乳液色の海

@Ohanashikakitaidesu

第1話

20XX年 4月15日 晴れ

今日より日記を付ける事にした。何でも一日の出来事を紙にでも書くと頭の中が整理され、気分が落ち着くらしい。本当かどうかは疑わしい所だがまあ数日は試してみようと思う。


20XX年 4月16日 晴れ

特に何もない日だった。無性に酒が飲みたくなったので安い発泡酒を買って一人で飲んだ。安い酒だけあって大してうまくはなかったが、深夜の漫才番組を見ながら飲んだので少しは面白かった。


20XX年 4月17日 曇り

課長から仕事を押し付けられた。私には関係の無い会議に使う書類を纏めろと言われた。いい加減にして欲しい。今日も酒を買ってきたのでこれを書き終え次第飲む。


20XX年 4月18日 

どうしてこううまくいかないのだろう。


20XX年 4月19日 晴れ

昨日は結局二日酔いで会社を休むことになり、課長から散々怒鳴られた。電話越しにだ。この年にもなって怒鳴られるなど腸が煮えくり返る思いだったが我慢した。結局課長は書類を自力で用意したらしいが、今日出勤して聞いたところによると不備が多く、散々文句を言われたらしい。いい気味だ。


20XX年 4月20日 晴れ

金曜日だけあって今日は飲みに行く奴が多かった。私も誘われたが二日酔いが明けた後で飲みに行くのもどうかと思ったので断る事にした。地元の駅も飲み会に向かう会社員達でごった返していてバスに乗るまで少々手間取った。バス停から家までにも1人酔っ払いがいてゴミ捨て場で吐いていた。正直あそこのゴミ捨て場は私も使うので勘弁してほしい。


20XX年 4月21日 雨

せっかくの土曜にも関わらず雨が降った。残念だと思い、そして残念と思った自分を不思議に思った。別段今まで休日に雨が降った所で気にする事は無かったからだ。何故残念と思ったのかを考えてみると、外出できないから日記のネタがない、という事に思い至った。私は自分の想像以上にこの日記にはまっているらしい。なんだか少し嬉しかった。


20XX年 4月22日 雨

とんでもない事が起きた。朝起きてトイレに行くとトイレが浸水していた。寝ぼけ眼でトイレに入った私は急に伝わってきた足からの冷たい感触に驚いて変な声をあげてしまった。後からニュースをつけるとどうやら異常気象らしく、電車も一部止まっているという。そんな大した量の雨には見えなかったが…せめて明日の仕事には差し支えないように祈りたい。


20XX年 4月23日 雨(降りやまない)

結局雨は降り続け、浸水も酷い状態になってきた。この地域で浸水など滅多にないどころか初めての事態だとテレビは言っていた。トイレの浸水はさらに激しくなり、下水道から水が溢れているのか便器から水が時折逆流してくる。こんな状態では到底仕事どころではない。まだトイレや一階の一部だけで済んでいるからいいものの、これ以上悪化したら避難の必要が出てくるだろう。確か学校が集団避難所になっていた筈だ。最悪の事態を考え、これからスーパーに必要な物を買い足しに行く。


20XX年 4月24日 雨

顔を洗おうと蛇口を捻ったら想定以上の水が出てきた。しかも、なんといえばいいのか。灰、白…化粧品の乳液のような色の水だった。気色悪い。


20XX年 4月25日 雨

浸水はあれ以上酷くはならなかったが、あまりに気が滅入るので避難所の学校に移動した。私と同じような人は多かったらしく、既に数十人の人が避難してきていた。その人達の話によるとどこの水道もダメらしく、あの乳液色の水が出てくるそうだ。ミネラルウォーターを使うしかないらしい。トイレは3階のものならまだ機能するようだ。


