絶望の夜を越えて
第223話
荒野の総力戦から三日後。カーディルは丸子製作所の病室で眠り続けていた。あれからずっと目を覚まさない。
ディアスはベッドのすぐ側にパイプ椅子を置いて座り続けていた。床ずれにならぬようたまに身体を動かしたり、水を飲ませたりと甲斐々々しく世話をして、それ以外のときはずっと眠り姫の顔を見つめていた。
家には一度も帰っていない。眠るときも座ったままである。
目を細めうつらうつらとしていたディアスの耳に足音が聞こえた。彼の意識はすぐさま覚醒し、視線をドアへと向けてショルダーホルスターの拳銃に手を掛ける。
よく聞くと足音は生身と金属音が交互に動くものであるとわかり、ディアスは緊張を解いた。これはマルコ博士のものだ。
よっ、と手を振りながら入ってきたのはまさしくマルコであった。ディアスも軽い会釈を返す。
「おはようございます、マルコ博士」
「博士。ああそうだな、僕は博士だ。やっぱり司令なんてガラじゃないって」
「お見事な指揮官ぶりでしたよ。結構、向いているんじゃあないですか」
「君までよしてくれよ。思い出すだけで恥ずかしくなってきた」
ふたりは顔を見あわせ笑いあった。それは疲れの残った笑顔であった。
「カーディル君はまだ目を覚まさないのかい?」
「はい、あれから一度も。医師の話ではただの過労で、命に別状はないとのことでしたが……」
過労と口にしたときディアスの胸がズキリと傷んだ。そこまで無理をさせたのは自分だ。もっと早く彼女の異変に気付いていれば……。
(気付いていれば、何だ? 赤竜を放って離脱するべきだったのか。それが本当に正しい道だったというのだろうか?)
わからない。三日経って思い返しても答えが出なかった。
ふと気がつくとマルコが窓の外をじっと見ていた。ディアスも視線を追うが、そこに特別何かがあるというわけでもなかった。
「みんな、死んでしまったなぁ……」
窓に顔を向けたままマルコがしみじみと呟く。
丸子製作所に居るのが当たり前だと思っていたベンジャミンが死んだ。
メモ帳を持って元気に走り回っていた少女が死んだ。
その後ろを困り顔で追っていた少年が死んだ。
死んだという実感が無く、悲しいという感情が上手く湧いてこない。ただ、彼らとは二度と会えないのだということが不思議でならなかった。
「街の危機は去った。しかしね、もうひとり決して生かしちゃおけない奴が残っているんだよねぇ」
マルコの言葉に熱がこもり、すっかりクセになったのかネクタイを強く握りしめていた。
「行きますか。ドク討伐の遠征に」
「
「奴が黒幕だとわかっていても、ですか?」
「後々脅威になるとか、敵討ちだなんて言葉じゃ人は動かないよ。金も出ない。街の復興が最優先だと言われてしまえば僕だって首を縦に振らざるを得ない」
「あまり時間をかけてはドクが逃亡する恐れがあります。奴とて、我々がアジトに目星を付けたことくらいは気づいているでしょう」
しかし、とディアスの顔が伏せられた。カーディルが目覚めなければどうにもならないし、すぐに目覚めたとしても休みを与えたい。
マルコは、わかっているといったふうに頷いて見せた。
「いずれにせよこの先一ヶ月くらいは動けないよ」
「それはまた何故……?」
「戦いの跡地にね、肉食蝿が大量発生しているのさ」
新鮮な肉が大量に転がっていればそうもなろう。人もミュータントも区別なく綺麗に喰らい尽くされるのだ。
肉食蠅が去った後は
「それとミュータント生産施設のことだけどね。戦場とはまた別のところで爆発が起きて煙が昇っていたので調査隊を向かわせたのだけど、見事に破壊されていたよ」
「ミュータントの暴走によるものでしょうか。あるいは自爆か……?」
「データも全て消去されていたし、人為的なものだろうね」
生産施設の破壊によってこの地方のミュータントの数は減っていくだろう。だが平和になったと素直に喜べる気分でもなかった。
「ま、とにかくだ。一ヶ月後に遠征に出るからそのつもりでいてくれ。無論、街の都合やら肉食蝿が居座っているかどうかで延期するかもしれないがね」
それだけ言うとマルコは立ち去った。ドアを見るディアスの表情はどこか寂しげでもあった。
(恐らくこれが最後の戦いになる。そして、終わった後に俺もカーディルも生きてはいないだろう……)
それ自体は以前から覚悟していたことだ。無念も後悔もある、心から納得しているわけではない。ただ、仕方のないことだと。
一方で自分たちが死ぬことでマルコをさらに悲しませてしまう、それがとても申し訳なく思えてきた。
その日の夕方、マルコをさらに孤独へと追い込む知らせが入った。
ロベルト商会の総帥。中央議会議長。マルコの悪友であるロベルトが殺害された。
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