三節 「契約」

Ep.3‐1 再び非現実

                  

 家に帰った彼女を待ち受けていたのは、昨日の夜に悪魔と名乗った青年だった。

「年頃の女の子の部屋に無断で上がり込むなんて感心できませんよ、悪魔さん」

 麻里亜は呆れるように言った。数時間前に連城の似非えせ生首を見てきた今、彼女はもう何を見ても動じない自信があった。

「僕を見た第一声がそれとは、君はきもが据わっているな。ごめんよ、他に夜風を凌げる場所が見当たらなくてね」

「私以外に契約できる人は見つけられましたか」

「お生憎。見つからなくてまた頼みに来てみたというところだよ」

 ネヴィロスはこともなげに言った。

「私と契約できないとあなたに何かペナルティが課されるのでしょうか」

「ペナルティね……寧ろ取り返しがつかないそれを負うのは君たち人間の方じゃないかな」

「どういうことです」

「三日後……七月二十九日までに僕が誰かと契約できなかった場合、この世界は滅亡する」

「はい?」

 意味が、解らなかった。いや、悪魔が自分の部屋に上がり込んで契約を持ち掛けてくる時点で意味不明なのだが。麻里亜にとって悪魔は見えるからまだ許容できたが、セカイという単語はあまりにスケールが大きすぎて捉えどころがない。第一、世界を見ることは敵わない。屁理屈へりくつを言うならば、今麻里亜が見ている四畳半の部屋こそが今の彼女の「世界」だった。

「一体どういうことなのですか、私にも解るようにきちんと説明してください」

 麻里亜は悪魔の話を訝しがりながらも、湧き上がる興味を抑えられなかった。続きが聞きたくて仕方がなかった。それが聞いてはいけない、聞いてしまったら後戻りが出来ない類のものだと判っていっても。

 ネヴィロスの双眸は麻里亜を射貫くように見つめ、そして語り始める。

「七月二十九日から、あるゲームが開催される。それは次の神を決める戦い。十二体の悪魔が、十二人の強い願いを持った人間を選出し契約することで、ゲームは始まる」

 麻里亜は固唾かたずをのんで聞いていた。

「悪魔と契約した人間は、悪魔に願いを何でも一つだけ叶えてもらう権利を与えられる。権利行使のタイミングは契約時に限らず、いつでも構わない。ただし前にも言った通り、万能の力ではない。例えば戦闘時に「命を救ってくれ」「この窮地から脱したい」などと願っても空振りに終わるだろうね。なぜなら本人が『助からない』と感じている以上、『助かる』未来の実現が不可能だから」

「ちょっと待って下さい。私は今、何故世界が滅亡するかを聞いているのですけれど」

「関係のない話ではないからね。君も納得済みでなければ契約してくれないだろうし」

「戦うっていうのは人が死ぬのですか? それは嫌です。人が傷つき傷つけられるのは嫌です」

「戦いは毎回熾烈を極める。誰も死なずに、殺さずに終わるなんてことはあり得ないよ。日常生活でもそうだろう? いくら平等や正義を説いたところで、格差や勝敗は存在する。普段は定義がしっかり明確化されていないそれらが、この戦いでは顕在化するだけだよ」

「詭弁ですね」

「最後まで話を聞いてくれよ。悪魔と契約した人間――悪魔憑きプレイヤーと呼ぶのだけれど――は、願いや人となりに応じて特殊能力を開花させる。それが権能イノセンス。この戦いを有利に進める絶対の力だ。悪魔の助けを借りつつ、自分の権能イノセンスを以て相手を打倒する。これがその戦いの基本になる」

 連城のような質の悪い悪戯か、そうでなければ誇大妄想としか思えなかった。いつまでこの話は続くのだろう。

「さて、漸く君の質問に答えよう。なぜ世界が滅びるのか。僕は神からすべてを聞いたわけではないから確かなことは言えない。だけど言えることは、ゲーム最終日までに次の神が決まらなければ、世界は跡形もなく崩れ去るらしい。そしてゲームの開催条件は、準備期間である七月二十四日から二十九日の間までに、十二体の悪魔全てがゲームに参加するに相応しい人間を見出し、契約することだ。もう解かるね。僕が契約しなければ条件が満たせず、ゲームの開催を待たずして世界は崩れ去る」

 麻里亜はじっと聞いていた。作り話にしては設定が込み入っているなと感じながら。

「話は分かりました。でも肝心の契約方法をまだ聞いていませんよ。一体どうやって悪魔と契約するのでしょう」

「契約してくれるのかい?」

「最後まで聞いてからにします」

 ネヴィロスは小さなポケットに手を突っ込み、文庫本ほどの大きさの本を取り出した。銀色の縁の瀟洒しょうしゃなデザインだった。

「これは魔導書グリモアと呼ばれる奥義書。言うなれば悪魔と人間を繋ぐバイパスのようなものだよ。これを僕が君に渡し、君がこの本に触れた瞬間に契約は完遂される」

「凄いですね。まるでかの王様にでもなった気分ですよ」

 麻里亜は笑って言った。冗談でもここまで凝っていると馬鹿には出来まい。

「『ソロモン王の小さな鍵』や『ホノリウス教皇の魔導書』と比べるとかなり見劣りするけど、列記とした魔導書グリモアだよ。僕みたいな中級悪魔と契約するにはこれくらいで十分なのだけどね」

 正直なところ、麻里亜は最初は冗談半分で聞いていたネヴィロスの話に引き込まれ始めていた。青年の瞳はくもりなく、その言はよどみなく。彼の様子からは真偽の判断が付かなかった。いや、本当は付いていた。とっくのとうに付いていたのだ。ただ、それを受け入れるだけの心の準備が追いついていなかっただけで。

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