20XX年 4月26日 雨

なんだったんだあれは。避難所で溜まったゴミを持って、学校のゴミ捨て場へ行った。すると誰かがゴミを漁っていた。注意しようと思ってそいつに近づくと、そいつの顔が見えた。顔は醜いぶつぶつのある瘤がいくつもあって、到底言葉にできない程のおぞましい顔をしていた。膨れ上がった瘤が大きすぎて目や鼻がどこにあるのかもはやわからなかった。私はあまりの恐怖にゴミをその場に捨て逃げ出した。一体何だったんだあれは。


20XX年 4月27日 雨

先日のゴミ捨て場での出来事を話した結果、私を含む男性何人かで様子を見に行くことになった。もしかするともういないのでは、と期待したもののやはりそいつは依然としてそこにいた。しかもそいつはゴミを漁って食べているようだった。食べ物だけでなく、ビニール袋やトイレットペーパーの芯なども食べていた。しかもよく見ると瘤は顔だけでなく体全身にできているようで、腕やシャツがめくれて見えた腹からも瘤ができているのが見えた。私達は距離をとってからそいつに何をしているのか、出て行ってくれないか、などと話しかけたがそいつは全く返事をしなかった。いや、返事はしたのかもしれない。時折声を発してはいた。だがそれは言葉ではなく、よくわからないただの声でしかなかった。余りの気味悪さに私達はそいつと交渉するのを諦め、あのゴミ捨て場には近づかないようにしようという結論を出した。


20XX年 4月28日 雨

テレビが映らなくなった、ラジオも聞こえなくなった。iPhoneなどの携帯電話も一切インターネットに繋がらなくなった。とても退屈だ。何人かが気の利いた音楽を流してくれたり、皆で遊べるアプリや、誰かが持参していたトランプやウノで遊んだりもしたが不安のせいでどれもいまいち楽しめなかった。私の脳裏にはあの瘤人間の姿がひっついて離れなかった。


20XX年 4月29日 雨

事実だけを書く、街が沈んだ。丘の上に立っていたこの学校だけを残して。朝起きて外を見るとあの乳液色の水が見えた。私はついにここまで浸水が来たのかと思い、体育館を出て学校の正門前まで様子を見に行った。すると昨日まであった筈の町はなく、そこには一面乳液色の水が広がっていた。もはや湖、いや海といった方が適切な程だった。正確に言えば町はあった、目をこらして乳液の海を覗いてみるとかろうじて海に沈んだ町が透けて見えていた。呆然としてそれを見ていると、水の中を何か巨大なものが横切っていった。巨大な蛸のようなものだった。ようなもの、と書いたのはその蛸は頭部の膨らんだ箇所に、蛸の物とは思えない、人間の物としか思えない、だがそれでいて人間の物とは思えない程巨大な目を持っていたからだ。その目が私を捉えたかどうかは定かではないが、本能的な恐怖を感じた私は急いで校内の体育館へと戻った。


20XX年 4月30日 雨

誰も何も喋らない。これは一体どうなっているんだとか、避難しなかった人はどうなったんだとか、聞きたい事はあるだろうがそんな気力もないらしい。何人かが私と同じように乳液色の海を見に行ったらしく、そしてその中のまた何人かも私と同じく巨大蛸を見たそうだ。怖い、早く助けに来てくれ。政府は何をやっているんだ、自衛隊はまだなのか?この学校だけを残して世界の全てがこの海に沈んでしまったのか?怖い、怖い。私の生活を返してくれ。今ではあの課長も恋しい。もしこの恐怖から逃れられるなら一生あの課長の奴隷となったっていい。


20XX年 5月1日 雨

雨、雨、雨。雨が止まない。何人かが頭痛を訴えている。知らない。私にはどうにもできない。


20XX年 5月2日 雨

子供達が熱を出したらしい。


20XX年 5月3日 雨

ああ何という事だ!また瘤だ!今度は子供達に!!子供たちにあの醜い瘤が出来た!あの時のゴミ捨て場にいたあいつと同じ、醜いぶつぶつの瘤だ!!ああ、ああ!隔離するべきだと私は主張した、大多数が私に賛同してくれたので子供達を体育館から最も遠く離れた3階の理科室に隔離した。子供の親は反抗したが殴って大人しくさせた。そして全員にマスクと手袋の着用を命じた。足りない分は衣服をちぎってその切れ端をマスクと手袋代わりにさせた。子供たちの世話はどうするんだと親達が言ってきたので、だったらお前たちが世話しろと言ってやった。


