第236話

 ディアスがドアを蹴破ると、強烈な悪意を浴びせられたような感覚を味わった。


 なんだかよくわからないが、これはまずい。


 ドアの陰に身を隠した次の瞬間、ディアスの頭があった場所を弾丸が通過し、廊下の奥へと消え去った。


 もしも頭を引くのがもう少し遅ければ。そう考えると心臓を鷲掴みにされたような恐怖が全身を巡る。


(奴は手練れだ。認めたくはないが俺より上かもしれん……)


 アサルトライフルをその場に置き、残ったライフルのマガジンを全てカーディルに渡して拳銃を抜いた。武器が大きければそれだけ取り回しに難が出る。


「カーディル、ここから援護を頼む」


「了解。その……、ディアス」


「何だろうか?」


「気を付けてね」


「もちろん」


 そう答えてディアスはぎこちなく笑って見せた。強がりではない。ドクがどれほどの銃の名手であろうが、こちらはひとりではない。そのことがディアスを強く奮い立たせた。


 カーディルは室内に向けてライフルを乱射した。当たらなくてもいい、ドクが顔を出すことが出来ない状況を作れれば援護としては十分だ。


 その隙にディアスは室内へと滑り込んだ。体育館ほどの大きさの部屋に大型のコンピュータが本棚のようにズラリと並び、奥には食料庫で見たものよりもずっと大きな培養槽があった。中に浮かぶものは人間。見慣れた顔の男が十数体と、見知らぬ女が数体。


(何だ、これは……?)


 湧きあがる嫌悪感と、納得。ドクはこうして命を生み出し、殺し、弄び、そして超越者を気取っていたのか。会話は出来るのに話が通じないという薄気味悪さを思い出す。これでは価値観が何一つとして合わないのも当然だ。


 灯りは非常灯と、青白く光るディスプレイ。そして培養槽の緑の蛍光色のみで、ひ

どく薄暗い。


 ドクは何処にいるのか、何処から襲ってくるのかがわからない。ここは敵のホームで地の利は向こうにある。ディアスは物音ひとつ聞き逃さぬよう全神経を集中して、じりじりと進んだ。


 カーディルは援護しようにも敵の姿が見えず、ドアの前に釘付けになっていた。この戦い、下手に手を出しても邪魔になるだけだ。自分の役目は何処にあるのか、しっかりと見極める必要がある。


 コンピュータが発する唸りに混じる、ほんの僅かな足音。人の動く気配。ディアスは身を低くして振り向きざまにセミオートで三発、弾丸を放った。


 交差する殺意。ドクの袖が裂け、ディアスの頭上で火花が散る。


 互いに撃ち合いながら移動し、また見失う。静寂が戻るがそんなものはただのインターバルだ。本当に静寂が訪れるのはどちらかが死んだ後でしかあり得ない。


 マガジンを交換する指先が微かに震えていた。たった数分の撃ち合いで極度に消耗している。それほどまでに緊張を強いられる戦いだ。


 激しさを増す心臓の鼓動。この音で気付かれてしまうのではないか、という考えをすぐに打ち消した。


(馬鹿な。そんなことを考えてしまうこと自体、弱気になっている証拠だ)


 ふと思い付いて空のマガジンを遠くに放り投げると、落下とほぼ同時に銃声がしてマガジンが弾き飛ばされた。素晴らしい反射神経、正確な射撃。そして無意味な行為だ。


 奴も相当焦っているようだ。自分が苦しいときは相手も苦しい、とはよく言われることだが、それが形として表れると少し安心する。


 ドクは人格転移を繰り返しながら数百年生きたなかで射撃の腕を磨いてきた。技術だけなら世界一といってよいかもしれない。


 だが、メンタル面ではどうか?


 今までは死んだところで、


『いやあ、まいったまいった。はい、やり直し』


 と、へらへら笑って済ませていたが、今回死んでしまえばクローン生産施設も人格を保存しているコンピュータも破壊されてしまうだろう。ドクにとって初めてかもしれない、命がけの戦いだ。


