第237話

「ほぅ……」


 カーディルを足で転がし仰向けにさせると、ドクは感嘆の声を漏らした。


 さすがは荒野の女王と讃えられた女だ、憎悪に燃える視線を向けられてすら美しいと感じた。


 ディアスが夢中になるのも頷ける話だ。あの男が必死に戦ってきたのは全てカーディルのためであり、カーディルがいなければ平凡なハンターとして生き、つまらない死に方をしていたことだろう。この女は良くも悪くも男の人生を狂わせる。


 いいことを思い付いた。街への襲撃を阻止され、戦車を破壊されて本拠地にまで乗り込まれた恨みを晴らし、これからの人生を豊かにするハッピーでご機嫌なアイデアだ。


「ふ、ふ……。そう睨むな。ご主人様に対して失礼だろう?」


「……なんですって?」


「喜んで私のクソを食うメス豚に調教してやろうと言っているのだ」


 カーディルの細い脇腹に蹴りを入れる。息が詰まり、ぐぅっと呻くが反撃のしようがない。悶えるカーディルを満足げに見下ろしながらドクは話し続けた。


「決して屈さないとか、ディアスに義理立てしようなどと無駄なことだ。人は、拷問には耐えられない。拷問する側が無能だったり、殺してはならないと遠慮があった場合はともかく、私はそんなヘマをしない」


 ドクは屈みこみ、カーディルの頬を指先でなぞった。カーディルにしてみれば、毛虫が頬を這い上がるような嫌悪感が湧く行為だ。


「お前の人格を保存して、クローン体も用意して、何度でも壊してやる。私に従順となり、心から愛していると言えるまで、何度でもだ。甦らせる度に手足を切り落としてやろうか、そうすれば少しは自分の立場が理解できるだろう?」


 悪趣味な思い付きを自画自賛するように、ドクは含み笑いをしていた。対してカーディルの憎悪と恐怖の入り交じった瞳に、疑問と軽蔑の色が浮かんできた。


「……人格を保存して、コピーしてクローン人間に入れたとして、それは私じゃなくて同じ記憶を持った別人じゃないの」


 カーディルの疑問に、ドクはひどく白けた気分になった。道理のわからぬ野蛮人にそこから説明しなければならないのか、と。


「まさか魂の存在を信じているというのか、馬鹿々々しい。記憶も人格も所詮は電気信号の集合体に過ぎない。人格が同じであれば同一人物であると証明もされている」


「証明? 都合の良い言い訳を用意しただけでしょう。哲学者に金でも握らせたわけ?」


「黙れ!」


 激情に突き動かされるまま、ドクはカーディルを蹴り続けた。何度も、何度も柔肌に爪先が食い込む。


 肋骨が折れたかもしれない、内臓が傷ついたかもしれない。人格のコピーをする前に殺してしまっては元も子もないのだが、自分の意思では止まれなかった。


 疲労によって一息いれると、カーディルが掠れた声で呟いた。


「あんた、誰なのよ……?」


 またしても意味不明な質問がドクを苛立たせた。こいつを調教するのに蹴るだけではダメだ。鉄パイプのような硬くて長い棒でもないかと周囲を見渡したその時、花嫁の死体と目が合った。


 Who are you ?


 物言わぬ瞳が語りかける。


 ドク、違う、それはただのあだ名だ。自分の本名が思い出せない。


 この女は誰だ、名前も思い出せない。


 俺は、私は、彼女を愛していたのではなかったか。意識が無い、あったとしても乳幼児くらいの知能しか無い彼女が必死に助けてくれた意味を少しでも考えただろうか。壊れても培養槽から新しく一体出せばいい、くらいにしか思わなかった。


 核戦争と無計画なミュータントの生産によって世界は滅んだ。自分と彼女を死へ追いやったもの、その行き付く先を見届けるために人格保存を選んだのではなかったのか。人類はしぶとく生き延びることができると納得できたなら、それで目的は達成したはずだ。


