第238話
ドクの肉体は死を迎え、意識は再びコンピュータの中で目を覚ました。いつもならばすぐにクローン体へと人格を移すのだが、今は研究室内に敵がいる。遺跡に張り巡らされた監視カメラを通して辺りの様子を見ることはできるが、干渉することはできない。
これからどうなってしまうのか。恐ろしい、しかし汗を流す肌はなく、叫ぶための口もない。ギロチン台に首を固定されたまま放置されたらきっとこんな気分だろう。
カーディルがふらつきながら立ち上がり、壁に手を付きながら歩きだした。まだ義肢の麻痺が抜けていないようだ。どこか壊れたままで、時間が経てば直るようなものでもないかもしれない。
歩みはなめくじのように遅い。息も荒い。今にも倒れてしまいそうだ。
(それもあり得るか……?)
強烈な電撃を流してやった。何度も何度も蹴りを入れて痛めつけてやった。ディアスを失った精神的ショックも大きいはずだ。力尽きて倒れる条件は揃っている。
死ね、頼むから死んでくれ。コンピュータの中から呪いの念を送るが、カーディルの動きは遅くとも止まることはなかった。
カーディルは遺跡内の映像がいくつも映し出されたディスプレイの前、コンソールを操作しようとするが生体認証によって阻まれてしまった。
よし、とドクが唸ったのも束の間、カーディルは軽くため息をついただけであり、
ドクの死体、脱け殻の右手首を切り落とし、汚い物でも扱うように摘まみ上げた。
(なんて女だ……)
ドクは自分の死体が淡々と利用される光景に背筋が寒くなる思いであった。無論、気のせいだろうが。
切り落とした手首を使って生体認証、もとい死体認証を突破したカーディルは慎重にタッチパネルを操作した。
残念ながら粘土型ミュータントたちに自爆装置など付いてはいなかったが、警備状態を通常に切り替えるとディスプレイに映るミュータントたちの動きが止まり、くるりと反転してそれぞれの持ち場に戻って行った。その姿はどこかユーモラスでもあった。
ドクにしてみればたまったものではない。ご主人様が絶体絶命の危機に陥っているというのに、ボタンひとつでさっさと帰ってしまうのか、と。
駐車場の安全を確保した後、カーディルはアサルトライフルを拾って培養槽の前に立った。
反動に負けぬようしっかりと抱えてから一気に放つ。強化ガラスが次々と破壊され、蛍光色の培養液の中にクローン体が流す血が混じり、吹き出して床を水浸しにした。
ひとつ、ふたつ、みっつよっつ。ドクの形をした肉が次々と死んでいく。弾が切れれば即座に交換し、ドクの生きた証を欠片も残さぬとばかりに破壊し尽くした。弾は十分にある。研究室に入る前にディアスが預けてくれたからだ。まさかこんな展開を予想していたわけではないだろうが、何か運命じみたものを感じていた。
こうしてドクは移住先を失った。初めて人格保存をしてコンピュータのなかで目覚めた時は、作業用ロボットをハッキングして培養槽を操作させたものだが、培養槽そのものが破壊されたのではどうしようもない。
修理できるだろうか、などと考えるドクの前に立ちはだかる影があった。
「ドク、そこに居たのね」
妖しい笑みを浮かべる美しき復讐者。立ち並ぶ機械のなかでも作りが特別なメインコンピュータに銃口が向けられる。
(やめろ、やめてくれ……ッ!)
これから自分は殺される。いや、消滅させられるのだという恐怖でドクは気が狂いそうになった。
しかし、狂うことすら出来なかった。精神に異常が発生した場合、修正プログラムが起動して即座に精神を正常な状態に戻してしまうのだ。
死という現実を明瞭な意識のまま直視し続けねばならなかった。気が狂うほどの恐怖のなかで、狂えない。死を超越する人類の
「さよなら、クソ野郎」
歪んだ唇から放たれた別れの言葉。カーディルの心を代弁するようにアサルトライフルが怒りの咆哮をあげる。
弾丸がメインコンピュータを貫き、破壊し、ケーブルを断線させて火花を散らす。ドクは魂が直接焼かれるような激しい痛みを感じていた。痛覚などあるはずもない、幻肢痛のようなものだが本人にとっては現実そのものだ。
(助けてくれ、ナ……、ナス……、ナシ……?)
死の間際に、かつて心から愛した者の名前すら思い出せない。それが彼にとって最大の罪であり、罰であった。
メインコンピュータは爆発、炎上し、ドクという存在はこの世から消え去った。
「終わったよ、ディアス」
カーディルはディアスの死体のそばに座り込み、彼の頭を膝の上に乗せ、髪を撫でながら語りかけた。
「嘘つき。私が死ぬのを見届けてくれるって言ったじゃない」
ごめん、精一杯やったがダメだったよ。そんな声が聞こえた気がした。
カーディルとしても別に怒っているわけではない。彼は最後の最後まで、致命傷を受けてなお、カーディルを守るという誓いを違えることはなかった。
「私は腕も無いし、足も無い。大した趣味も無くて、ミュータント狩り以外で外に出ることもあまりなかった。それでも……」
視界がじわりと滲み、熱い涙が流れ出した。
「私は、あなたに出会えて幸せだった」
もしもミュータントにさらわれず手足を失うこともない人生があったとしても、それに比べて今の方が幸せだと断言できる。
ディアスの身を起こし、強く抱き締めた。その冷たさが彼はもうここにはいないのだと示していた。
「ありがとう。愛してる」
死者の耳元で囁き、物言わぬ恋人と唇を重ねた。
そして、手探りで銃を拾い自らの頭に銃口を当てた。
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