第230話

 後退するピースメーカーから禍々しい気配が立ち上る。


 損傷箇所から流れるどす黒い液体はオイルではなく、血液。


 神経接続式戦車とは体の一部を動かすのと同じように操縦できるというものだが、ドクは今本当に戦車と一体化してしまった。ドクの体はぐずぐずに溶けてミュータントと混ざりあい、胸と顔だけがかろうじて形を保っていた。


 ミュータント化することに覚悟はいらない、人間を辞めることに悲壮感はない。戦いが終わればこの体を棄ててしまえばよいだけの話だ。自分を虚仮にした野蛮人どもは生かしておけない。ドクの頭にあるのは傲慢さを極めた怒りのみであった。


 みしみしと危険な音を立てて接着された砲塔を無理矢理に動かそうとした。


「馬鹿な、旋回装置が本格的に破壊されるぞ……」


 ディアスは粘着弾の恐ろしさをよく知っているからこそ、ドクの行動が不可解であった。


 ミュータントが吐く粘液の強度を知らないのだろうか、あるいは再現することなど不可能だと高をくくっているのだろうか。その考えはすぐに捨てた。ドクは己を特別と信じるあまり他人を見下す悪癖があるが、ことミュータントに関する知識は一級品だ。全て承知の上で砲塔を回そうとしていると考えるべきだろう。


 当然の成り行きと言うべきか、荒野に鈍い金属音が響き渡り、致命的な何かが壊れた。ピースメーカーの砲塔が軽く傾いている。これでは旋回は出来ないであろうし、主砲を放つことが出来るかどうかも疑わしい。


 23号の車内にガコン、と鈍い音がして装填の完了を知らせた。撃つならば今が最大の好機、しかしディアスは動かなかった。まとわりつくような悪寒、ハンターのカンが告げる、奴は危険だと。


「カーディル、一時後退だ!」


「え?」


 戸惑いはしたものの、カーディルは素直に従い全速でピースメーカーと距離を取った。


 次の瞬間、ピースメーカーの傾いたままの砲塔が素早く動いた。それは機械よりも生物的、人間が振り向くのと同じような滑らかな動きであった。


 旋回装置は確かに壊れた。だがすぐに肉と血管が増殖し繋いだのだった。そこにあるのは戦車の形をした戦車ではないもの、一個のおぞましい生命体だ。


 ピースメーカーの主砲から徹甲弾が放たれる。それはピースメーカーが戦車であった時とは段違いの速さであった。


 閃光の矢を紙一重で避けたカーディルの背に冷たい感覚が走る。まるで悪魔に脊髄せきずいを捕まれたような気分だ。もしも距離を開けていなければどうなっていたか、想像するのも嫌になるくらいに恐ろしい。


 ディアスがコンソールを操作しながら戸惑ったように呟いた。


「薬莢が付いたままだ……」


「なんですって?」


 意味がわからない、といった顔をするカーディルのゴーグルにデータが転送された。速すぎて少々ぼやけた画像ではあるが、つい先ほど放たれた砲弾であり明らかに形がおかしい。


「これはあくまで仮定の話だが……」


 と、ディアスは自信なさげに言った。


「炸薬で飛ばしているのではなくもっと生物的な何かで飛ばしているのではないだろうか。豆を口に含んで吹き出すような」


「それであの威力とか、シャレにならないわね」


 非常識極まりない。そして常識が通じないのがミュータントだと、ふたりは身に染みてよくわかっている。


 第二射が放たれた。これもなんとか避けるが非常にやりづらい。音も光りも硝煙もなく、高速で飛来する砲弾を避けなければならないのだ。ジャングルで姿の見えぬスナイパーに狙われるのはこんな気分だろうか。


 相手の攻撃に合わせてディアスも撃ち返すが、これはあっさりと空を切った。距離が3キロメートルもあればドクは目をつぶってでも避けられるだろう。


(どうする、どうすればいい……?)


 このまま目的の無い撃ち合いを続けても活路は開けないだろう。偶然当たってラッキー、などという展開は期待するだけ無駄だ。


 装填、発射のサイクルが早いのだから砲弾の消費量も相当なものだろう。ならば弾切れを待ってはどうか?


 ……これもすぐに否定した。


 ピースメーカーは超重戦車とでも呼ぶべき代物だ。当然、砲弾の積載量も多いだろう。下手をすれば23号の倍近くあるかもしれない。


 また、あまり時間をかければカーディルの疲労が蓄積し、突然プツリと意識が途絶えてしまうかもしれない。時間をかけることは不利でしかないのだ。


 ディアスは考え続けた。過去の戦い、その記憶と経験を引きずり出すが光明は一筋たりとも見えなかった。


 思えば総合的な能力で勝る戦車と戦うのは初めてかもしれない。神経接続式戦車同士の戦いはあったが、あの時は乗組員の技量という点で勝っていたし、相手は精神的に追い詰められてもいた。決して対等の勝負ではなかっただろう。


 幸いにして23号とピースメーカーの最高速度はほぼ同じであり、なんとか距離を保つことは出来た。逆に言えば、逃げることしか出来なかった。


 一方でアイザックとノーマンも戦闘に参加できず、ただ遠巻きに見守るしか出来なかった。23号が敵を引き付けている間に側面へ回り込んで攻撃するのが当初の予定であったが、ピースメーカーがミュータント化してからは反応速度が大幅に上がり、隙を突くということが難しくなったのだ。下手に手を出しても足を引っ張ることにしかならないだろう。


 誰もが考えていた、どうにかしなければと。


「やあディアス君、聞こえるかい?」


 場違いなほど明るい声、マルコからの通信だ。


 何か逆転の秘策を用意してくれたのだろうか。そう期待して聞いていると、マルコはとんでもないことを言い出した。


「こりゃあ無理だね。勝てないよ、逃げよう」


「……はい?」


 言葉の意味を理解するのにしばしの時間を要し、即座に返答は出来なかった。

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