第227話

 ついにその日がやって来た。


 天を覆い尽くすと思われた肉食蝿は各地へ飛び去り、ノーマンたちは訓練を終え、カーディルの疲労も抜けた。


 今こそドクを討ち果たす時である。丸子製作所の正面出入り口に停まる大型トレーラーが二台。一台は燃料や砲弾を積み整備機器を整えたものであり、もう一台は食料や医薬品、簡易的な宿泊施設を整えたものであった。


 戦力となるのは戦車が二輛とバイクが一台。


「……これだけですか」


 カーディルが当然と言えば当然の疑問を口にする。隣に立つディアスも少々期待はずれといった顔をしていた。


「残念ながらね、これが僕の精一杯さ」


 と、マルコは投げやり気味に言った。


「中央議会でもドク討伐の必要性を説いて金と人を引っ張ってこようとしたんだけどね。僕はほら、いわゆるロベルト派の人間として見られていてさ。誰も話をきかないどころか居場所も無いって有り様だよ」


「マルコ博士は大戦の英雄ですよね。発言力が強まったりとかはしなかったんですか?」


「用済み、というのが議会の総意さ。何の権限もない名誉職に据えられてそれでおしまいだ。僕らが勝つために頭を捻っている間、対立派閥の連中は根回しをしていたってわけさ。まったく政治屋の逞しさこそ恐るべし、だな……」


 言葉の節々から滲み出るのは悔しさよりも、奴らには関わりたくないといった感情であった。本来、マルコは研究畑の人間であり政治や権力闘争に向いてはいない。


 もう、うんざりだというのが紛れもない本音だろう。


「討伐の必要性についても疑問視されたな。ミュータント生産施設が破壊されたなら悪さもできないだろう、とか。遺跡に居るかどうかも確実ではないとか。逃げ出して別の地域に逃げてくれるなら結構なことじゃないかとか。どれもこれもごもっともだよ、畜生め」


