侵攻してくる私の態度に。

「そう思いますか。でも私は死にたくありません。私は先輩と一緒に戦いたい。先輩と一緒に歩みたい」

 よくもまあ嘘八百を並べられたものだと自分で内心苦笑しながら、私は最後の一押しを告げた。

「だって、私も先輩が好きだから」

「麻里亜さん」

 霧崎の表情から殺意が消えたのを見計らって、そして、ナイフの握られた霧崎の右手をぎゅっと掴んだ。

「今です!」

 瞬間、また空間から自身の存在が剥がされていくような感覚が私を襲う。ネヴィロスによる空間転移。そして、転移先は――朱鷺山ビル、その地上四十二階の高さの空中。私と霧崎は支えも何もない中空へと一気にその身を投げ出される。

「な――」

 霧崎は声にもならない叫びを上げようとしたが、それももう掻き消えた。

「麻里亜!」

 右も左も、上も下も判らない中、その声のする方へと千切れるほど両手を伸ばした。予め用意しておいた命綱。屋上の望遠鏡へ括り付けた、その地獄に垂らされた蜘蛛くもの糸を。

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