 ある意味でディアスとカーディルはドクにとっての希望であり、未来を託せる存在ではなかったのか。


 人格転移を繰り返すうちに何かがズレた。ミュータントを生み出した人類そのものを復讐の対象とし、その自滅を望むようになった。


 目的を外れ、誰よりも深く愛した女を都合のいい人形として扱うようになった自分は、誰なのだ。


 脳にコールタールを流し込まれたような気分だ。頭が重い、吐き気もする。


「うるさい……、うるさい、黙れ!」


 叫びながらカーディルに覆い被さり、襟を掴んだ。


 銃を突き付けながら女を犯す、それに勝る快楽はあるまい。苛立つ陰茎を静めればきっと何もかもうまくいく。何の根拠も無い感情の暴走。今はそれしか出来ることがない。


 何者かの気配がした。おかしい、ここに立ち入れる者はもう誰もいないはずだ。恐る恐る振り返ると、


「ひいッ!」


 短い悲鳴をあげてドクは飛び上がった。


 血まみれのディアスが立ち上がり、銃を構えている。


 人間は脳を損傷してもすぐには死なない。即死するのは中心部である脳幹が破壊されたときだけである。もっとも、それはあくまで理論上の話だ。まともに立つことも動くことも出来るはずがない。


「死ね! 亡霊め、死ね!」


 ドクは恐怖に駆られ銃を乱射した。数百年鍛練を重ねた銃の名手の姿は見る影もなく、ただ前に飛ばすのみであった。


 弾丸はディアスの腹に、足にと当たるが彼は倒れなかった。


 潰れた左眼は当然、右眼も見えてはいなかった。耳も聞こえていない。ただ悪意を感じる方向へ銃を向け、放つ。


 弾丸はドクの頬を掠め、壁に弾かれ虚しく落ちた。執念の一撃は、ただ一筋の傷をつけたのみであった。


 ディアスは糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ち、二度と動くことはなかった。


 ドクは腹の底から笑いが込み上げてきた。指をさして思い切り笑い転げてやりたい気分だ。そうとも、これが現実だ。


 最後の力を振り絞って立ち上がったのは、さすが超一流のハンターといったところだ。そこは素直に驚いたし、感心もした。恐怖を感じたことも認めよう。しかしそんな状態で銃を撃って見事に命中などと、都合の良い話があるものか。拳銃の反動にも耐えられず無様な姿を晒す、愚かな男だ。結局何がしたかったのか。


「は……、ははは、あっははははは!」


 せきが切れたように笑いだした。おかしくて、嬉しくて仕方がなかった。自分は時代に選ばれた、奴に奇跡など起きなかったのがその証拠だ。邪魔する者は誰もいない。笑いながらディアスの死体に弾丸を撃ち込んだ。


 最期までドクはディアスという男を理解していなかったことになる。彼は力尽きて倒れたのではなく、役目を終えたからこそ息を引き取ったのだと。


 足元の女はどんな顔をしているのか、ちらと向けた眼に映ったのは、倒れたまま銃を構えるカーディルの姿であった。


「な……ッ!」


 カーディルの手に握られているのは、ディアスが右腕を切られたときに落とした銃だ。


 時間をかけすぎた、カーディルから目を離してしまった。電撃によって確かにカーディルの義肢は機能を停止した。しかし、それは一時的なものである。トラブルが起きた後で電気信号を正常なものに復帰させる、その速度が従来のものよりずっと早かったのだ。丸子製作所の技術が、ドクの想像を越えた。


 まだ本調子というわけではない。腕は鉛のように重い。カーディルは強靭な精神力によって必殺の体勢を作り上げた。


 断罪の一撃が放たれた。高速回転する弾丸はドクの下顎を砕き、脳天を貫いた。噴水のような鮮血がカーディルの顔面にも降りかかる。


 断末魔すらなく倒れびくびくと震えるドク。カーディルはなんとか身を起こして、赤く染まった髪を掻き上げながら冷たい視線を向けた。


 口に入った血を吐き捨てながら言った。


「百年早いのよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る