第215話

 包囲が完成したわけではない。予定数の車両が集まった訳でもない。だが、これ以上待ってもいられない。


 敵は地竜だけではないのだ。周囲を無数のミュータントに囲まれている状況でいつまでものんびりとスコープを覗いている余裕は無い。


(戦場で完璧を求めるなど、ナンセンスか……)


 マルコは軽く首を振ってから背筋を伸ばし、右手を振り下ろして号令を下す。


「全車、砲撃開始ッ!」


 散らばった数十輛の戦車、鋼の獣たちが織りなす不協和音。徹甲弾、榴弾、焼夷弾とあらゆる砲弾が中央へと放たれ、破壊と暴力の幾何学模様きかがくもようえがかれた。


 避けられるかもしれない。弾かれるかもしれない。即座に反撃されるかもしれない。それら全てが杞憂きゆうであった。まるで吸い込まれるように砲弾が次々と命中し、爆発する。


 しかし、それだけであった。爆煙を風がさらい、そこに見えたのは鱗が半分以上剥がれ落ちてはいるが、依然としてたたずむ地竜の姿であった。


(なんだ、これは……)


 命中した、それは確かだ。だが手応えというものがまるでない。地竜はうめき声もあげず、苦しみもせず、血があふれ出したわけでもない。まるで粘土に針を刺したかのような意味不明な感覚だ。


 第二射を放つべきか、否か。機動要塞に問い合わせが殺到するが、


(うるせえな、僕にだってわかるわけがないだろ……)


 マルコは苛立ちを抑えながらハンターたちからの雑音を無視して、地竜へ向けて光学カメラを拡大させた。


(わからないが、判断は下さねばならない。司令官とはなんとまぁ酷い立場だ。わからないものに責任を負えとか無茶言うな。とにかく少しでも情報を、判断材料を集めないと……)


 剥がれ落ちた鱗の痕に見えるのは赤黒い血肉ではなく、闇。


 光を通さぬ無がそこにある、としか表現の仕様がなかった。


 じっと眺めていると意識が呑まれ途切れそうになり、マルコは慌てて目を逸らした。これはまずい。人間とかミュータントという分類ではなく、この世に存在してはいけないものだ。


「全車……ッ」


 全身を悪寒が貫き、操られるように再度の攻撃命令を下そうとするが、マルコのつちかってきた経験や危機管理能力が寸でのところでそれを制した。


「全車、一時後退!」


 意外にもハンターたちは素直に従い、血気にはやり指示を無視して撃ち続ける者はいなかった。誰もがこの理解し難い化け物を前に思考が鈍っていたのだ。基本的に他者から指図されることが大嫌いなハンターたちであるが、今回に限っては明確な指示が出されたことはむしろありがたかった。


 砂煙を巻き上げて一斉に下がる戦車隊。地竜の鱗は剥がれ、剥がれ落ち続け、最後の一枚までも足元にばら蒔かれた。


 後に残ったのは巨大な蜥蜴の形をした影。確かにそこに居るのに、存在感がまるでない。風景画から地竜の形を切り取ったかのような印象だ。


 地竜は周囲を見渡すように首を振ってから歩き出した。街がある方角だ。


 歩みは遅いが、威圧感がある。地竜が一歩踏み出す度に包囲の輪が歪に歪んだ。


 敵の目的がわからない。どんな攻撃をしてくるのかもわからない。いずれにせよ、街へ向かっている以上は放置することもできず、タイムリミットもある。


 固唾かたずを飲んで観察していると、突如として地竜の脇腹あたりから巨大な手が突き出した。それは20メートルほども伸びて中型ミュータント、白猿をわし掴みにした。


 命そのものを絞り出すような悲鳴。白猿が大量に吐き出す血は恐ろしくどす黒い。ただの血ではない、潰れた臓器から流れ出たものだ。


 黒い手は突き出たときと同じ速さで地竜の体内に引っ込んだ。残されたのは静寂のみ。十数秒前と何も変わってはいない。今見た光景が幻覚であったのではないかと疑ってしまうほどだ。


 地竜はさらに進む。歩きながら身体中から何本もの腕が生えて、手近なミュータントを捕らえ、潰し、体内に取り込んだ。


(なんだありゃあ? ひょっとして味方、なのか……?)


 そんな訳がない、とマルコはすぐに思い直した。だがこのまま放っておけばミュータントを掃除してくれるのではないか、という誘惑が脳裡をよぎる。


 甘い夢を咎めるようにノーマンから通信が入る。絶対にろくでもない話だが、居留守を使うわけにもいかない。


「博士、地竜の身体ですが……。少し大きくなっていませんか?」


 信じたくはないが、という気持ちが伝わってくる不安げな声。


 光を通さぬ特殊な形状のためわかりづらかったが、言われてみればそうかもしれない。やめてくれ、気のせいであってくれ。そう願いながら画像を呼び出し比較する。


 結果、荒野に神はいないと再認識させられただけであった。


(つまりあいつは周囲のミュータントを食い散らかしながら真っ直ぐ街へと向かっているわけだ。悪趣味だ、最悪だ、畜生め!)


 浮かび上がる既視感デジャヴ。街へと向かう大型ミュータントを迎え撃つのはこれが初めてではない。ミュータントに乗っ取られた超大型戦車、臓物戦車と戦いもこうしたルールであった。あの時とは違い、ディアスたちの復帰は望めそうにないが。


 他にも過去の戦いと類似点がある。ディアスにもらったデータ、巨大ダチョウ型人面ミュータントが戦車を取り込む能力を持っていた。残念ながらと言うべきか、ダチョウ男が戦車と融合するシーンは映っていなかったが、奴が戦車の主砲や装甲を利用していたことだけは確かだ。


(地竜もミュータントだけではなく、戦車を取り込む能力があると考えるべきか……?)


 今日に至るまでに戦ってきた敵、その進化形であるならば、そうした能力も持っていると警戒するべきだろう。取り込まれるだけでなく利用される場合もある。距離を取って戦うことだけは徹底させねばなるまい。


 ダチョウ男の映像をロベルトと一緒に笑いあって見ていた記憶が蘇り、胸の奥がズキリと痛む。痛みを抑えるように血の付いたネクタイを握りしめた。


 自分は今、何のために戦っているのか。何故こんな所にいるのかとマルコは自問する。街のためか、人類のためか、それとも単に大事な工場が街にあるからだろうか。どれも間違ってはいないが、正解でもないような気がする。


 そして思い当たったものが、男の意地だ。


 今の心境に一番似合うが、自分の人生にまったく縁の無いはずの言葉でもある。それが自ら前線に立ち、がらでもない指揮官など引き受けた理由なのかと思えば笑いたくもなった。


(最悪の状況で笑い出すなどと、僕にも野蛮人ハンターどもの悪癖が伝染うつったか?)


 ますますおかしくなり声を上げて笑い出すマルコに、周囲のオペレーターたちが不安げに視線を送っていた。

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