第211話

 それは赤竜の気まぐれであったのかもしれない。


 右側の対空機銃とガトリングガンが潰れた重戦車、片牙のもがれた猛獣など鎧袖一触がいしゅういっしょくで倒せるはずだった。それが、倒れない。


 手負いの獣、その動きは鋭くなるばかりであった。


 疲労が溜まる。苛立ちが募る。プライドが傷ついていること自体を認めたくはなかった。焦って乱射したためか、すぐに鉄塊が切れる。もう補給することすら面倒になってきた。


 気がつけばずっと同じ地点で戦い続けていた。めぼしい戦車には全て自身の噛みあとがある。一度の補給で食らい尽くすわけではないので何度でも使えるのだが、食べ残しに手を出すようでなんとなく気が乗らなかった。


 そこで思い出したのが上空から何度か見かけた小さな車だ。あれにはまだ手をつけていなったはずだ。惨めな首なし死体を一緒に噛み砕いてやれば、多少は溜飲も下がるかもしれない。


 遙か上空から獲物を射抜く竜の眼は、廃棄されたジープを容易く見つけた出した。大きく口を開けて、きぃんと耳鳴りのするような高音と共に急下降した。


 おごったその眼に、人の覚悟と悲しみを見抜く力は無い。




「来たぞ、来やがったぞ! 食いしん坊め!」


 アイザックが興奮気味に叫び、チサトは弾数の残り少ない自動小銃を放り投げ双眼鏡を構えた。


 何度も何度も確認した場所だ。そこに来てくれと願い続けた地点だ。


 丸く切り取られた視界の中で、今まさに赤竜がジープに噛みつくところであった。


(さよなら……)


 チサトはポケットから起爆装置を取り出し、腕を真っ直ぐに伸ばしてジープへと向けた。カチリ、と命を握りつぶすにはあまりにも軽い感触。


 世界が揺れたかのような爆発、轟音。血のように赤い炎が勢いよく立ち昇り、黒煙が追従する。


 死体を確認しなければ安心できない。息苦しいほどに鼓動が高鳴るなか、じっと黒煙を睨みつけていると、そこに赤竜のシルエットが浮かび上がってきた。


「嘘、でしょ……?」


 神すらほふれるのではないかと思われた必殺の一撃。しかし、赤竜は翼を大きく広げてそこに立っていた。


 視界が歪み、戦場の喧噪が遠くなって何も聞こえなくなった。バイクからずり落ちそうになるのをなんとか堪える。


 愛車も、友の尊厳も、己の人間性も捧げてまだ届かないというのか。


「おいチサト! 何がいったいどうなった!?」


 アイザックの質問には何も答えられなかった。チサトにだってわからない。今出来ることは、震える手で双眼鏡をなんとか落とさないようにすることだけだ。


 戦場の風が黒煙をさらい、赤竜の姿があらわとなった。様子がおかしい。


 赤竜は下顎したあごが千切れていた。壊れた蛇口のようにどす黒い血を垂れ流し、呆然と立っている。体中にジープの破片が突き刺さり、そこからも血が滲み出ていた。何が起こったのかよく理解出来ていないようだ。


 ここから逃げねばならないことだけはわかった。赤竜は傷ついた翼を羽ばたかせ、ふわりと浮かび上がろうとする。


「駄目! このまま逃がしては駄目ッ!」


 チサトが悲痛に叫ぶ。このまま逃がしては全てが水の泡だ。だが、チサトたちの手元に赤竜を殺しきれる武器はない。


 一条の閃光が疾走し、赤竜の体に光の矢が深々と突き立った。顎のない赤竜は悲鳴をあげることすら出来ず、代わりに頭を激しく振りながらおびただしい量の血の塊を吐き出した。


 双眼鏡を構えたままチサトは視線を動かす。


「あ、ああ……ッ!」


 感極まって言葉にならない。ここが勝機と見て追ってきたのか、漆黒の重戦車、23号が放った高速徹甲弾であった。


 赤竜はまだ倒れない。ふらふらと、酔っぱらいの踊りのように体を不規則に揺らしてバランスを取っている。飛び立とうと翼を動かすがもはや力強さは見る影もなく、空気を撫でることにしかならなかった。


 隙だらけの赤竜に、四方八方から放たれた徹甲弾が突き刺さる。周囲で機をうかがっていたハンターたちが一斉に攻撃をしたのであった。金、名声、恨み、あるいは純粋な正義感。様々な想いが込められた砲弾が残酷な暴力へと変換された。



 それはまるではりつけにされた罪人に深々と槍が突き立てられるかのような光景であった。赤竜は天空の王者である。歴史上、処刑台に上げられた王はいくらでもいる。


 ついに赤竜は倒れた。最期まで己の身に何が起きたのかを理解せぬままに。


 体内から流れ出た赤竜自身の燃料に引火し、その体が勢いよく炎に包まれた。あれだけの強靱さを誇った肉も鱗も、全てが燃える。


「終わった、の……?」


 青空を焦がす黒煙はどこか幻想的でもあった。


「まるで戦場で散っていった奴らの魂が天に還っていくみてえだな」


 アイザックがぽつりと呟く。チサトは、顔に似合わずロマンチックな人だなとぼんやり考えていた。


 多くの魂が天に還るとしても、そこにクーはいないだろう。

 何故なら、クーはチサトの後ろにいる。


 肩に手を置いて何事かを言おうとしているように見えるが、首から上がないのでわからない。


「うん、大丈夫。……ずっと一緒にいるよ」


 全身から力が抜けうつろな眼をしたチサトの呟きは、通信機から溢れ出す大歓声にかき消され誰も聞く者はなかった。

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