「ドクを放置しては、必ず世に災いを撒きます」


 ディアスが眉をひそめて言い、マルコも力なく頷いた。


「自宅の修繕に金は出せても、世界の危機には出せない。それが人間というものさ。落ち目のくず鉄屋と抱き合って溺れたくはないそうだ」


「……博士」


「うん?」


「ドクは必ず、俺たちが殺します」


 やると言ったらやる男である。逆に少しでも自信がなければ口にしない奴だ。そんなディアスが今、胸を張ってドクを殺すと言った。ならば、やってくれるのだろう。


 マルコは己の人生が肯定されたような気分であった。無駄な遠回りばかりしてきたが、無駄なだけでもなかった。


「期待しているよ」


 それだけ言ってマルコは背を向けてトレーラーに乗り込んだ。弛んだ口元を見られたくなかったのかもしれない。


 マルコと入れ替わるようにアイザックとノーマンがやって来た。


 出撃前の挨拶に来たのだろうが、


「よう」


「おう」


 と、短い言葉を交わしただけで後が続かなかった。


 落ち着いて話がしたいと思ってはいたが、こうして顔を会わせると何も言葉が出てこなかった。


 思い返せば長い付き合いである。逆に言えば、彼らしか残らなかった。


 辛い戦いばかりだった。大切な人を多く失った。今さら死者を悼んで思い出話でもないだろう。


 言葉にする必要はない。みんなわかっている。誰からともなく頷きあった。


「じゃあな、死ぬなよ」


 アイザックはそれだけ言って踵を返した。ノーマンも仲間たちの待つ戦車へ戻る。


 戦友を見送るディアスの肩に、カーディルはそっと頭を預けた。


「死ぬな、だってさ……」


 寂しげに呟くカーディルの肩を、ディアスは力強く抱き寄せた。




 プラエドの街から500キロ地点。半分以上が砂に埋もれた旧世紀の高層ビル。その地下深くにドクの研究所があった。


 まだ生き残っているネットワークを介してミュータント生産施設のある場所を探り当てた。人格転送やクローン生産も出来る、最高の環境だ。


 こうした施設は核攻撃にも耐えられるシェルター内に作られることが多い。残った施設は世界各地にまだまだ沢山ある。


 すぐにでもこの忌々しい土地から離れたかったが、肉食蝿の異常発生により身動きが取れなかった。


 ミュータントに襲われぬよう操ることは出来るが、肉食蝿だけはどうにもならない。覚えているだけでも肉食蝿に食い殺されたことが三回ほどあった。


 一ヶ月以上も経ってようやく肉食蝿が散り、外に出られるようになった。


 目標地点まで5千キロメートル。ミュータントに襲われないとはいえ長旅である。車に水と食料、研究資料などを積み込まねばならない。


 ひとりでやっているのでかなり時間がかかる。人格のコピーとクローンの生産が出来るのだから人手が欲しければ自分を複数用意すればよいのではないか、という考えは実行出来なかった。


 同じ人格を持つ者が出会えばその場で発狂してしまうのだ。何故そうなるのかはわからない。人の精神はいまだ解明されていない部分が多く、わからないま丸ごとコピーしているのだった。


 ドッぺルゲンガーに出会えば命を落とす。生命を冒涜する技術のもとに、悪霊の伝説は甦った。


 積み荷のリストを作っていると、ふと迷いが生じた。あの女の体をどうするかだ。

遠い昔に自分が愛したらしい女。今はただのオブジェであり、性欲処理の道具に過ぎない意思なき肉人形。


 棄ててしまおうかとも考えたが、心の奥底に未練がこびりついていた。移住してからやっぱり必要だったと後悔するのも馬鹿々々しい。


 しかし人間ひとりを乗せるとなるとそれだけ場所を取る。生き人形である女には点滴や栄養剤の注射が必要で面倒だ。死なせてしまえば車内に腐敗臭が充満することになる。


 どうしたものかと思案していると、素晴らしいアイデアが降りてきた。


(そうだ、首を切断して頭部だけ持っていこう)


 遺伝子情報さえあれば向こうでクローン体が作れる。細胞ひとつから培養となると時間がかかるが、頭部丸ごとあればかなり楽になるはずだ。切った頭はクーラーボックスにでも入れておけばいい。野蛮なハンターどもの知恵もたまには役に立つ。


 ドクはツールボックスからチェーンソーを取り出し女の部屋へと入った。


 豪奢ごうしゃなベッドにウェディングドレスを纏った女が横たわっている。物音に反応して瞼が開き、眼球がドクへと向けられる。


 だがそこまでだ。それ以上の動きは何もなかった。


 ドクはチェーンソーのエンジンを始動させ振りかぶった。何の感情もない、無表情だ。どうせすぐに再生産出来る。


 振り下ろす直前になって隣の研究室からピー、ピーと甲高い電子音が聞こえた。レーダーが何かを捉えたらしい。


 舌打ちをしてエンジンを切り、チェーンソーを放り出してレーダーを確認した。複数の金属反応がこちらに向かって来ていた。


 映像をモニターに出す。そこに映るのは戦車が二輛とバイクが一台、トレーラーが二台。


 あの戦車には見覚えがある。火竜を貫いた忌々しい戦車、ディアスの23号だ。


 あのトレーラーにも見覚えがある。地竜を巻き込んで自爆したものと同型だ。


「丸子製作所のご一行が私を殺しに来たというわけか。せっかく見逃してやろうと思っていたのに、馬鹿な連中だ」


 カメラを切り替え、モニターに映る格納庫。うずくまる黒い影。23号よりもさらにひとまわり大きな戦車であった。


「直接手を下すのは主義に反するが、仕方ないよなあ?」


 計画を台無しにしてくれた連中を技術、文明の差で蹂躙じゅうりんすることに、ドクは暗い悦びを覚えていた。

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