十二節 「時計」

Ep.12‐1 時の氏神


 思えば、悪いことだらけな人生だった。

事業に失敗し、一家無理心中をした辺りか、人生の針が狂っていったのは。何故か一人だけ死ねなかった私は、親戚をたらい回しにされた。だが、どこへ行っても私は「朱鷺山ときやま」という名前に苦しめられ続けた。一家無理心中の生き残り。今は亡き朱鷺山グループの唯一の後継者だった少女。私という存在はどこにも無い。


 そして今、最後に私を守ってくれた女の人も、血まみれで地に臥している。

 

       ◇             


 僕は息を深く飲んだ。

(なんだ、あれは…………)

 葉月を追って深夜の公園に来てみれば、彼女は大勢の人間の前で何か口上を垂れていた。奇妙な光景だったがここまではいい。 それが今や、彼女は右腕をがれ、なにやら恐ろしい少年になぶり殺しにされようとしている。なにがなんだか、訳がわからない。

(助けにいかないと…………)

 そう思っても、体の震えは止まらず、僕は木陰から一歩も動けなかった。出ていけば殺される。ただ鼠のようにうずくまって、彼女の戦いを見届けること。今の僕に出来るのは、ただそれだけだった。


       ◇             



「四肢が使い物にならなくなるまで闘うとは、人間にしてはよくやった方よな。褒めて遣わす。最上位の天使からの賛辞だ。死ぬ甲斐もあるというものだろう?」

 葉月は血の池の中心部に倒れたまま、言葉ひとつ発さなかった。

「む、まだゴミが一匹残っていたのか。ふん、待っていろ。すぐに恐怖から解放してやる。我と同じ世界に生きるという恐怖からな」

 そう言って悚然しょうぜんと地べたに佇むしぐれの前に立つと、少年はそのかいなを高く振り上げた。

 もうすぐ死を迎えるという一瞬の中で、しぐれの思考は研ぎ澄まされ、この場を切り抜けるための解を弾き出そうとし、

(応えて……ラプラスの悪魔)

(…………)

(応えてよ!)

 解がないことに気付き、心の底から絶望した。

(ああ……殺される……)

(誰か……誰か助けて……)

 その刹那、葉月が急に飛び起き、刃物のように鋭く走った少年の腕を真正面から受け止めた。

「ほう……その身体でまだ動くか。よかろう人間、我が全霊をもって切り刻んでくれる!」

 しぐれの脳内を今までの経験が走馬灯のように迸った。そして手に取るように理解する。この場を打開する自分の願いを、自らの権能を。

(ずっと……戻りたかった)

 家族が死ぬ前の自分に。まだ人生に希望を見いだせていた頃の自分に。

(ずっと……なりたかった)

 強い自分に。誰かに守られる自分ではなく、誰かを助けられる自分に。

 権能の発動の覚醒は一瞬にして成し遂げられた。彼女は力一杯に唱える。彼女に与えられた能力、その名を。

権能イノセンス――――『時計仕掛けの少女デウス・エクス・マキナ』! 逆転リバース!」

 そう叫び、しぐれは左手で葉月の身体にそっと触れた。

すると、何ということか。ぼろぼろの布切れのようだった葉月の肢体はみるみるうちに元の引き締まった身体へ回復し、ずたずたの筋繊維はたちまちしなやかな力強さを取り戻していった。まるで何事もなかったかのように。それどころか、先程少年にむしりとられたはずの右腕までもが再生していくではないか!

「これは……どうしたことだ」

 呆然と目の前の光景に立ち竦む少年。その隙を葉月は見逃さなかった。佩刀の鯉口を瞬く間に切り、左腕で全力で少年に向けて真一文字に刃をいだ。

「ぐうっ……」

 肋骨を数本粉砕され、呻く少年。彼の身体を乗っ取った悪魔自体に痛みはないが、幼い少年の体は満身創痍だった。

「今です、逃げましょう!」

 しぐれは葉月の手を引き、勢いよく駆け出した。

時計仕掛けの少女デウス・エクス・マキナ! 加速アクセル!』

 今度は右手で、自身と葉月に手を触れる。すると彼女たちの身体は瞬く間に加速し、目にも留まらぬ速さで林道の中へと姿を消した。


「くっ……何をぼんやりしている! 追え、追うんだ!」

 声を荒げた成瀬を、全身を針で突き刺したような悪寒が襲った。

「愚か者めが。誰に向かって口を聞いている、人間。契約者風情が調子に乗るな。貴様ごとき、いくらでも替えはいるのだ。よいか、二度とこの我に命令するな」

 白羊宮アリエスは項垂れてから、ゆっくりと首肯しゅこうした。

「ふむ……少し人間どもを侮っていたかもしれんな。油断していたのは我の方だったか」

 少年はそう言って、

「さて、少し本気を出そうか」

と不敵に笑った。


 朱鷺山しぐれの権能、『時計仕掛けの少女デウス・エクス・マキナ』は、彼女が手で触れたものを時計にする能力である。いや、と言った方が正しいか。

 彼女が右手で触れたものの時間は加速し、左手で触れたものの時間は巻き戻る。まるで加速と巻き戻しが可能な時計の針のように、彼女は触れたものの経過時間を自由に操ることができる。巻き戻しに関しては、人体や物体に触れることで怪我や故障をなおすことすら可能とする。しかし、擬似的な時間遡行すら可能な代償として、1秒毎時間を弄るごとに44時間分のテロメア、すなわち寿命が彼女の体内で死滅する。文字通り、命を削った能力の運用である。


「大丈夫ですか、獅子宮レオさん」

「うん、ありがとね。あなたがいなかったら、あたし死んでた」

 しぐれは葉月の右肩を支え走りながら尋ねる。葉月の右腕は元通り完治していたが、急速な治療の影響か、彼女の顔には拭えぬ疲労が滲んでいた。無論、五分程度とはいえ葉月の時間を巻き戻し、今なお能力で二人分の肉体時間を加速し続けているしぐれも相当に疲弊ひへいしていたが、彼女は気丈に振る舞った。能力の覚醒のせいか、自然と彼女の神経はたかぶっていた。

「公園の出口まであと少しです。追手が来る前に、逃げ切りましょう」

 しぐれはそう言って再度能力を発動しようとし、その場に影が一つ増えているのに気が付いた。

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