20XX年 5月4日

瘤。瘤。海。海。


20XX年 5月5日

先日からだが天気を書くのをやめた、どうせ雨だ。何人かが神様とやらに祈り始めた。今まで信じてすらいなかったのに都合のいいことだ。


20XX年 5月6日

変な習慣が生まれつつあるらしい、毎朝何人かの男が正門前まで行って海を見に行き、あの巨大蛸を一目見てから帰って来る。話を聞くとなんでもいいからする事が欲しいそうだ。


20XX年 5月7日

その内誰かなるだろうと思っていたが、今日一人の大学生が癇癪を起した。発狂したと言った方が正しいのかもしれない。突如金切り声をあげて体育館の壁に頭を打ち付け始めた。見かねて一人の老人が声をかけた所その老人を突き飛ばして体育館を出てどこかへ走り去った。私達は彼を追いかけた。彼はあの正門前にいた。私達の姿を見ると訳のわからない奇声を発して乳液色の海に飛び込んだ。私達はただ茫然と彼が飛び込んだ後を眺めていたが、しばらくするととんでもない高音の何かの声が響き渡った。とても強いモスキート音のような声だ。その声が聞こえると同時に3階からその声に応えるかのような絶叫が聞こえた。その時、子供たちの様子を見に行っていた女のいう事によるとそのモスキート音のような声が響き渡った瞬間、すべての子どもたちが一斉に金切り声を上げ、それが終わると全員その場で倒れたという。


20XX年 5月8日

歌が聞こえた。それも不協和音で構成された聞くに堪えない歌だ。やめさせてやろうと誰が歌っているのか探したが体育館では誰も歌っていなかった。もしやと思い、何人かを引き連れて3階の理科室へ行った。するとそこではいつかのゴミ捨て場の瘤人間とほとんど同じ姿と変わり果てた子供達が歌っていた。その歌は醜い不協和音だったが、それと同時に透き通り澄み渡る不協和音だった。その光景に嫌悪感を感じた私はその場で吐きそうになったがなんとかこらえ、この理科室を完全に封鎖する事を提案した。もはや子供たちの親でさえ反対しなかった。私は理科室の鍵を誰も開ける事のないように乳液色の海に投げ捨てた。子供たちの歌が私を責め立てているように聞こえた。


20XX年 5月9日

あの歌を止めてくれ、気が狂いそうだ。


20XX年 5月10日

もはやこの日記だけが私のよすがだ。


20XX年 5月11日

以前書いた神様に祈る団体が阿保のような事を抜かし始めた。人間の原罪がどうとか、私達の人生の罪がとかよくわからない事を抜かした挙句、皆で入水自殺をしようと提案してきたのだ。4日前に気が狂ったあの大学生が先に神のもとへ旅立たれたとか言っている。どうかしてる。そして最もおかしいのはその提案に賛同する奴がこの避難所のほぼ半数の人数いるということだ!!私も誘われたが丁重に断った。こんなイカれた奴らと一緒に死ぬなんてまっぴらごめんだ。


20XX年 5月12日

奴らは死ぬ日を明後日と決めたらしい、どいつもこいつもにこやかな顔で過ごしている。どうしてそんなに楽しそうなんだと聞くと許されるのが嬉しいそうだ。この苦痛から解放されるのが嬉しいのだと。とことん気が狂っている。しかもあいつらの内何人かはあの瘤人間の合唱団の所へ行って、理科室の前の廊下でその歌に聞き入ってるそうだ。奴らによればあれは讃美歌なのだとさ!


