Ep.5‐3 運命の夜Ⅲ

「麻里亜さん、女性はいつくらいの年頃が一番美しいと思う?」

 私は押し黙った。質問の意味が解らない。先輩はそんな私を無視して続ける。

「それはね、子供から大人への過渡期かときの十代後半、もっと言うなら十七から十九の間くらいだ。昔の文豪もそう言っていた」

 私は耳を塞ぎたかった。それなのに手は震えて動かず、聴覚はよりぎ澄まされていた。

「まだけがれを知らない、純真無垢な身体。早く大人になりたいと思う一方で、子供のままでいたいとも願う矛盾はらんに満ちた繊細な精神。未来への可能性と過去への不可侵性に満ちた、最も美しく最も儚い年頃で永久に眠り続ける、それがこの子達なんだ」

 霧崎は壜を手で持ち、恍惚こうこつとした表情で言った。

「私はね、彼女たちを。もしこれ以上生きていたら、彼女たちの肉体は穢れ、精神は濁ってしまう。それは余りに悲しい。だから私は彼女たちをいかした。変化しない時の中で、彼女たちは最も尊い時期のまま、永遠に留まり続ける。私はその在り方が、愛おしくて堪らない」

 ああ、解かっていた。この人は、狂っている。

「私も、こうなるのですか」

「ああ。麻里亜さん、君は今が一番美しい。だから、

「ふざけないでください、あなたに私の何が解るのですか」

 私は精一杯反駁する。そうしなければ、この人の世界かちかんに囚われてしまうから。

「ああ、解かるとも。なぜなら私は、君を心から愛しているから」

「え?」

 私は呆然と聞いていた。

「私は同性愛者レズなんだ」

 そう言って、霧崎道流は私の首元に手を這わせた。その手にはしっかりとナイフが握られていた。

「そうだな、君はとても愛らしい顔をしているし、首から上は残そうか」

 私は何もできず、ただぶるぶると震えていた。

「髪もいいな。黒くたおやかな長い髪。女の子の理想形だ」

 霧崎道流は私の髪を指で梳きながら言った。

「胸は、うん、形も大きさも微妙だな」

 私はかっと赤くなった。

「出来れば胸部は切り落としておいてください、契約者様。女子はその部位が一番美味ですので」

 そう、霧崎の悪魔が言った。そして私は気付く。

「分かったよ、アスタロト。首から上だけでいい」

 私が唯一、霧崎に対抗できる手段。私と霧崎の、たった一つの共通点。

「それじゃあ麻里亜さん、永遠になる心の準備は良いかな?」

 霧崎が私のえりを掴みナイフを振りかざす。

 この状況を打破できる、最後の突破口。

 だから私は、心の中で目いっぱいに叫ぶ。

(助けて、ネヴィロス!!)

 瞬間、空間が捩じれた。そして私は彼の腕の中に抱き留められる。

「全く、もうちょっと早く呼んで欲しかったね」

 憎まれ口は相変わらず。でも今はただ、それすらも嬉しくて。

「ありがとう、ネヴィロスさん。私、覚悟が決まりました。戦います。私と契約してください」

 彼の手が伸ばされる。その手の中には輝ける銀の魔導書グリモア。私はそれにゆっくりと手を触れ、彼との契約を完遂した。


       ◇

             

「でも、どうしてこんなに早く来てくれたのですか?」

 私は尋ねる。いくらなんでも彼がここまで早く駆けつけてくれるとはあまりに想定外だった。一体どんなからくりなのだろうか。                

「いや、まあ。それは僕の悪魔の能力に関係するんだけど、今はそれより」

 ネヴィロスは目の前の敵を睨め付けた。

「おやおや、まさか貴女も悪魔憑きだったとは、運命とは解らないものですねえ」

 霧崎の悪魔がにやにやと笑って言った。先ほどまで貪っていた少女の肢体をゴミのように投げ捨て、彼は霧崎道流の横に並んだ。

「改めて自己紹介の方をさせて頂きたく……私の名はアスタロト。階級は座天使スロウンズ。三大支配悪魔が一角にございます」

 悪魔は恭しく最敬礼した。人間よりの容姿のネヴィロスと比較すると外見は豚のように醜悪しゅうあくで、私は漂う臭気に思わず呼吸を止めた。座天使ということは三番目……主天使ドミニオンズのネヴィロスより強いのか。

「まさか初めからあなたと当たるとは思いませんでしたよ、

 ネヴィロスは苦々しげに言った。どうやら二人は面識があるらしい。

「何でもかんでも頭の中だけで完結してしまうのはあなたの悪い癖ですね、ネヴィロス。予想を超えたことが起こるから世界というのは面白いのですよ。大方また小癪こしゃくな戦略でも練っていたのでしょう?」

当たってる。

「小癪、とかじゃなくて奸智かんちを巡らしたとかにしてくれませんかね。それよりどうですか先輩、顔見知りの好みで、ここはお互いに引きませんか」

 惚けた口調とは裏腹に、ネヴィロスの表情からは焦りが見て取れた。私は固唾を呑んで二体の悪魔の交渉の次第を見守る。

「……二流、ですね。交渉の何たるかをまるで分っていない。相手に何の利点も提示せずに助けを請おうとは愚の骨頂。どうやら再度教育が必要そうですね……それに」

 アスタロトはにやりと笑った。

「非生産的な余計な問答はいいよ。私は麻里亜さんをいかしたい。地下室を見せてしまった以上どのみちもう……後戻りはできないんだから」

 霧崎道流には優等生としての仮面も、先ほど私に見せた繊細な表情も最早消え失せ、ただ残ったのは七人の少女を殺めた殺人鬼のそれだった。

「このように私の契約者はる気が満ち溢れていまして……まあそれはそれでいい事なのですがね」

 霧崎道流はナイフを真中に構え、今にも私たちに飛び掛からんと機を窺っていた。

「じゃあ、始めようか」

 その言葉も言い終わらぬうちに、霧崎の腕が私に向かって真っすぐにはしる。

永遠にも等しい一瞬の中で、私は確かにその声を聞いた。

「麻里亜、飛ぶよ!」

 刹那、私は自分の身体が空高くへ引っ張り上げられるような浮遊感を感じた。見えない力に、ぐいぐいと身体を引き寄せられる感覚。私の意識はほんの数瞬掻き消え、気付けば何処とも知れぬ繁華街はんかがいの只中へと両足を付けていた。


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