 勝てる。必ず勝つ。そう決意するとディアスの呼吸が少しずつ落ち着いた。


 ディアスの全神経は今、ドクを捉えることだけに向けられていた。


 ……それが取り返しのつかないミスであった。思考の外から近づく第三者にまったく気が付かなかったのだ。


 忍び足で近づいたわけではない、まったくの自然体であった。殺気はなく、気配もない。意思があるかどうかも疑わしい。なればこそ、周囲と完全に同化していた。


 凶刃が振り下ろされた瞬間、ディアスは初めてその存在に気付いた。頭部を庇った右腕に深々と刺さったのは、電源の入っていないチェーンソーだ。


 切断こそされなかったがチェーンソー自体にかなりの重量があり、鋭い鈍器で殴り付けられたようなものである。右腕の感覚が無くなり、拳銃をその場に落としてしまった。


 襲撃者は純白のドレスをまとった若い女であった。眼は虚ろで焦点が合っていない。


 何故、花嫁が全体重をかけてディアスの腕を切り落とそうとするのか。まるで意味がわからない。このままでは殺されるということだけは確実だ。


 左手で予備の拳銃を抜こうとするが、この隙が見逃されるわけもなかった。


「よくやった、女ぁ!」


 振り向くとそこには醜悪な笑みを浮かべ銃口を向けるドクの姿があった。確実な死を約束する死神の咆哮、銃声が研究室内に響き渡る。


 弾丸が白い肌を食い破り、ウェディングドレスを真紅に染める。無表情のまま女は倒れた。肺か気管を損傷したか、ひゅうひゅうと壊れた笛のような呼吸音を立てている。


 ディアスは肩を、胸を、腹を撃たれた。そして最後の一発が左眼を貫き鮮血をほとばらせた。視界が激しく揺れる。決して生かしてはならぬ悪党、憎悪の対象がすぐそばに居るというのに、残った右眼は無機質な天井しか映してはくれなかった。




 入り口付近からでは何が起こったのかよくわからなかった。ただ、何かが起こったことはわかる。それも良くない形でだ。


 カーディルの背筋にぞっと悪寒が走る。


 ディアスが勝ったのであればすぐに迎えに来てくれるはずだ。ならば、あの銃声とその後の沈黙は何を意味するのだろうか。


 邪魔になるかもしれない、などと言っている場合ではない。カーディルはアサルトライフルを握り直し、遮蔽物に身を隠しながら奥へと進んだ。


 広がり続ける血溜まりが足元を濡らす。この先にあるのは絶望のみだ、進んではならないと理性が警告するが、ディアスがそこにいるのであれば進まないという選択肢はあり得ない。


「嘘、でしょ……?」


 ディアスは仰向けに倒れていた。左眼は潰され、弾丸が貫通したのか後頭部から血を流し続けている。カーディルの靴を濡らしたのはまさに、最愛の男が流す血であった。


 信じられない。信じたくはない。ディアスはドクなどとは違う、本当に不死身の男であったはずだ。どんな絶望的な状況からでも生還しカーディルを守ってきたではないか。


「起きてよ。ねえ、帰ろうよ……」


 夢遊病者のようにふらふらと歩み寄る。視線の先に白い人影が見えた。


「ドク、貴様ぁッ!」


 アサルトライフルを構えるカーディルを、ドクは侮蔑の笑みをもって迎えた。


 戦車に乗っていれば恐ろしいが、カーディルは銃の名手というわけではない。さらに精神的動揺によって狙いも定まっていない。


 カーディルが引き金を引くよりも速く、ドクは新たな銃を抜いた。


 それは電極を飛ばすタイプのスタンガンであった。カーディルの胸に二本の針金食い込み、空気が弾けるような轟音が鳴り響く。薄闇のなかで眼が眩むほどの火花が散り、苦痛に顔を歪ませてその場に倒れた。


 この銃は激痛と神経筋麻痺を引き起こす武器だが、カーディルの場合さらなる副作用として義肢の機能が停止させられた。


 憎悪と激痛によってカーディルの意識ははっきりとしている。しかし手足には何の反応もなく小指一本動かすことは出来なかった。


 頭部に衝撃が走る。ドクがカーディルの頭を踏みつけたのだった。


「これで、終わりだな」


 ディアスたちとドクの戦いが決着したというだけではない。アイザックたちは物量の前にいつか倒れるだろう。外にいるマルコらもただでは済むまい。


 ドクの存在を知り、ドクを倒そうなどと考える者はこの世にいなくなるのだ。


 彼はこれからも人類がミュータントに抗おうとする度に、神の手と称して人を弄び続けるだろう。


 運命の簒奪者は絶対安全の玉座を手に入れる。


 これで、終わり。


 身動きの取れぬカーディルに反論するすべはなく、ただ苦痛と屈辱に耐えることしかできなかった。

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