四節 「予兆」

Ep.4‐1 路地裏の戦い(前編)

 麻里亜は知る由もなかったが、彼女が決意を固めようとしていたのと時を同じくして、ゲームの開戦の火蓋は早くも切られようとしていたのだった。以下は深夜の路地裏で人知れず繰り広げられた、このゲームの開幕を彩るに相応しい一戦、その模様である。


       ◇


 如月葉月きさらぎはづきは平和主義者だった。だがそんな彼女でも、時として暴力が正当化され得ること位は理解していた。たとえばそう、誰もいない深夜の路地裏でナイフを手にした殺人鬼と相対した時とか。しかも相手が自分と同じく悪魔を連れていた時とか。

 葉月は息を深く吸い込んで、相手に問うた。

「一応聞いてみたいのだけど……見逃してくれたりとかしないわよね? まだゲームは始まっていないのよ」

「姿を見られた。君を殺す理由はそれだけで十分だ」

 殺人鬼はナイフを構え、じりじりと葉月に近付く。顔の仮面からは表情はうかがい知れないが、口許はわずかに笑っているように葉月には見えた。

「悪魔さんも止めないの?」

 葉月は殺人鬼の後ろに悠然とたたずむ悪魔に話しかけた。

「はい、止めません。我が主人は少しばかり血の気が多いようでしてね。ご婦人にはお気の毒ですが、ここで殺されてください」

「余計なことを口走るな、アスタロト。今は集中したい」

「これは失礼いたしました」

 恭しく頭を下げる悪魔。

「だってさ、ベリアル。なんか戦うしかないっぽいよ」

 葉月は彼女の悪魔、ベリアルに振り向いて言った。

「俺は問題ないぜ。前哨戦ぜんしょうせんには丁度いい。葉月、お前の力を見せてやれ」

「分かったわ、では始めましょう」

 葉月はバックから徐に長い棒状のものを取り出した。一振りの竹刀である。

 殺人鬼はナイフを葉月へ向けて構え、いつでも距離を縮められるよう機を待っていた。

 暫しの膠着こうちゃく。月光が冷たく路上を照らし始めたとき、葉月は仕掛けた。

「来ないなら、こっちから行くわよ」

 竹刀を構える。そして唱える。彼女に与えられた権能ちから、その名を。

権能イノセンス――――『月下美刃ムーンイズマイン』」

 瞬間、地が爆ぜた。

 葉月は殺人鬼との距離を一瞬でゼロにした。そして竹刀を全力でフルスイングする。すれすれで躱す殺人鬼。ビルの煉瓦れんが飴細工あめざいくのようにひん曲がった。

「これを避けるなんて、なかなかやるわね。そっちも少しは憶えがあるのかな」

 葉月は手を休めずに猛攻を続ける。彼女の身体は疲労を知ることなく、重さも感じていないように竹刀を振り抜く。それと共に後ろで束ねた髪が鞭のように躍動やくどうする。彼女の双眸そうぼうには恐れや焦燥など微塵も宿らなかった。

 如月葉月の権能、『月下美刃ムーンイズマイン』は、

「君、本当に女の子かい」

 ただ単に、

「ええ、見れば解るでしょ」

 性別、資質といった個人の限界を超えて、

「そっちこそ可愛い声をしているわね、殺人鬼さん」

 

「それはどうも」

 単純とあなどるなかれ。如月葉月の『月下美刃』の真骨頂しんこっちょうは単なる肉体強化に留まらない。葉月は元々身体能力に秀でている方であるが、それにもはある。例えば車に轢かれれば重傷を負うし、百キロ以上の道を全力疾走で駆けることは叶わない。しかし『月下美刃』発動中の葉月は違う。例えそれがどんなに現実的に不可能であろうと、物理的に不合理であろうと、葉月の身体はそれを実現する。葉月が「出来る」、「成し遂げたい」とさえ認識していれば、トラックに体当たりされようと、マシンガンで蜂の巣にされようと、狂った殺人鬼に襲われようと、それは彼女にとって「何もない」と同義なのだ。RPGに喩えるならば、如月葉月の権能は自らの体力、筋力、耐久、俊敏を上限999まで即発的に上げられる能力、いや、全力をコントロールすることは今の彼女には能わないから、それらのステータスを自由自在に可変できる能力とでも言えばいいか。

 しかし、それだけの能力を持ってなお、葉月は攻めきれないでいた。

「なんで当たらないのよ」

 葉月が毒づいた。彼女の言う通り、殺人鬼は葉月の剣筋を全て紙一重で躱していた。ギリギリまで引き付けてから避けている。最早神業としか思えない身のこなしで。剣戟けんげきは止んだ。

「予知、か。反則だろそんなの」

 ベリアルが吐き捨てるように言った。

「ご名答。私の悪魔としての能力は未来予知です」

 アスタロトが得意げに言った。

 予知。。数秒、数分後の未来の情報を予め身体に付与インストールする異能。速攻アタッカー型の葉月にはこの上なく不利な代物。どんなに力強い打撃でも、どんなに早い特攻でも、その軌道を全て事前に知ってさえいれば回避するのは不可能ではない。容易たやすくはないが、不可能ではない。それを可能にしているのは殺人鬼の凄まじいほどの瞬発力、集中力である。そして殺人鬼は常に葉月の攻撃の間隙かんげきを見切り、ナイフで応戦しつつ隙を狙っていた。葉月の喉笛を断ち切らんとする、その乾坤一擲けんこんいってきの一閃を。攻撃と防御。突撃と迎撃。両者の実力はここに拮抗きっこうした。

「原則として悪魔が戦いに加わるのは禁止。戦うのはあくまで悪魔憑きプレイヤー、というのがこの戦いのルールです……しかし、自分の知り得た情報を契約者様に伝えるのはなんら禁止されてはいない。私は私の知り得た未来の情報を感覚共有で契約者様にお伝えしているだけです」

「屁理屈だ、反則だ」

 盾突くベリアルにアスタロトは冷たく返した。

「持たないものの言い分ですね、それは。嫉妬は最も醜い感情の一つですよ。二級悪魔の分際で座天使スロウンズの君主たるこの私に挑んだ愚かさ、その身をもって知りなさい」

「葉月! まだいけるか」

「うん、大丈夫」

 葉月は竹刀をゆっくりと下ろした。

「何、降参でもするつもり?」

 殺人鬼は勝ち誇るように言った。

 葉月は黙って竹刀を胸の前にかざす。すると、路地裏に差していた月明りが葉月の手元に収束し始めた。

「あたしの最速で当たらないのなら」

 いつしか彼女の腕には光を纏う一振りの剣が握られていた。月光の剣である。 

「光の速さならどう?」


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