六節 「運命(後)」

Ep.6‐1 運命の夜Ⅳ

       

 私には忘れられない光景がある。忘れたくても忘れられない、目に焼き付いて離れない情景がある。それは三年前、両親が強盗に殺されたすぐ後のこと。

 強盗は姉に馬乗りになり、彼女の首をぐいぐいと絞めあげていた。下卑た声を上げながら姉の肢体を弄び、彼女の苦悶までも愉しんでいた。私はひとりクローゼットの中から様子を覗っていた。不思議と恐怖は無かった。

 姉の透流は、綺麗な人だった。性や死といった穢れと縁遠い、そういったものを感じさせない人だった。それがいまや、彼女は見知らぬ男に穢され、なぶられ、殺されようとしている。その事実は、私を堪らなく背徳的な気分に落とし込んだ。

 ふと、姉と目が合った。クローゼットに私を隠れさせたのは姉だったから、最後に私に助けを求めようとしたのかもしれない。けれど姉は何も言わずに、私に向かって少しだけ微笑んで、そのままがっくりと首を垂れた。

 その後のことはよく覚えていない。ただ一つ分かったのは、死は救いであること。姉がもしあのまま殺されずに生かされていたら、残りの生涯の殆どを強盗に両親を殺され、自身も強姦されたという忌まわしい記憶と共に生きることになっていただろう。姉の最期の表情は、そういったしがらみからの解放を感じ取ったことに因るのかもしれないと私は気付いた。

 その時から、私には願いが出来た。私はもう生きるのは嫌だ。かといって自殺する勇気もない。だから。でも姉みたいに見も知らぬ人間にあっさりと手を下されるのは御免だ。もっと感情を込めて欲しい。もっと愛情を込めて殺してほしい。

 けれど不幸なことに私の周りには私を殺してくれそうな人間などいなかった。私を怨むどころか、私に親しむ人間しかいなかった。だから私は時々彼女達を殺した。私は解らなくなった。自分は人に殺されたいのか、それとも……。そんなことに悩んでいる時、あの子は現れた。

 彼女は暗い目つきをしていた。誰に対してでも落ち着き払って、さしたる興味もなさそうに振る舞っていた。そう、この私にさえ。それどころか彼女は私に対して反感を覚えているようだった。だから、彼女なら私を殺してくれるかもしれない。

 三神麻里亜。あの子を殺しあの子に殺されることが、私のたった一つの揺るぎのない願い。


       ◇              


 道流の刃は虚空こくうを貫いていた。

「これは……どういうことだ」

 呆然と立ちすくむ道流に、アスタロトは余裕綽々よゆうしゃくしゃくで言った。

「なに、ただの空間転移ですな。あの悪魔、相変わらず逃げ足だけは一流です」

「予知で何とかできないのか」

 道流は腹立たし気に言った。

「出来ませんね、私の予知はあくまで「今見えているもの」に対してしか効かないまがい物のでございますから。契約者様が先ほどのお嬢さんを追い続けない限り、未来を視ることは叶いません」

 人を小ばかにしたような、へりくだった態度がますます道流を苛つかせる。

「く、彼女を逃がす訳には、もし、彼女が誰か他の奴に殺されたら……」

「落ち着いて下さいませ、契約者様。そのための能力ではありませんか」

 道流ははっとなって、少し呻吟しんぎんしたのち、

「ああ、そうだな。もともと私の権能はためのものだからな」

「そう、それでよいのです。我が契約者に焦燥など似つかわしくない。さあ、狩りを始めましょうか」

「ああ。そうするとしよう」

 そして彼女は目を閉じ、馴染んだ言葉を口にする。

「権能――『愛はすべてを超えてスタンドバイミー』」


       ◇              


 繁華街を走る。

「急いで! なるべく人込みに紛れるんだ」

 私は必死に走りながら彼の話を聞いた。

「あの人の目は、一度見た対象の未来を映す。いつ、どこで、何をしているかがあちらに筒抜けになる。最も、それは確定した未来じゃない。アスタロトとその契約者が未来に視ることになっている光景だ。あくまであちらが僕たちを追い続けるという選択をしない限り、未来は更新されない」

「話は大体わかりました。要するに、逃げ続けてあちらに映る未来を更新し続けないと捕まるってことですよね」

 私は危機的な状況ながら、どこか不思議な昂揚感こうようかんを覚えていた。

「ああ。僕の能力……空間転移なら少しは予知を乱して未来に干渉出来るけど、それも焼け石に水さ。一度あの人に視られてしまった以上、奴らは地の果てまで追ってくるよ」

「あちらが追跡に疲れ果てて諦めるのを待つか、返り討ちにする他ないってことですね。ところで私はいつ権能を使えるようになるのでしょうか?」

「まだ使える感触が無いのかい? 願いを自覚したとき、自然に使えるようになるらしいけど」

「私には願いがありませんから」

「最初にも言ったけど、そんな人間はまず悪魔が見えないから契約できてないよ」

 彼は苦笑して言った。

「改めてよろしく、麻里亜。君と僕の戦いは今宵この場所から始まるんだ。気を引き締めていくよ」

「はい、不束者ですがよろしくお願いします」

緊張しながらそう言って、気付いた。私の権能が使えないのなら、この悪魔の能力を使って場を切り抜ける他ないと。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る