第220話

 英雄という肩書き、人類の救世主というシチュエーションに高揚こうようしていた所はある。しかし地竜の姿が近づくにつれ根源的な恐怖が沸き上がってきた。


 ハンドルを握る手は震え、アクセルを踏む足は強張こわばり、喉が渇き息も荒くなった。


 自分はこれから爆死するのだと、そんなことを素直に受け入れられる人間など存在するのだろうか。


(少なくとも俺には無理だ……)


 自分がどんな死を向かえるのか、ぼんやりと考えたことは幾度いくどとなくある。爆発に巻き込まれ粉微塵となって死ぬなどと想像したこともなかった。


 トレーラーに積まれた爆薬の量からして、肉片すら残らないだろう。血は一瞬で蒸発するだろう。ベンジャミンという男の存在そのものが消滅する。


 じわり、と股間に生ぬるい感触が広がった。自分がタフガイではないのだと思い知らされる。我が身の情けなさに乾いた笑いが唇から漏れ出した。


 どん、と軽い衝撃が伝わる。どうやら小型ミュータントをき殺したようだ。あのミュータントは頭がタイヤに巻き込まれて死ぬ所など想像したことはあるだろうか。恐らく無いだろう。


 地竜の姿が迫る。怖い、怖い、逃げたい。


 いっそのことハンドルとアクセルペダルを固定して、自分は運転席から横っ飛びに離脱してはどうだろうかと思い付く。


 ……無理だ。中途半端な距離があったところで爆風にさらされるだけだろう。死体の原形が残るか残らないかという違いしかない。


 また、奇跡的に生き残ったところで生身でミュータントの群れのなかに取り残されることになるので確実に喰い殺されるだろう。場合によっては死ぬよりも酷い目に合わされることになる。


 残酷な死を向かえたハンターの話など飽きるほど聞いてきた。

 全て、他人事として。


 また、コントロールを手放すことでトレーラーが明後日あさっての方向に走り抜ける可能性も十分にある。ベンジャミンの名は英雄どころか間抜けの代名詞として残ることになるだろう。


(結局、このまま突っ込むのが一番楽な死に方で、皆の役にも立てるってわけだ。最低の選択肢だな、おい)


 地竜との距離、数十メートル。


(やってやる。やってやるぜ、ど畜生!)


 強張る足に力を込めて、無理やりにアクセルを全開まで踏み込む。


 その時、地竜の胴体から触手状の腕が飛び出した。まるで戦車砲から撃ち出したかのような凄まじい速さでトレーラーを鷲掴わしづかみにする。


「なんだそりゃあッ!?」


 不快感を伴う浮遊。伸ばしたときと同じような速さで腕が引っ込められ、トレーラーは地竜の頭上に掲げられた。


 何をするつもりだ。考える間も覚悟する間も無く、地竜が手を広げてトレーラーは落とされた。まるで小石を池に放り投げたかのように、とぷんと軽く地竜の身体に波紋が広がり、そして何事もなかったかのような静寂が訪れた。


 目を開けているはずなのに何も見えない。周囲に広がるものは完全なる漆黒。


 ベンジャミンは恐怖で叫んだ。喉から血が出るほどに叫んでいるのに、自分の声が聞こえない。口にも耳にも闇が入り込んで塞いでいるかのような感覚だ。


 このまま自分が何者かもわからなくなって闇に呑まれるのか。そう思えば、恐怖を塗り潰す勢いで怒りがふつふつと湧き出した。


(ご立派な人生とは口が裂けても言えねぇが、それでもテメェなんぞに否定されるいわれはねぇ!)


 手探りでダッシュボードを開けると、指先に硬いものが触れた。爆薬の点火装置だ。本来ならば地竜を待ち伏せ遠くから押すつもりであったが、今さらどうにもならないことだ。


 希望と呼ぶにはあまりにも物騒な物を握りしめ、ベンジャミンの口角が自然に吊り上げる。


「地竜、俺はテメェが嫌いだ。……世の中には嫌いな奴をぶん殴るほど楽しい事はねえよな」


 死に際にニヤリと笑える人生。それはそれで悪くないのかもしれない。ベンジャミンは躊躇ためらうことなく指先に力を込めた。


 そして漆黒の闇に閃光が広がる。




 それは天を切り裂く轟音。荒野の断末魔。地竜の頭部とその周辺が弾け飛んだ。


「嘘、だろ……?」


 大型モニターに向けられたマルコと乗組員たちの視線は恐怖にいろどられていた。


 弾けた地竜の身体は五分の一程度。通常の生物ならばとても生きてはいられないダメージだが、地竜の傷口は奇妙にうごめき再形成しようとしている。


 縮みはしたが、それだけだというのか。


 勝利のために決して失ってはならぬものを捧げた。あの男は自分にとって何だったのだろうか。部下、仲間、友。どれもが正しくて、間違っているような気がする。


 犬死という言葉が浮かんできて、慌てて頭をかきむしって打ち消した。


 地竜は四方に触手を伸ばし、小型ミュータントや動かぬ戦車を取り込み始めた。また身体がじわじわと大きくなっていく。


 目の前でベンジャミンの死が無意味なものにされていく。しかしマルコたちに出来ることは何もない。


 何度も絶望しかけた。その度にか細い希望を見いだし心を奮い立たせてきた。


 それももう、限界が来ている。

 シーラから託されたネクタイを握りしめるが、勇気も怒りも湧いて来なかった。


(僕はもう、空っぽだ……)


 何の約束も果たせぬままに終わるのか。血の気が引いて目の前が暗くなりかけたその時、通信機から悲壮な叫びが聞こえた。


「班長に続けぇ!」


 地竜へと猛スピードで突き進むトレーラー。それは二台、三台四台と次々に増えていく。


 乗っているのは皆、ベンジャミンの部下である整備士たちだ。


 マルコにとっても苦楽を共にした仲間である。荒野に出てミュータントに襲われたり閉じ込められたりしたことが、つい昨日のことのように思い出される。


 トレーラーが地竜の身体に突き刺さり、爆破。その次も、次も、地竜を巻き込み自爆していった。彼らが生きていたというあかしは抉れた大地のみ。


「やめろ……、やめてくれ……」


 マルコが決して言うまいと誓った言葉が、唇からあふれ出た。ひとりひとりの顔と名前が浮かんでは消える。


 その場に膝をつく、視線はモニターから離せなかった。


 十七台目の自爆が済んだ。数分の時をかけて砂煙が収まる。地竜は四散し、乗用車ほどの大きさの塊が五つ蠢いているのみであった。


 それらの肉塊がじわじわと動き、融合しようとしているように見えた。


(ふざけるな! これだけの命を吸って、まだ貴様は意地汚く生きようというのか!?)


 マルコの全身を、血液が沸騰ふっとうしそうなほどの怒りと殺意が駆け巡る。マイクを握りしめ全体回線で叫んだ。


「ごろつきども! 奴を、地竜を殺せ! 跡形もなくだ!」


 今、全てを終わらせなければならない。

 その思いだけがマルコを突き動かしていた。

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