第229話
ドクは己の戦車をピースメーカーと名付けた。
平和を築く者。人間が居なくなれば戦争は起きないなどといった小賢しい考えというよりも、自身の心の平穏を願って付けた名であった。
23号よりもひとまわり大きな戦車をドクはひとりで動かしていた。頭をすっぽりと覆うゴーグルによる、脳波コントロール式である。これならば四肢を切り落とすことなく、眼球を改造することもなく、戦車を手足のごとく自在に操ることが出来る。
これが文明の差だ。自らの体を機械化するような涙ぐましいことをせず、奴らよりも自在に操れる。ドクは自分が野蛮人どもよりも高位な存在であると信じて疑わなかった。
操作システムのみならず、自動装填装置もずっと高性能であった。23号が一発撃つ間にピースメーカーは三発四発と続けて撃つことができる。片や火縄銃、もう片方はスペンサー銃で戦っている幕末の構図のようなものである。文明の差とはそうしたものだ。
最強の戦車、トップハンターという名誉を欲しいままにしてきた、
『Type-23 TheBurst』 通称23号は今、性能面で押し負けていた。
「避けづらいったらありゃあしないわ!」
カーディルの文句にディアスは薄く笑った。彼女は避けられないではなく、避けづらいと言ったのだ。今はそれで十分だ。
砲弾が23号の側面装甲を削り、車内に激しい振動が伝わる。しかしディアスに動揺は無い。当たったのではなく直撃を避けたのだ、と。
「これを惜しいと思っているなら、百発撃っても当たらんぜ」
不敵な笑みを浮かべて即座に撃ち返す。ドクは大きく旋回してこれを避けた。
1キロメートルの間を開けて噛み合う鋼鉄の獣たち。咆哮の代わりに砲弾が空を切り裂き、鳴き叫ぶ。
「虫けらがちょこまかと!」
通信機からドクの呻きが聞こえた。
良い感じに温まってきたわね、とカーディルが呟き、ディアスも深く頷いた。
追撃とばかりにディアスはマイクを拾い上げる。
「性能で劣る戦車に勝てないというのは……」
芝居がかった仕草で一呼吸置いて、フンと鼻を鳴らしてから続けた。
「乗り手の腕が悪いからだ」
「調子に乗りやがって……ッ!」
挑発に乗って突っ込んで来るようなことはなかった。だが心に
以前、アイザックからドクと対峙したときの話を聞いたことがある。
『銃を抜くのがすげぇ速かった。ディアスと同等かそれ以上かもしれん』
という、あまり嬉しくない感想を頂いたものだ。
長く、永く生きるなかで様々なスキルを身に付けたのだろう。射撃技術もその内のひとつだ。戦車の操縦にも長けていると考えて間違いはあるまい。
それでも負ける気はしなかった。命がけの戦い、真剣勝負の場数ならばこちらの方が上だという確信がある。
(安全な位置から他人を見下して偉くなった気になり、いくらでも替えの利く命を放り出して対等の勝負をしたつもりになっている奴に、俺たちの戦いを否定されてたまるか……ッ)
二輛の戦車はさらに速度を上げた。撃つ、避ける、
どれだけ美しく人を魅了しようとも、いずれどちらかが血の海に沈む。
500メートルまで距離を詰めてピースメーカーは四門の大型機関銃を、23号は二門のガトリングガンを放った。
互いに分厚い装甲を抜くことはできないが、電子機器に異常が発生しモニターに砂嵐が混じる。
今、ドクにはディアスたちが、ディアスたちにはドクしか見えていなかった。目を離すことが出来なかったのは確かだが、これはあまりにも
ピースメーカーのレーダーには映っていた、しかしドクの目には入っていなかった。
クラリッサはじっと照準機を睨み続けていた。
深く息を吸い、吐く。このまま窒息してしまうのではないかと思えるほど息苦しかった。
ピースメーカーが動けば23号も動く。逆もまたしかり。パターンを完全に把握することは不可能だとしても、どこかに隙ができるはずだ。
(ディアスさんは言っていた。スナイパーの仕事の八割は待つことと、耐えることだと……)
距離、風速、湿度、砲弾の速度。様々な情報が網膜に浮かび上がり脳内へと流れ込む。
いつまでもこうして待ってはいられない。ドクがこちらに注意を払うかもしれないし、23号が破壊されてしまうかもしれない。
