第231話

 勝機が見えないから撤退する、それはハンターとして正しい行動だ。慎重さ、臆病さは生き延びるための重要な資質であり、非難するのはいつだって安全な位置の赤の他人だ。


 勇敢なハンターは存在しない、そんな奴はすでに死んでいる。酒場でよく言われるジョークである。生き延びること、より正確に言えばカーディルを生かして帰すことを第一に考えるディアスにとっては真理とも思えた。


 だが今回に限っては、マルコはそう簡単にドク討伐を諦めてしまうのかと疑問を抱き、不快でもあった。しかもマルコはそれを笑いながら告げたのだ。


 マルコのドク討伐にかける情熱は相当なものであったはずだ。散っていった仲間たちの仇討ちであり、託された使命でもある。


『勝てそうにないから、やーめたッ』


 などと、へらへら笑って言えるようなものだろうか?


(いや……、それはないな)


 シーラ、ベンジャミン、ロベルトを失ったときに見せた表情。マルコが今まで街を守るために成してきたこと。それらは全て本物だ。


 ディアスは己の人を見る眼に自信があるわけではないが、マルコに心変わりはないという確信があった。少なくとも、そうであって欲しいという願いがあった。


 ならば何故マルコは笑いながら撤退するなどと言ったのだろうか?


 ディアスはそれを、


『僕に考えがあるから乗ってくれ』


 という意味だと解釈した。


 詳しく説明している時間は無い。あるいは通信傍受を警戒してのことだろうか。


(これが穿うがち過ぎで、博士は自棄やけになっていただけだったら笑えないな……)


 などと考えつつ、ディアスは振り向き親指をぐっと立てて見せた。カーディルは小さく頷く。それで全て伝わった。


「わかりました、撤退します」


 通信機の向こうからどこか安心した空気が伝わった、ような気がした。


 牽制けんせいの一撃を放ち、23号は全速力で後退した。脱兎と呼ぶには大きすぎるが、とにかく見事な逃げっぷりであった。


 逃げる二台のトレーラー。それを追うピースメーカー。そして間に入る23号。


 強引に突っ込んででもマルコのトレーラーを逃がすまいとするドクであったが、ディアスの牽制により思うようにはいかなかった。トレーラーへの射線を遮っては消える23号が鬱陶うっとうしくて仕方がなかった。


 さらに後方からロケット弾が追いかけてきた。ドクの意識がトレーラーにだけ向けられていると看破したアイザックが参戦してきたのだった。


 何もかもが上手くいかない、噛み合わない。この場にピースメーカーに勝る戦力など無いというのに。


 飛来する徹甲弾がピースメーカーの車体を削った。直撃ではないが、一部の装甲が剥がれ脈打つ臓器が露出する。


「……え?」


 撃った当人が口を開けたまま驚いていた。当てるつもりで撃ったのだから当たったところでおかしなことは何もないのだが、何故ドクは回避することが出来なかったのだろうか。


 これは偶然などではない、ピースメーカー攻略の鍵があるのではないかと必死に考えた。


 ピースメーカーには自己再生能力がある。この一撃は大したダメージではないが、ディアスに大きなヒントを与えてくれた。


(そうか、奴は今焦っているんだ……)


 ドクはミュータントとなって戦車と一体化した。では、この状態から人間に戻ることは可能だろうか?


 無理だろう。人間がミュータント化した事例はいくつも見てきたが、あの激しい変化は取り返しのつかないものだ。


 ミュータント化したドクは、死ぬことでしかリセット出来ない。


 臓器と一体化した戦車はどうか。これも元に戻すことは難しいだろう。肉も臓器も血管も取り除き、破損箇所を修繕して電子機器を接続し直す。これは相当な手間だ。下手をすれば新しく製造したほうが早いかもしれない。


 つまり、このミュータント戦車は一度限りの使い捨てであり、ドクにとっては最後の切り札だったのだ。


 マルコたちに逃げられ、また二、三日後に攻められたりすれば対抗する手段が無い。いつまでもしつこく追いかけてくる狂人どもはこの場で一掃してやりたい、というのがドクの考えなのだろう。


(奴は焦って注意力が散漫になっている。このまま引きずり回してやれば勝機はあるか……?)


 ディアスの全身に熱い血が廻り、一時的に疲労を忘れさせた。


 ピースメーカーの砲弾を避け、カウンターで放った徹甲弾は避けられはしたものの紙一重であった。今までのような余裕のある回避ではない。


 近づく金属反応。ノーマンのTD号改がピースメーカーの背後を取るように動いていた。


 これならばいける、と意気込むディアスの耳に、カーディルの暗い呟きが聞こえてきた。


「ディアス、トレーラーの速度が……」


 それ以上詳しくは言わなかった。何のことかとディアスはモニターを見て愕然がくぜんとした。ピースメーカーとトレーラーの距離が徐々に詰まっているのだ。ピースメーカーが速度で勝る。


 ディアスたちもなんとか走行を妨害しようとはするが、ピースメーカーは止まらない。マルコが殺されてしまえばディアスたちはもう組織的な行動を取ることは出来ない。事実上の敗北だ。


(俺たちはまだ、奴を追い詰めてなどいなかったか……)


 後はマルコがどんなつもりで撤退を指示しドクをあおったのか、そこに賭けるしかない。




「馬鹿が……。撤退することで戦局を動かしたつもりだろうが、浅知恵と言う他は無いな!」


 ミュータントの肉と融合し引き吊られたドクの表情が醜く歪む。


 ディアスたちの攻撃が鬱陶しくはあるが、このまま強引に攻めれば勝利は確定だ。トレーラーを破壊した後で、帰る場所を無くした連中をゆっくりと始末してやればいい。


 二輛の戦車から放たれるタイミングを合わせた十字放火。このまま進めば確実に命中、大破することだろう。


「見事な一撃、と褒め称えたいところだけどなぁ!」


 ドクは砲弾のコースを読みきった上での急停止、急発進によって最小限のタイムロスで乗り切った。


 普通の戦車ならば履帯に大きく負担がかかっただろうが、ミュータント化したピースメーカーは衝撃を全て吸収して何事もなかったかのように走り続けた。


 マルコの一党を皆殺しにすればドクを倒そうなどという酔狂な連中は居なくなる。改めてゆっくり準備を整えて、他のミュータント生産施設のある地域に移住すればいい。数十年か、あるいは百年がかりでも、必ずこの地方に戻ってきてプラエドの街は滅ぼしてやろう。


 ドクの希望に満ちた未来図は足元から膨れ上がった光りに包まれ、爆音と共に消し飛んだ。

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