第221話

 最大の好機に一番早く飛び出したのはノーマンたちであった。燃料、弾薬、疲労、全てが限界に近い。だがTD号は突撃を敢行かんこうした。ここで命を燃やし尽くしても構わない。闘志と憎悪を糧に、前へ。


「ホルスト、ガトリングガンは行けるか!?」


「死に損ないをぶち殺すくらいはなぁ!」


 照準機いっぱいに映された漆黒の肉塊。

 左右に備えられた銀色の死神が回転し、吠える。


 人間とミュータントの区別なく、近付く者全てに死を振り撒いてきた悪魔が今、粉微塵に削られていく。


 数秒後、カラカラと回り暴力の余韻を残すガトリングガン。


 前方、地竜の肉塊があった場所には黒い水溜まりのようなものが出来ていた。地竜の残骸、なれの果ては乾いた大地に吸われ蒸発していった。


「これでおしまい、って訳……?」


 ルールーが戸惑いながら呟く。この世の終わりをもたらすとまで思えた邪神が跡形もなく消えていく。目の前で起きていることが夢か現実か、曖昧になっていた。


 あっけない、などと言ってはいけないのだろう、これは気が遠くなるほどの犠牲の果てにたどり着いた勝利だ。


「まだ終わっちゃいない! あと四つの塊も完全に消してやるぞ!」


 ノーマンが仲間と己自身を叱咤しったする。ルールーは夢から醒めたように顔を上げハンドルを握り直した。


「オーケー、一番近い奴に行くよ!」


「やってくれ!」


 若者らの気合いに応えるようにエンジンが唸り加速する。本当に良いエンジンだ。これを整備した男はもういないのだと思えば、ノーマンの胸の奥がズキリと傷んだ。


 いつも汚いつなぎを着て、下品なジョークを飛ばしながら整備工場内を小走りで動き回っているような男だった。顔に油がついているぞと指摘しても、


「目には入っていないから問題ない!」


 と、胸を張るような奴だった。


 ハンターとしては珍しく身だしなみに気を使うタイプの、洒落者しゃれものであるノーマンにとって話が通じないどころか理解不能な珍獣であった。


 愛車にからの酒瓶などというふざけたマークを付けられたのも、あのおっさんの悪ふざけによるものである。カーディルによって真実の一滴、トゥルードロップ号というもっともらしい名前を付けられその場は納得したものの、後になってやはりおかしいのではと首を捻ったものだ。


 しかし、遅かった。書類上もトゥルードロップ号で登録されてしまい、気軽に変えることが出来なかったのだ。いつかなんとかしようと思いつつ、ずるずると時間だけが過ぎ、現在に至る。


 振り返ればろくな思い出がない。それでも、あの男のことが嫌いではなかった。


「死んだ奴には、文句を言うことも出来ないんだよな……」


 ノーマンが寂しげに呟いた。愛車のエムブレムはこれからもずっと酒瓶のままだ。


 通信機から流れ出る雑多な情報をなんとか整理すると、肉塊が三体、他のハンターたちによって倒されたようだ。


 ならば正面100メートルに居るのが最後の一体だ。


「こいつでフィニッシュだ!」


 ホルストが発射装置に指をかけた瞬間、車内が凄まじい衝撃に包まれた。


「なんだ、どうした一体!?」


 非常灯に切り替わり、排煙装置で処理しきれぬ煙が漂いだした。


 ダメージチェック。グリーンからイエロー、レッドへとランプが次々に変化する。どうやらエンジン部を破壊されたようだ。


 砂嵐まじりのモニターに映る、砲塔を向けた戦車。


 味方に撃たれたのか。いや、よく見ると装甲のところどころから赤黒い肉が見え、血が流れ出している。


「寄生形までいたのか……ッ!」


 獲物を狙う瞬間こそ一番隙ができるという。警戒心が足りなかったということか。己を責めている時間すら惜しい。煙が濃くなるなか、ノーマンは拳銃とメディカルキットを掴んでハッチを開けて飛び出した。ホルスト、ルールーも後に続く。


 日が傾きノーマンの焦り顔をオレンジ色に照らす。


 幸い、あの寄生戦車はどこかに行ってしまったようだ。


 ミュータントがうろつき回るこの戦場から離脱せねばならない。ノーマンはコンパスを取り出し、それを見てさっと血の気が引いた。


 磁気嵐の影響でおかしな動きかたをしているのだ。荒ぶる針に視線を落としながらノーマンは考え続けた。どうする、どうすればいい?


