第218話
「あと三時間。三時間だけ耐えてくれ。そうすれば逆転の一手が用意できる」
全体回線で各車両に向けてマルコはそう語った。
いつまで続くのかわからないというのは精神的に辛いだろうが、明確な目標があれば耐えることも出来るだろうと期待してのことだ。
もっとも、この時間を過ぎて何のアクションも起こせなければマルコはハンターたちからの信用を無くし、戦線は瓦解するだろう。
時間を区切った、補給所のトレーラーは全て出て行った。まさに背水の陣。
(背水の陣、か。嫌だねぇ。こんな作戦を取る奴はよほどの間抜けか、綿密な作戦を立てた上でやっているかのどちらかだ。僕は……、どうだろうな)
答えの出ぬまま、マルコは乾いた瞳でモニターを眺めていた。
「あと三時間……」
ノーマンは呟きながら上部ハッチから身を乗り出し、目を細めて頭上の太陽を睨み付けた。まだ日は高い。だが、タイムリミットは確実に迫っている。ここで三時間消費することが、後々にどんな意味を持ってくるのだろうか。
(今すぐ大逆転の手を出せ、なんて言えないけどさ……)
車内に滑り込んでハッチを閉める。太陽光が遮断された薄暗い空間に戻ってきた。
クーラーから流れ出た埃臭い冷風が頬を撫でるが、全身にじわりと滲んだ汗が引くことはなかった。
「ルールー、ホルスト。あと三時間だそうだ、いけるか?」
命を預け合ったふたりの仲間が振り返らずに答える。
「ま、なんとかね」
「オーケー、最後のひとふんばりだ。やってやるぜ!」
仲間たちの闘志が萎えていないことに安堵するノーマンであった。むしろ、ふたりから勇気をもらったようなものだ。
「よっしゃあ! あと三時間でも四時間でも、奴を引きずり回してやろうぜ!」
ノーマンの気合いに呼応するようにTD号は一気に加速した。
ベンジャミンとその部下たち、整備班が操るトレーラー十台が街に戻ると、その入り口にはすでに様々な爆発物や危険物が山積みにされていた。
爆発物の前に立つ、ひとりの男がいた。頬は削げ、眼球は落ちくぼみ、それでいて瞳はギラギラと光っている。
十数秒も眺めてようやくそれがロベルトなのだと気が付いた。
(あの人が一番の危険物だな……)
運転席から飛び降りて挨拶をしようとするベンジャミンを、ロベルトは手で制した。一分一秒でも惜しいということだろう。
「荷台を開けろ。すぐに積み込む」
必要最低限の言葉しか発しないロベルトの態度を不気味に感じながら荷台を開ける。その間に、爆発物の山の後ろから屈強な男たちがぞろぞろと出てきた。その数は千人近い。
ロベルトが右手を前方に振ると、男たちは一斉に積み込みにかかった。報酬が約束されているのか、誰もが先を争うように運んでいる。
マルコとロベルトが一体どんな話をしたのかはわからないが、あまりにも手際が良すぎる。そこにミュータントを絶対に殺すという執念を感じ取り、ベンジャミンは身震いした。
少し考え事をして、顔を上げるとすでに積み込みは終わっていた。
早すぎる。何が起こったのかわからない、信じられないといった顔で呆けるベンジャミンに、ロベルトが鋭い視線を向ける。
「どうした、行けよ」
「あ、はい。それと俺たちはあくまで先発隊で、あとから三十台ばかりトレーラーがやってきますが……」
「わかっている。いくらでも積んでやるよ」
ロベルトが初めて笑みを浮かべるが、それはあまりにも暗い笑みであった。他者の死によってしか魂の充足を得られない、そんな笑い方だ。
(ああ、この人は変わってしまったのだな……)
話には聞いていたが、こうして目の当たりにすると一抹の寂しさが湧いてくる。下品な冗談のひとつも飛ばし合えば少しは気が晴れるかも、と期待していたがそれらは全て淡い夢であった。
軽く背を丸めてトレーラーに乗り込むベンジャミン。見送るロベルトの瞳はどこまでも空虚であった。
ベンジャミンはマルコに爆薬を受け取ったことを報告し、地竜を迎え撃つために指定された場所へと向かう。
強大な一個の爆発物と化したトレーラーに乗っているのはどうにも落ち着かない。まるでミサイルの先端にくくりつけられたかのような気分だ。
(ケツの穴がムズムズするぜ……)
さっさと手放すためにアクセルを踏み込みたいところだが、岩に激突して大爆発では目も当てられない。
「ときにマルコ博士。ロベルトさんのことですが……」
「何も言うな」
取りつく島も無く、語ることそのものを止められてしまった。マルコの声色にはどこか苦渋が滲んでいる。
「は、しかし……」
「ロベルトさんのためにしてやれることは、この場のミュータントを皆殺しにすることだけさ」
「それであの人は救われるんですか?」
「救えないよ。全てが、遅すぎた」
ベンジャミンは言葉に詰まった。ショックでもあった。マルコとロベルトは変わり者同士でありながら良き友人ではなかったのか。
無言の間が続く。マルコに対して失望と軽蔑の念が浮かんできたが、時が経つにつれそれは自己嫌悪へと変化した。
(いや、違うな……。マルコ博士が何も考えていないわけがない。悩んで、考えて、それでもどうにもならないと悟ったからだ)
今、ふたりが友人として共有する価値観は絶望のみだ。
「俺たちは何のために戦っているんですかねぇ……」
愚痴とわかっていながら吐き出さずにはいられなかった。マルコからの返答は無い。無視されたかと諦めかけたとき、
「……未来を託すためだな」
と、マルコは呟くように言った。
「未来、ですか」
マルコらしからぬ言葉に戸惑うベンジャミン。
「そうだ、未来だ。僕らの戦いがどれだけ悲惨で惨めなものであろうとも、次世代に命を繋ぐことが出来れば全ては報われる。それでこそ……」
通信だ、マルコの姿が見えるわけではない。だが彼が今どんな顔をしているか、ベンジャミンにはわかる気がした。
「それでこそ、散っていった者たちの死にも意味が出てくるというものだ」
通信機を介して、見えないながらもふたりは頷きあった。回線は繋いだままだが、何も言葉が出てこない。話したいことはいくらでもあったはずなのに、何も。
いつまでも感傷に浸っているわけにもいかない。通信を切ろうと手を伸ばしたその瞬間、奥からくぐもった悲鳴のようなものが聞こえた。
『チリュウ ガ コース ヲ ハズレマシタ』
単語の意味ひとつひとつが理解できなかった。理解することを本能が拒んだ。
何故、どうして。悪い予感ばかりがこうも的中するのか。ハンドルを握る手に力が込められ、爪の先が真っ白になった。通信機から流れ出る困惑、動揺、喧噪がどこか遠い別世界のもののように聞こえた。
どこまで行っても逃げ切れない。悪夢とは得てしてそうしたものだ。
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