Ep.2‐4 ミステリ論議の夜は更けて

 優雅なティータイムはその後三十分ほど続いた。

「さて、では僕たちも帰ります先生。今日は面白いものを魅せて頂きありがとうございました」

「なに、あのくらいで良ければいつでも用意がある、楽しみにしておいてくれたまえ」

 麻里亜はどこか不吉なものを感じていた。両親と兄が死ぬ直前にも感じたような、不安が鎌首をもたげて迫ってきているような切迫感。

「連城さん」

 麻里亜は彼の眼を見てゆっくりと続けた。

「本当に死なないでくださいね」

「おいおい、どうしたんだい麻里亜くん。この僕を誰だと思っている? 現代いまを生きる探偵、連城恭助だよ。そう簡単に死んでたまるものか」

 麻里亜は連城のおどけた様子を見てほっとする。先ほどまで彼女の心に立ち込めていた暗雲はもう晴れていた。


 ……姿


       ◇


 夜の街を二人で歩く。

 話す話題も無くなったのか言葉は少なく、住宅街は静寂せいじゃくだけが支配していた。

 不意に真琴が麻里亜に尋ねる。

「マリちゃんには、その、今付き合っている人とかはいないのかな」

 突然の質問に麻里亜は少し狼狽えたが、平静を装って答えた。

「いませんよ、そんなの。女子校で出会いもないし、人付き合いも苦手だし、私そんな可愛くないし」

 麻里亜は自嘲的に言った。物事を否定的に捉えがちなのは彼女の悪い癖だった。

「そうか。結構モテそうなのにね」

「全然そんなことないです」

 謙遜けんそんではなかった。

「真琴さんこそモテそうですよね。お医者さんの卵だし、言動はちょっとアレかもしれないけど、見た目はカッコいいし」

 麻里亜はうつむきながら言った。

「うーんまあ、そんなこともあるかな。高校の時は彼女いたし。今はいないけどね」

 真琴はおどけて言った。

「へえ、どんな感じだったのですか、真琴さんの恋愛は。やはりキラキラしていたのでしょうか」

 麻里亜は興味本位で聞いた。ちょっと彼を揶揄からかってみるつもりで。真琴は苦笑して、

「そんなに綺麗なモノじゃないよ。沢山嫌なことだってあるし、傷つくこともある。傍目から見れば綺麗な部分だけが強調されて見えるだけだよ。正直なところ、僕には楽しさよりも辛さや悲しさだけが記憶に残ってしまったし。それに懲りて今は活動休止中なのさ」

 暫しの静寂。一呼吸おいて真琴は続けた。

「恋愛なんてね、畢竟ひっきょうノイローゼの一種みたいなものさ。罹っている間は自分がどれだけ愚かな選択をしても気づかないし、気付けないからね。まあ愚かになるからこそ楽しいと言える訳だけど。と、まあ経験者からの感想はこんなものかな」

「へえ、何というか意外でした」

「こんな僕でも恋愛していたことが?」

「違いますよ。真琴さんが恋愛に対してちゃんと自分なりの考えを持っていたことです。調子のいい言動の裏にそんな深い考えがあっただなんて吃驚びっくりしました。結構ものを考えているなあって」

「それ、馬鹿にしてない?」

 不安そうに真琴はたずねた。

「していませんよ。感心しただけです。なんか今、もっと真琴さんの考えを知りたいな、って思いました」

「遠回しな告白みたいだね、それ」

「さあ、どうでしょうね」

 麻里亜はくすっと笑った。

 雰囲気を気まずくしてしまったかと麻里亜が押し黙っていると、

「マリちゃん。次の土曜日、二十八日って空いているかな」と真琴が言った。

「午前は授業です。午後は空いていますけど、急にどうしました?」

「じゃあデートしよう」

「随分唐突ですね、でもいいですよ。それでは私はここで」

 麻里亜はマンションへの三叉路さんさろを右に折れ、彼へ手を振った。

「まいったなあ、もう二度と恋愛はしないって決めていたのだけれど」

 青年は困ったような、嬉しいような苦笑を浮かべながら、その場を後にした。


       ◇             


 連城恭助れんじょうきょうすけは昔からかねがね、推理小説に出てくるような摩訶不思議な事件を自らの手腕すいりで解き明かしたいと思っていた。しかし、夢も希望も面白みもない現代社会はそうは簡単に問屋をおろさなかった。そもそも今日では、探偵の助けを必要とするような不可能犯罪は滅多に起こり得ない。密室とかアリバイとか入れ替わりとか、面倒な工作をこしらえている暇があるなら一キロでも遠くに逃げるか、本末転倒だが犯行の痕跡こんせきそのものを悟られないようにする方が何百倍も逮捕を困難にするだろう。紙の上で起こる事件と現実で起こる事件は全く別物だということに、彼はもっと早く気付くべきだったのだ。

 だが認められなかった。認めてはならなかった。現代において探偵という職業が成り立たないということを認めてしまえば、彼の人生は無意味で無価値で無感動なものになってしまうのだから。

 いつしか連城は、どこかの誰かが、自分が重い腰を上げるに値する事件を起こしてくれるのを切望し始めていた。そしてそんな自分の存在に気づいて慄然りつぜんとした。本来事件を解決して人々を平和に導く役割を担う筈の探偵が、事件が起きることを望むなんて不遜ふそん極まりない事だ。そう思いつつも彼はその願望を捨てきれなかった。

「少女の身体の一部を切り取る通り魔か……面白いじゃないか……そう思わないかい?」

 彼は不敵に笑い、彼なりの調査をすべく深夜の街に繰り出していく。

 その笑みは探偵のものというよりもむしろ、彼が敵対すべき犯罪者のそれだった。

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