第219話

 ミュータント生産工場の地下。薄暗いモニタールームで白衣の男が腹を抱えて笑っていた。


「いやあ、残念残念。冥界竜カオスドラゴン……いや、君たちに敬意を表して地竜としておこうか。奴の目的は最初から街などではなかったんだよなあ。人々の意識が最も集まる所、それを総大将と認識して襲うのさ」


 肌寒いほどに冷房の効いた部屋でドクはデスクに両足を投げ出し、ワインのコルクを捻りながらもがき苦しむハンターたちを見物していた。


 安全という愉悦。これが選ばれし者の特権だ。


「マルコ、貴様がもう少し無能であれば地竜は予定通りロベルトを標的としてプラエドへ向かっていたのだろうがな。がらでもないリーダーシップを発揮した結果がご覧のありさまだ。人生、うまくいかないものだよなぁ?」


 地竜の向かう先は機動要塞。


 ドクはワインボトルを咥えてそのまま傾けた。いわゆるラッパ飲みである。心地よい酔いに身を任せていれば、この地方の人間は殺し尽くせる。これほど楽で幸せなことはない。


 人類が自ら産み出したミュータントに駆逐される場面を見届けるという使命。まだまだ先は長いが、これは確実な第一歩だ。


 その笑みはどこか、解放感や安らぎを感じさせるものであった。




 目覚めた点と、街を繋ぐ線。地竜は今までずっとそこから外れなかった。ゆっくりと、だが止まることなく確実に前進を続けていた。


 それが突然立ち止まり、辺りを見回したかと思えば急に方向転換して機動要塞へと向かって来たのだった。


 何故なぜ、どうして。疑問が次から次へと湧いてくる。


 敵がずっと愚直な前進を続けていたのだからこれからもそうだ、などと誰が保証してくれるわけでもない。だがあまりにも急すぎる。


 何の前触れも無しにこの結果である。


 再生、吸収能力を持つ代わりに知能は低い。そうした生物ではなかったのか。勝利を目前にルールを変えられたようなものである。


 一言、ふざけるなとも言いたくなった。


 何故こうなったのかはわからないが、何をするべきかは決まっている。


「後退だ! 距離を取り、奴を引きずり回せ!」


 マルコは怒声を抑え、代わりに力強く指示を出した。指揮官には、怯えて泣き出すという贅沢は許されない。


 極厚の履帯りたいが荒野に戦慄せんりつわだちを刻む。機動要塞の巨体では大した速度は出せないが、地竜のなめくじのような動きより遥かにマシだ。


「司令! 地竜が加速しています!」


 オペレーターの悲鳴はマルコにハンマーで頭を殴られたような衝撃を与えた。淡い期待がひとつずつ念入りに潰され、退路が塞がれてゆく。


 さらに追い討ちをかけるように鳴り響くレッドアラート。キャタピラを動かす転輪てんりんのひとつが外れかかっていた。足回りに癖のある超巨大戦車で最高速度を出し続けた弊害へいがいだ。


 地竜との距離、セーフティラインは前方わずか5キロ。喰らえば喰うほどに巨大化する敵である。機動要塞がまるごと飲み込まれれば、それはマルコたちの死だけではない。プラエドの住民はことごとく殺し尽くされるだろう。機動要塞を捨てて逃げ出すという選択すら消えてしまった。


(まったく、ありがたいことだな。逃げ道があったら僕は泣いて逃げ出していたかもしれん)


 皮肉な笑みに顔を歪ませ、マルコは右手を真っ直ぐに振り下ろした。


「主砲発射!」


 機動要塞の前方に備え付けられた三門の大型戦車砲が一斉に火を吹いた。束ねられた暴力の化身が闇の獣へと突き刺さる。


 貫通し、向こうの景色が見えるほど見事に三つの円形が出来た。しかし、水がまたもとの位置に戻るように穴は塞がれ、地竜は何事もなかったかのように歩き出す。


 塞いだ分だけサイズは縮んだが、もののついでのように伸ばした触手で手近なミュータントを掴み、喰らい、また体積が増える。


 機動要塞は後退を続けるが思うようにスピードが出ない。地竜との距離がじりじりと詰まっていた。


「何をしている! 次弾装填急げ!」


 マルコは恐怖を振り払うように乗組員たちを叱咤しったした。


 一方で、理性という悪魔が頭の片隅で囁く。装填して、撃って、それが何になるというのか。またすぐに元通りになるだけだろう。勇敢さを言い訳にして思考停止しているだけではないのかと。


(畜生、ここで終わってしまうのか。僕も、街も、人類も……ッ!)


 大切なもの全てを奪っていったミュータントが憎い。

 何も出来ぬ無力な自分が憎い。


 マルコは正面モニターに大映しにされた地竜を睨み付けた。

 怯えてなるものか。それだけが最後に残された意地だ。


「博士、まだ生きていますかぁ?」


 マルコの決意に水を差すようなベンジャミンからの通信だった。


「……何だよ?」


「地獄の底まで付き合うと言いましたがね。あれ、やっぱナシで」


 この男は一体何が言いたくてわざわざ通信を寄越したのだろうか、とマルコは首を捻った。


 勝ち目が無いから自分だけ逃げるというのであれば、勝手にそうすればいい。逃げたところで文句が言えるような状況ではない。むしろひとりでも多く生き残ってくれるのであれば、それでいい。


 好きにしろ、とマルコが言う前にベンジャミンはさえぎるように続けた。


「……あなたは当分、こっちに来ないでください」


 どういう意味だ。聞こうとしたが声にならなかった。ほぼ確実な予想は出来る。ただ認めたくないだけだ。


 ここで呆けることは許さぬとばかりにオペレーターが叫ぶ。


「トレーラー、地竜に急速接近!」


「や……ッ」


 止めろ、という言葉をすんでのところで呑み込んだ。そう叫ぶことは偽善だ。恐らく最も卑怯なたぐいの。


 トレーラーという移動式の倉庫に爆薬を満載しているのだ、こうした展開をどこかで期待してはいなかっただろうか?


 止めろと言って本当に止められて困るのは自分のほうだ。


 勝利のため人類のため、これが最善の方法だとわかっているはずだ。本来なら自分からベンジャミンに死んでくれと頼まねばならない場面ではなかったか。


 止めろと言うことは、自分は制止したがベンジャミンが勝手にやりましたという言い訳をすることに他ならない。


 冗談ではない。これほど卑怯、卑劣、未練を重ねてまだ善人でいたいのか。


 死にゆく者になんと声をかければいいのか。迷っている暇はない。マルコは込み上げてきた胃液とともに唾を飲み込み、背筋を伸ばしてマイクを握った。


「……君の名は永遠に、英雄として人々に記憶されるだろう。僕が必ずそう記録する。約束しよう」


 部下を英雄として死地に送る。なんと恥知らずな真似であろうか。口も腐る思いであったが、他にしてやれることは何も無い。


「ありがとうございます。整備士にはちょいと似合わん肩書きですが、いただいておきますよ」


 ふっと軽く笑うような気配を残して通信が切られた。


 ベンジャミンと話す機会は永遠に失われた。しかしまるで実感が湧かない。明日になればひょっこり出て来て汚いひげづらを撫でながら、昼過ぎにおはようございますと言ってくれるのでないか。そんな気がしてならない。


 そんな訳がない。

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