第210話
23号の対空機銃が唸り、赤竜の進路を塞ぐ。
これで竜の鱗を抜くことは出来ないことは実証済みだが、嫌がらせくらいにはなるはずだ。
人間にたとえるならば豆鉄砲を当てられても怪我はしないが、痛いものは痛い。万が一、眼球に当たれば大事にもなるだろう。
確実ではない。ある程度ではあるが、赤竜の動きをコントロール出来るはずだ。
腹に溜まった鉄塊を吐き尽くした赤竜が後方へと飛び去る。方向はよし、だがジープに食らいつかず、さらに1㎞先にある戦車にのし掛かった。
再度、火弾を避けて敵を誘導する、命を削るような作業が始まった。
手順に間違いはなかったはずだが、今度は何の気まぐれか、赤竜はてんで別方向へ飛んでしまった。また一から少しずつ追い込まねばならない。
(いつになったら食いついてくれるのよ。燃料にも弾薬にも限りがあるんだからさ……)
カーディルは叫びだしたくなるような苛立ちをぐっと飲み込んだ。
補給に帰りたいところだが、赤竜に目をつけられている23号が戻れば簡易補給所が標的になるだろう。それだけは絶対に出来ない。手持ちの燃料弾薬で奴を仕留めねばならないのだ。
赤竜の攻撃は次第に激しさを増した。三連射から四連射。四連射から五連射と、火山弾のごとく戦場に降り注ぐ。
カーディルのような運転巧者にはこの展開は逆に攻撃が雑になったと感じられた。じっくり狙われるよりもむしろ避けやすい。
激しく連射するということは、それだけ弾が尽きるのも早くなるので都合もいい。
(赤竜の野郎も焦っているということ……?)
疲労と緊張で脂汗を浮かべ、青白い顔をしながらもカーディルの唇は不敵に歪む。
あまり自慢にはならないがカーディルの経験上、何かを吐き出すときはかなり体力を消耗するものだ。嘔吐と自発的な火弾の発射を単純に比べることも出来ないだろうが、発射時に喉や
一度は火弾が当たったのだから次もすぐに当たるはずだった。だが何度撃っても直撃はしない。疲労と苛立ちが蓄積し、攻撃はますます激しく、そして雑になる。
自分が苦しいときは敵もまた苦しい、とは戦場で己を鼓舞するためによく使う言葉であるが、実際に敵が焦りを見せると少しだけ気が楽になるものだ。
「神話の中で寝ていれば、恥をかかずにすんだのにね……?」
以前、ディアスが口にした言葉をカーディルが繰り返す。
息を止めての殴りあいならば戦闘経験の多い自分たちに分がある。そうした自負が確かにあった。
23号が赤竜の誘導を試み、失敗を繰り返す。
その間にもジープに乗せられたクーの遺体は痛み続けていた。
数匹の肉食蝿がたかり、小さな虫の噛み痕、無数の刻印が痛々しい。
すぐ近くで中型ミュータント、犬蜘蛛が死んだ。母蜘蛛の腹を内側から突き破り、こぶし大の十数体の子犬蜘蛛が涌いて出た。ジープをよじ登りクーの遺体に取り付いて思い思いに食事を始める。まるで水死体に群がる沢蟹のようだ。
チサトは双眼鏡から目を離し、うっと口許を押さえた。
戦場での死が美しいものであるはずがない。それはわかっていた、つもりだ。頭の中でわかっているような気になっていただけだ。
こうして目の当たりにすると激しい嘔吐感が込み上げてくる。そして、彼女をそこに置き去りにしたのは自分だという罪悪感が流れ込んできた。
いつも元気で、明るくて、自分を引っ張ってくれた親友の顔を思い浮かべようとした。そして、チサトは
クーの顔が思い出せない。
脳裡に首なし死体しか浮かんでこない。
(どうして……?)
今は混乱しているだけだ、街に戻って落ち着けばすぐに思い出せる。
……本当にそうだろうか?
そんな保証がどこにある?
今になって写真の一枚も撮っておかなかったことを激しく悔やんだ。
過去に一度、クーに写真を撮ろうと誘ったことはあるのだがその時は、
『え、なんで?』
と、素で返されてしまった。チサトも特に理由は見当たらなかったのでそのまま引き下がったものだ。
若い女性が友人と写真を撮るのに何の理由が必要だというのか。思い出を振り返ることを無駄と断じてしまう、ハンターの
クーの顔が、思い出せない。
恐怖が全身を駆け巡り、指先が震えだした。気を強く持たねば銃を落としてしまいそうだった。
「どうした、弾切れか!?」
アイザックの大声で思考が現実に引き戻された。
「いえ、まだ行けます!」
首を振ってから再びミュータントに銃弾を浴びせる。
怯えている暇はない。罪を悔いる時間もない。祈るべき手で自動小銃を握りしめる。チサトの代わりに、銃が叫んでくれた。
それから何度も赤竜は補給をした。ジープに噛みつこうとはしなかった。クーの遺体は子犬蜘蛛に食われ続け、ところどころ白い骨が露出していた。
作戦が上手く行かないことでディアスたちを責めることは筋違いとわかってはいるが、こうなってしまうと、
(早く、早くしてください……ッ)
恨み言のひとつも言いたくなった。
天に通じたのは祈りか、あるいは呪いか。ついにその時がやってきた。
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