第226話

 太陽が頭上で燦々さんさんと輝く時間。


 チサトはオープンカフェにてぼんやりと辺りを眺めていた。自分たちが守った街、などという感傷に浸っているわけではない。ただ前を向いているだけで彼女の瞳には何も映っていなかった。手つかずのコーヒーはすっかりぬるくなり、舞い込んだ砂がうっすらと浮かんでいる。


(変わらないな……、何も)


 多くのハンターたちが死んでいった。数えきれぬミュータントを殺し尽くした。チサトは己の半身ともいえるパートナーを失った。


 それでも、何も変わらない。街の人々は相変わらず忙しなく動き回り、太陽は今日も明日も昇って沈む。


 あの戦いで何が変わったのだろうか。ひょっとすると自分は必要の無い戦いに参加して、決して失ってはならない友を失ったのではないか。ついそんなことを考えて気分が際限なく沈んでいく。


 この店は以前、ディアスがドクを殺した場所だ。よく見ればウッドデッキに血の跡が残っている。しかし誰もそんなことは気にしていない。


 よく見なければ気がつかないし、気がつかないものは存在しないも同然だ。


(ハンターの生死も街の人々は気にしない。じゃあ、それは存在しないのと同じなのかな……?)


 喧騒けんそうが段々と遠ざかり、やがて何も聞こえなくなった。


 そうしていつまでも動けずにいて時間の感覚もわからなくなった頃、テーブルに影が落ちた。


 見上げるとそこにはふたりの男女がいて、椅子を引き寄せて座るところだった。


 他に空いているテーブルはいくらでもある。むしろ客はチサトしか居ない。


 何のつもりだろうか。警戒しながら右手をホルスターに伸ばす。場合によっては血の染みをふたつ増やすことになるだろう。


「俺の名はノーマン。で、こっちがクラリッサだ。よろしく」


 男はいきなり名乗り、女が会釈する。思い出した、男の方は丸子製作所で何度か見かけたことがある。女にも見覚えがあるような気がしたが上手く思い出せなかった。


 怪しいことこの上なしだが、自己紹介をされた以上は無視するわけにもいかずチサトも名乗ることにした。


「私はチサト。……それで、何の用かな」


「あんたをスカウトしに来た。ディアスの紹介だ」


「ディアスさんの?」


 半信半疑といった表情を浮かべるチサトに、ノーマンは一枚の紙切れを差し出した。そこにはチサトの名と見た目の特徴、住所などが書かれていた。下手くそが一生懸命綺麗に書こうとした字、確かにディアスの筆跡だ。


「腕のいい操縦手がいると聞いてな。次の遠征に是非とも付き合ってもらいたい」


 憧れのトップハンターが腕のよさを見込んで紹介したということに一瞬顔が弛む。しかしチサトは即答する気にはなれなかった。


 条件は悪くない。報奨金が出たことでしばらく生活には困らないが、いつまでもカフェで呆けているわけにもいかない。戦車は向こうで用意している、丸子製作所の関係者となれば身元もしっかりしている、ついでに年も近い、男だけのチームに入るわけでもない。文句を言えばバチが当たりそうだ。


 原因はチサトの側にある。必死に戦う理由が見つからないのだ。いわば燃え尽き症候群、バーンアウト。


 ドクを放置してはおけないことはわかる。だがそれは自分がやらねばならないことだろうか。何もかもを失い、何も得ることがなかった自分が。


「あなたは何のために戦うの?」


 素朴な疑問であった。愛車を失い戦車を失ったという点ではノーマンも同じはずだ。それなのに何故、立ち上がれるのか。


 ノーマンは答えに詰まった。ハンターが戦う理由など金のため生活のために決まっている。命がけで戦う誇り高き戦士などではなく、命くらいしか賭けられるものがなかったろくでなしの集まりだ。


 ではノーマンがドクを倒そうとするのは金のためだろうか。それは断じて違う。


 愛と正義と平和のため。そうしたものを大事にしたいという気持ちはあるが、信念と呼べるほど確固なものでもないような気がする。


 家族や仲間たちの仇討ちのため。それは確かに大きいが、復讐心だけで動いている訳でもない。


 何故戦うのか。何故、何度も地獄を見ながらまた戦場へ戻るのか。そうしたものを言語化することの難しさを味わっていた。


 ここで答を間違えればチサトは仲間になってはくれないだろう。しかし、彼女の顔色をうかがって心にも無いご立派な台詞を吐くような場面でもないように思えた。


 どうにでもなれ。本音を吐いて仲間になれなかったのであれば、それはそれで仕方がない。


「ドクの野郎が気に食わねぇから殴りに行くんだよ」


 チサトの顔に浮かぶ驚き、呆れ、そしてわずかな同調。チサトは真横を向いて、


「どうしようか?」


 と、語りかけた。


 ノーマンとクラリッサが視線を追うが、そこには誰も居ない。相変わらずチサトは空気と話し続けていた。


「うん、……うん、そうだよね」


 チサトは満足気に頷き、ノーマンたちへと向き直った。


「わかったわ。私たちも仲間に入れて」


「へ? ああ、うん、よろしく

 魅力的な笑顔であったが、どこか死人が笑ったような不気味さも感じていた。差し出された右手を握ると確かな温かさがあった。チサトは間違いなく生きている。


 ノーマンは一瞬でもチサトが既に死んでいるのではないかと考えた己の想像力の豊かさに呆れてしまった。誰に向かって話しかけていたのか、私たちとはどういうことか、気になることは他にもあったがあえて触れないことにした。


 トップハンターが太鼓判を押す優秀な操縦手が仲間になり、戦車が動くのであればそれでいい。


 さっそく戦車を見せようと言ってノーマンが立ち上がるとチサトが、


「そういえば……」


 と、何かを思い出したように言った。


「私、ジープの運転は出来るけど戦車は初めてなんだよね」


「……はい?」


 それから遠征までの一ヶ月。ほぼ毎日のように演習場を走り回る新型戦車の姿があった。

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