 突如、後ろから背中を突き飛ばされた。二、三歩たたらを踏んで、眉をひそめて振り返った。


「おい、何を……」


 まるで肺を握りつぶされたような痛みと共に、言葉を失った。


 そこに居たのは右手を突き出したホルストであった。頭部が弾け飛び、壊れた蛇口のように血を吹き出している。


「ホル、スト……?」


 放心するノーマンの前で、首なしのホルストはその場にゆっくりと倒れた。流れ出る血がノーマンの靴を濡らす。


 視線を移す。数十メートル先に居たのは熊型のミュータントであった。


 腹から大型ライフルが突き出ている。文字通り、腹を内側から突き破っているのだ。熊は苦悶のうめきをあげ、口から血の泡を吹き続けている。生産施設の暴走による、産まれたときから死ぬことを定められた哀れな生物だ。


 憎悪に満ちた咆哮。ノーマンはルールーの手を引いて戦車の陰に入った。直後、金属がぶつかり合う音が鳴り響く。


 熊の咆哮が大きくなる、近付いて来る気配が伝わる。


 どうすればいい。周囲を見渡すと砂ぼこりの先に山を見つけた。違う、あれは機動要塞だ。


「ルールー、あそこまで走るぞ!」


 しかしルールーは動かない。その場にうずくまったままだ。


「ごめん、私は行けないよ」


「何を言って……」


 ここまで来て諦めると言うのか。ぶん殴ってでも連れて行こうと考えたとき、ルールーの足元に血溜まりができていることに気がついた。手で脇腹を押さえ、指の隙間から血があふれ出ている。


「戦車に弾食ったとき、破片がお腹のなかで跳ね回ったみたいでさ。もう、ダメなのよ……」


「機動要塞まで行けば治療出来る! 俺が肩を貸してやるから、歩こう! それも無理だっていうのなら、俺も一緒にここで……」


 ノーマンの眼前に銃が突きつけられた。死のう、とは決して言わせない。ルールーの決意と慈愛に満ちた瞳に射抜かれ、ノーマンは何も言えなかった。


「私があいつを引き付けるから。ノーマン君は生きて」


「嫌だ……ッ」


「え?」


「嫌だ、もう嫌なんだ! どうしてみんな先に死んで、俺だけ生かそうとするんだよ!? 姉さんも、親父も、ベンジャミンもホルストもルールーも! みんなが居ない世界は辛いよ、冷たいよ、寂しいよ……ッ」


 乾いた破裂音が響き渡る。歩み寄ろうとするノーマンの足元が弾けた。ルールーの銃口から硝煙が立ち昇る。


「ルールー……?」


「辛い役目を背負わせちゃってごめんね。それでも私は君に希望を託したい。私たちの戦いが無駄じゃなかったという証のために」


 何を勝手なことを。怯まず前に踏み出そうとするノーマンの腕がぐいと掴まれ身体が宙に浮いた。大男の肩にうつ伏せに乗せられる。


 ルールーの目が驚愕に見開かれ、そして納得したように頷いた。血塗れの手を男に向かって広げて見せる。


「こういうことなんで。後は、お願いします」


「……わかった、任せろ」


 その男、アイザックはノーマンを担いだまま片手でバイクを操り、砂煙をあげて猛スピードで去って行った。


 残されたルールーは拳銃を握り直し、戦車を遮蔽物しゃへいぶつとして熊型ミュータントに狙いをつけた。


 出血により意識が薄れていく。激痛が覚醒を強要する。相反する苦痛がルールーさいなむなか、じっと耐えて待った。


 苦痛と暴力の化身がじりじりと迫る。距離、十メートルのラインを越えた。


 ルールーは息を止めて引き金を絞る。セミオートで放たれる弾丸。十数発がミュータントに突き刺さった。


 目玉を潰した、胸にめり込んだ、腹の傷口を抉ってやった、ライフルが軽く曲がった。それでも熊は止まらない。


 獣臭い、熱い吐息がかかるほどに接近した。ルールーにはもう、指一本動かす気力もない。


(さよなら。君のこと多分、好きだったよ)


 ミュータントの丸太のような右腕が一閃し、ルールーの首が千切れ飛んだ。


 少女の生首はクセのある銀髪をたなびかせ、天高く舞い上がる。たっぷり十数秒の時間をかけて荒野に落下した。あまりにも無惨な死に様であるが、その顔には微笑が浮かんでいた。


 熊型ミュータントも動かない。血を失い、体力は尽きた。軽い地響きを立てて倒れこみ息を引き取った。


 戦場の片隅で起きた小さな死に、注意を払うものは誰もいない。

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