第234話

 薄暗い研究室。いくつも並ぶ培養槽は緑の蛍光色を放っており、同じ顔、同じ体つきをした男が浮かんでいた。


 ダウンロード完了、という電子音が流れると培養槽のひとつから液体が抜かれ、透明のケースが引き上げられる。全裸の男がおぼつかぬ足取りで歩きだした。


 頭痛がする、吐き気もある。人格転移の直後に気分が悪いのはいつものことだが、今回は特に酷い。


 奴らとは文明のレベルが違う、絶対無敵の超重戦車を持ち出した。神経接続式に比べリスクが無く高性能な脳波コントロール式だ。万が一に備えてミュータント化の用意もした。


 負ける要素など何一つとしてなかったはずだ。

 それなのに何故、どうして。


 悪寒はますます酷くなる。吐いてしまいたかったが胃のなかには何もない。


 奴らはこの研究室へ向かって来ているのだろう。クローン体の生産機と人格を保存しているサーバーを破壊されてしまえば二度と甦ることはできない。


 死を超越したはずのドクが今、初めて死の恐怖を味わっていた。


「何故だ、人類とミュータントの行く末を観測しようとしているだけの私を、何故奴らはこうも執拗に付け回すのだ、狂人どもめ!」


 浄水器から浴びるように水を飲み、白衣を羽織ると少しだけ落ち着きを取り戻した。敵がこの地下八階に来るのであれば、遺跡の警備をさせているミュータントを全て集めて圧殺してやろう。


「ふ、ふふ……。そうだ、これは試練だ、私がより高みへ昇るための! 賊どもを皆殺しにしたとき、私は精神的にも完全に死を越えた存在となる!」


 ドクは高らかに叫び監視システムへと飛び付く。


 強ばった顔に引き吊った笑みを浮かべ、眼はどこか虚ろであるが、コンソールを操作する指の動きだけは正確であった。




 不快な振動が収まり、シャッターが開かれた。


 目の前にあるのは広大な駐車場。薄暗いが所々に灯りが点いており、人の住む気配を感じさせる。


 ディアスは乗用車に近づきボンネットを指でなぞった。薄く埃が積もってはいるが、数百年分というほどではなさそうだ。


「TD号、先導してくれ。警戒しながらゆっくりと進もう」


「了解」


 チサトが答え、TD号改が貨物エレベーターを降りた。屋内で戦車というのも妙な気分ではあるが、今は頼もしいことこの上ない。


 バイクに乗ったままアイザックがディアスの隣をゆっくりと進む。


「案内図なんかあると嬉しいんだけどなぁ」


「これだけ広い駐車場だ。あってもおかしくはないだろう」


 戦車とバイクのエンジン音が響き渡る。しかしディアスは何故か、


(静かだな……)


 と、感じていた。


 人類とミュータントの戦いを裏からあおった男、その本拠地に侵入したというのに恐怖も高揚感もなかった。このまま進めば何かが終わるだろうという予感だけがあり、それを素直に受け入れていた。


 やがて前方に光が見える。それは電灯とは別の、ドアから漏れ出す灯りであった。出口であろうか。


 その光が、スッと影に遮られた。


「敵襲!」


 ディアスは叫び柱の陰に隠れた。カーディル、アイザックもそれに続く。


 そこに現れたのは粘土の塊のような白い巨人であった。顔には目も鼻もなく、裂けたように大きな口が半開きになっている。手足は粘土を適当に摘まんで引っ張ったような雑な作りだ。


 金属をこすりあわせたような不快な咆哮。ハンターたちが怯んだ隙に手近な乗用車を掴み、投げつけた。見た目こそいい加減だが恐るべきパワーであった。


 耳奥の痛みに顔をしかめながらチサトはTD号を急速後退させた。側面装甲を壁にこすらせるがお構いなしだ、コンクリートの壁は破壊されるが装甲には傷ひとつ付いていない。


 壁に激突しひしゃげる乗用車。ディアスたちが一斉に撃ち返すが、弾丸は粘土状の体に埋もれるばかりで致命傷とはならなかった。


「このぉ!」


 体勢を立て直したTD号、クラリッサが気合いと共に機銃を放った。


 粘土の巨人にもある程度の自己再生能力はあったが、戦車に備え付けられた重機関銃に撃たれてはどうしようもなかった。腹から強引に真っ二つにされ、鮮血を撒き散らしその場に崩れ落ちる。


 最近は厄介なミュータントとばかり戦って疑い深くなっていたハンターたちは、傷口がうごめいてまた一つにくっつくのではないかと注視していたが、どうやらそんなこともなさそうだ。


 弛緩した空気が流れる。次の瞬間、ノーマンの脳裏に血なまぐさい記憶が甦った。


「もう一体来るぞ、気を付けろ!」


 言い終わる間もなく飛び出した影がTD号の砲塔に乗った。粘土の巨人に比べて眼の錯覚かと思えるほどに細い、右腕が巨大な剣となっているミュータントだ。


 ミュータントは剣を突き入れるために右肘を軽く引いた。この間、わずかに一秒弱。ノーマンの眼が恐怖に見開かれる。


(馬鹿な、いくら鋭かろうが剣で戦車の装甲を貫けるはずがない。可動部を狙えばいけるかもしれないが、ミュータントにそんな知能が……)


 心の奥底にしまいこんでいた忌まわしい記憶が紐解かれた。弄ばれた仲間の死骸、恐怖と絶望に歪んだ顔。しかしその首は体とは別人のものだ。ふたりの首を切り落として、取り替えて乗せるという悪趣味な遊びをミュータントがやってのけたのだった。品性はともかく知性がある。そう評したのは誰だったか。


 チサトが剣の巨人を振り落とそうとするが、敵の動きが一瞬速い。コンマ一秒を争う戦いは第三者の放つ弾丸により決着した。


 剣の巨人の側頭部に突き刺さる十数発のライフル弾。頭部を失った最速のミュータントは砲塔から転げ落ちた。


「サンキュー、助かったぜ」


「いいさ」


 その男、ディアスはミュータントの死体に二度、三度と弾丸を撃ち込み、動かないことを確認してようやく警戒を解き銃口を下ろした。


 アイザックが頭に積もった砂と埃を払いながら二体のミュータントの死体を交互に見下ろす。


「まったく、最低の同窓会だ」


「知り合いか?」


「腐れ縁さ」


 言いながら腰に差したサムライソードの柄を軽く叩いて見せ、ディアスもそれで納得した。前回の遠征時、ディアスたちは遺跡の探索には参加していないが報告書くらいは読んでいる。アイザックとノーマンが倒したという中型ミュータントだ。


「それじゃあ、駐車場を出るか」


 ディアスがそう言いかけたとき、背後から伝わる何者かの気配があった。振り返ると十数メートル先に居たのは巨大な粘土の塊であった。


 思わず先ほど倒した粘土の巨人を見ると、死体は確かにそこにあった。壊れた水道管のように大量の血を流し続けている。


「つまり、二体目のご登場というわけか」


 こうなると剣の巨人も柱の陰にでも隠れて奇襲の機会を狙っていると考えるべきだろう。そして三セット目、四セット目と続く可能性すら出てきた。


 この時点でディアスは知らぬことだが、これは各階の守護者たちがドクの命令により次々と集まっているのであった。地上三十階、砂に埋もれた階層が二十階、地下十二階。単純計算でそれだけのミュータントがいることになる。


「……本当に、最低の同窓会ね」


 カーディルが眉をひそめて言い、アイザックは肩をすくめて見せた。さすがに笑えない状況だ。

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