脂汗が滲み出て、指先が微かに震える。さっさと撃って終わりにしたいという破滅願望にも似た思いをクラリッサはなんとか押さえつけた。
自分はもう守られるだけの存在ではない、戦うためにここへ来たのだ。その
やがて全身に電流が流れるような感覚があった。異常ではない、閃きだ。極限まで高められた集中力が見せた光景。全ての条件が合致し、数秒後にTD号改とピースメーカーが一直線で結ばれるという確信があった。
カチリ、と味気ない音を立てて発射装置が押し込まれた。
何もない空間に向けて放たれた砲弾。次の瞬間、23号の主砲を避けたピースメーカーが吸い込まれるようにその位置へ来た。
側面への直撃、だが装甲を貫くことはなかった。
「なんだとッ!?」
ドクは驚愕の叫びをあげた。
TD号改の存在を忘れていたわけではない。雑魚の弾などいつでも避ける自信があった。ドクの腕とピースメーカーの性能があれば造作もないこと、そのはずだった。だからこそ23号との戦いに集中していたのだ。
飛来する砲弾ならば避けられただろうが、今回は自ら当たりに行ったような形であった。計算を越えた閃き、それが直撃という形でドクを襲った。
「大したダメージは無い! そんなに死にたければ貴様から殺してやる!」
急速後退して23号と距離を取り、砲塔をTD号改へと向けようとしたが、そこで異常を知らせるブザーが鳴り響いた。砲塔が何かで固められて動かない。
それは蜘蛛型ミュータントの粘液を解析して作られた特殊砲弾であった。量産は間に合わずただ一発しかなかったが、クラリッサは見事に命中させた。
広がる精神的動揺、どちらを先に倒すべきかという一瞬の迷い。それを見逃さぬ男がいた。
後部から激しい衝撃が伝わる。走りながらモニターを確認すると、使い捨ての対戦車ロケットを放り投げるアイザックの姿があった。
戦車は基本的に正面装甲が一番分厚く、次いで側面、後部、上部と薄くなっていく。手持ちのロケット弾とはいえ弱点を的確に狙われたのでは被害は小さくない。
エンジンが悲鳴をあげて速度が一気に落ちる。
活路を求めてモニターを睨むドクの目に入ったものは、側面へと回り込む漆黒の死神。距離、十数メートル。
「おのれ、一対一ならば貴様なんぞに……ッ!」
「そうでないことは最初からわかっていたはずだ」
あらゆる理不尽も飲み込み、状況に対応しなければならないのがハンターというものだ。三対一の勝負と知っていながら、後からルールに文句を付けるのは負け惜しみにすらなっていない。ディアスはこの男に一片の敬意も持つことはできなかった。
純粋な殺意と共に放たれた徹甲弾がピースメーカーの側面装甲を貫いた。この位置ならば機器も乗員も無事では済まないはずだ。
「ディアス……、ディアァァァスッ!」
呪詛と絶叫。ピースメーカーからは白煙が漏れ出す。
これで終わったはずだが、ディアスはモニターから目を離すことが出来なかった。嫌な予感が晴れないのだ。
(ドクの不死性を必要以上に恐れている、つまりはビビっているのか俺は……?)
いや、とすぐに考え直した。臆病はハンターが生き残るための秘訣だ。何もなければ笑って誤魔化せばいいだけの話である。
次弾を装填する時間がやけに長く感じる。ピースメーカーから漏れ出す白煙が次第に濃くなってきた。
内部から炎上しているのではない、これは煙幕だ。そう気付いた瞬間、
「全車両、後退!」
と、叫んで23号は脱兎のごとく逃げ出した。TD号改、アイザックバイクもそれに続く。
白煙を切り裂き砲弾が放たれた。23号の左側、ガトリングガンとセンサーの一部が持って行かれる。
判断が一瞬遅れていたら直撃していたかもしれない。そう考えれば安い代償だ。
晴れる煙幕、変わらず佇むピースメーカー。
貫いたはずの装甲の穴を塞ぐのは赤黒く脈打つ臓器。
「野郎、ミュータント化しやがった……」
アイザックは双眼鏡を構えたまま、認めたくない現実を奥歯で噛み潰すように呟いた。
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