20XX年 5月13日

死ぬなら早く死んでくれ


20XX年 5月14日

最高に笑える日だった。奴らは正門前にご丁寧に並んで、教祖様が一晩寝ずに考えたという神への捧げ文句を言ってから一斉に死ぬ予定だったらしいが、その祈り文句の最中に事件が起きた。一応様子を見に来ていた私の前で、やつらが祈りを捧げていると乳液の海の中から何かが飛び出してきた。得体のしれない軟体生物だった。強いて言葉にして言い表すならいくつものナメクジが重なりあって、犬のような姿を持った軟体生物だった。そんな生き物が海から何匹も何匹も飛び出してきた。その場にいた全員が呆気に取られていると、その内の一体が教祖の頭に飛びついた。教祖はパニックを起こしてひとしきり騒いだ挙句、足を滑らせて海へと落っこちた。それを見た信者はそれがそういう儀式だと思ったのか皆一斉に海に飛び込んで行った。何人かは急に現れたナメクジへの恐怖か、急に怖気づいたのかは知らないが体育館に逃げて行ったが、大多数はそのまま海に飛び込んで行った。なんだかその光景がとても間抜けで久しぶりに心から笑えた。ただあのナメクジ共に襲われるのはかなわないので笑うだけ笑った後、危険にならない内に私も体育館に逃げた。


20XX年 5月15日

体育館を内側から閉鎖した。外からはナメクジ共のぬめった足音と瘤人間の歌が絶え間なく聞こえてくる。時折あの大学生が海に入った時のモスキート音が脳をつんざく。狂いそうだ。


20XX年 5月16日

お前は大丈夫だお前は大丈夫だお前は大丈夫だお前は大丈夫だお前は大丈夫だお前は大丈夫だ

お前は狂ってないお前は狂ってないお前は狂ってないお前は狂ってないお前は狂ってない


20XX年 5月17日

遂に大人にも瘤が出来てきやがった。瘤が出来た奴らを外に叩きだした。ドアを叩いて助けを求める声が聞こえる。悪いのはお前だ、狂ったお前が悪い。狂ってない俺が正しい。


20XX年 5月18日

聞こえてくる音

・瘤の歌

・雨

・ナメクジの足音

・ドアを叩く気違い共

・モスキート音

・海の音

・ドアを叩く気違い共

・モスキート音

・瘤の歌

・瘤の歌

・雨

・海の音

・ナメクジの足音

・神様の声

・海の音

・雨

・瘤の歌

・ドアを叩く気違い共


20XX年 5月19日

瘤だらけになった、俺にも瘤ができた。全員で剥がし合いをする事にした。痛かったが剥がせた。

すぐ生えてきた。また剥がす。生える。剥がす。生える。剥がす。生える。剥がす。


20XX年 5月20日

あの歌が急にうまくなった。音楽は良く知らないがソプラノ?テノール?バス??とにかく綺麗だった。


20XX年 5月21日

のどが渇いたので体育館を開けた。海の水を飲んだらうまかった。ナメクジもかわいいな。


20XX年 5月22日

あんな事を書いたが俺も神様を信じようと思う、希望が欲しいんだ。


20XX年 5月23日

子供たちはまぶしいよ、将来があってさ

あの子たちの歌を聴いてると心からそう思う


20XX年 5月24日

俺にもあんな時代があったんだよ


20XX年 5月25日

海の中に行った皆は元気かな


日付なんていらないって事に気付いた


幸せ。


ぎゅるえお、きうてるやねあすし、みてれお、あふていおんえういるいお

いあ、いあ、ぐうれゃふ


今日は海のほとりにずっと立っていた。ナメクジが走り回り、子供たちは歌い、海は綺麗だ。

とても穏やかだった。


昨日と変わらない日常、それが一番幸せだ


今日は神様が来る日だ、みんなでむかえにいく

ああ、神様。ありがとうございます。

とってもしあわせです。

とっても、しあわせ。

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