Ep.4‐2 路地裏の戦い(後編)


 月の光をたたえた剣は煌々こうこうと輝き、煤色すすいろの路地を白銀しろがねに照らしていた。まるで彼女の手元から一つの小宇宙でも誕生するかの如く、刀身の周りに光陰が渦巻いていた。

 自らの契約者に予知情報を伝えようとしてアスタロトは戦慄せんりつする。

(これは……逃げ場が、どこにも、見当たらない?)

「行くわよ」

 葉月がそう呟くと同時に、彼女の周囲の空気がどくん、と静かに胎動たいどうする。そして次の瞬間、両手から空間を貫くように目映い光が迸る。その軌跡は綺羅星きらぼしの如く路地裏を包み込んだ。いくら「視えて」いても避けること能わぬ一閃。どこからどうみても剣に束ねた光を一気に放出する眼くらましなのだが、彼女はこれをまごうことなき「剣技」だと認識していた。

 突如奪われた視界に戸惑い、立ちすくむ殺人鬼。そこに葉月は一気に突進し、止めの一撃を叩き込む。バッグを後方に思い切り振りかざし、遠心力のままに頭を殴打する。殺人鬼は背後の壁に激突し、動かなくなった。

「ふう、手加減したつもりだったけど、やっちゃったかな」

 葉月は座りながら脚をさすって言った。

「いや、まだ死んでない。葉月、こいつはゲームと関係あるなしに危険だ、止めを刺せ」

 彼女は少し逡巡していたが、意を決したように、

「うん、わかった。そうだよね、仕方ないよね」

 ゆっくりと標的に近付いていった。

 二体の悪魔は何も言わずに事の次第を見守る。葉月は少し声のトーンを落として言った。

「あたしにも下にあんたと同じくらいの子がいるけどさ、だからこそあんたのやったことは見逃せない。本当はこんなことしたくないけどさ、誰かがやらなきゃいけないなら、しょうがないよね。……ごめん」

 贖罪しょくざいの言葉を口にした割りには、動作には全くの躊躇ためらいはない。

 葉月は竹刀を全力で殺人鬼の頭蓋へと振り下ろした。ごきん、と音がして、先ほどまで微かな呼吸音を見せていた口蓋こうがいからは何も聞こえなくなった。脳漿のうしょうが路地に飛び散り、汚物が路面に広がっていく。葉月は淡々とそれらを眺めていた。 

「よくやった葉月! これで後は十人だ。ゲーム開始前に仕留めるとは、やはりお前を選んで正解だったぜ」

ベリアルは彼女を讃えたが、葉月は冷ややかだった。

「別に、ただあたしは家族のためにどうしても負けるわけにはいかなかっただけ」


 そうして殺人鬼の物言わぬむくろから踵を返そうとして、目の前の路地の出口を誰かが塞いでいたことに気付いた。どこか浮世離れした雰囲気を湛えた、長身痩躯ちょうしんそうくの男である。

「やあ、面白いものを見させて貰ったよ、お嬢さん。これは愉快だ。まさかあの通り魔をこんな細腕の女性が打倒するとは、いやはや驚嘆ものだ」

「誰、あなた」

 この人物からどこか底知れぬものを感じ取って、葉月は敵意むき出しで聞いた。

「なに、ただの通りすがりだよ。ひとり夜の散歩と洒落込んでいたら、面白い対決が見られてとても満足だ」

 男は心底面白がっているようだった。

「散歩なんて嘘ですね。現在この街は通り魔騒ぎの影響で夜に出歩く人間はほとんどいません。そんな中で出歩いているのは怖いもの知らずの愚か者か、余程の物好きか、通り魔本人か……後はゲーム開始まで我慢出来ない悪魔憑きぐらいのものでしょ」

「これは参った。なかなか賢しいお嬢さんだ」

「ふざけないでね、おじさん。あなたも、

 葉月は冷たく言った。その右手はバックの中の竹刀に伸びていた。

「だとしたら戦うかい? よしておいた方がいいお嬢さん」

くつくつと笑って男は言った。その傍らには艶美えんびな笑みを浮かべた褐色の女悪魔が佇む。何処か退廃を感じさせるものの、目を見張るほどの美女である。

「君の権能は極めて強力だが、見たところ月の光に呼応して発動する能力のようだ」

 月はいつしか厚く垂れこめた雲にさえぎらられようとしていた。

 葉月は誰かが見ていることを考慮せず、切り札まで見せてしまった愚かさを恥じる。

「しかし僕の権能は戦闘向きではなくてね、出来ることなら戦いは避けたい」

 押し黙る二組。

「僕からの頼みは一つ。その死体を引き渡して欲しい。少し調べたいことがあってね。それ以上のことはしない」

「葉月、どうする」

 ベリアルは尋ねた。

「構わないわよ。じゃあ、あたしたちはこれで」

 葉月はそう言って立ち去った。この男は、ゲームにおいて最大の障害てきになりそうだ、そんな予感めいたものを感じながら。


       ◇


 一人残された男は死体に近寄り、ひしゃげた頭部からマスクをゆっくりと剥がした。

「やはり、そうだったか……。っ!?」

 瞬間、有り得ないことが起こった。死体の目がしっかりと彼を捉えていたのである。それどころか、見る見るうちに零れた脳漿や折れた骨が元通りの場所に収まっていく。

 男は絶句する。先ほどまで死体だったはずのモノは、ゆったりと上体を起こし、そうしてふところのナイフに手をやった。

「ま、待て」

 そんな必死の叫びもむなしく、ナイフは彼の胸にずぶりと突き刺さった。


       ◇


 男が死んでいることを確認すると、殺人鬼は夜霧よぎり揺らめく街へひとり消えていった。

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