第206話
チサトが運転する装甲ジープが、ミュータントひしめく荒野をひた走る。
「ねえクー、お願いだから撃ってよ。ミュータントがたくさんいるよ。避けるのも大変なんだから、ねえ……?」
チサトの顔は石膏で固めたように前を向いたままだ。眼球だけは左右に
その顔に貼り付くのは恐怖と絶望、そして逃避。
ジープが揺れる度に血の飛沫がチサトの横顔に降りかかり、絶対に隣を見ないという意志が強くなり、ますます首に力が入る。
生死を共にした相棒。苦楽を共にした幼馴染。
クーの首から上は存在しない。
『チサトの運転は顔に似合わず荒っぽいからなぁ』
そう言っていつもシートベルトをしっかりと締めていた。どれだけ激しく揺れようとも彼女の体は倒れることも放り出されることもなかった。愛らしい声も楽しい軽口も聞かせてはくれない。返事の代わりに血を吹き出すのみだ。
ミュータントの攻撃ではない、流れ弾によるものだ。どこからか飛来した対ミュータント用弾丸が直撃し、頭部が吹き飛んだのだ。
悲しむ時間も驚く暇も無かった。クーは自分が死んだことにすら気がついていないかもしれない。
(どうして……?)
チサトは隣を見ることが出来なかった。見てしまえば、親友の理不尽な死を認めなければならなくなる。
クーよりもチサトの方が頭ひとつ分背が高い。ならば当たるべきは自分ではなかったのではないか。少なくとも単純な可能性の話で言えばそうだ。こればかりは運が悪かったとしか言いようがなく、そんな言葉で納得出来るはずもない。
誰が撃ったのかもわからない。犯人探しなどしている暇はない。そもそもクーを狙って撃った訳でもないだろう。そいつがまだ生きているかどうかも疑わしい。
誰を恨めばいいのかもわからない。心が宙ぶらりんのまま、チサトはジープを走らせ続けた。
猿の小型ミュータントを撥ね飛ばした。ボンネットでバウンドする体を、チサトは頭を下げてかわした。特に何の感情も湧かない。
ハンドル脇にあるモニターをふと見ると、機動要塞からの通信か、大量のデータが流れ込んでいた。
大型ミュータント、赤竜の情報だ。ディアスたちが戦い知り得たことをマルコに報告し、それを整理したものだろう。
(ディアスさんたちは、今も必死に戦っているんだろうな……)
データを見る限り、かなり苦戦しているようだ。
トップハンターの戦いというものはもっとスマートなものだと思っていた。最強の戦車でどんな相手も華麗に打ち倒し
違う。いつもギリギリの戦いだった。血と汗を流す泥臭い戦い方だ。理想は痛みを伴って理解へと変わった。
彼らも同じ人間だ。共に戦う仲間だ。自分に出来ることは何か無いのか。
前方とモニターを交互に見ながら考えていると、スッと心の隙間に入り込むように思い付いたことがある。それは天啓と呼ぶにはあまりにも血なまぐさい、悪魔の
ここで初めてチサトは顔を右に向け、クーの首なし死体を確認した。
ごめん、そんな言葉すら偽善に過ぎない気がして何も言えなかった。
やがてジープは簡易補給所へと辿り着いた。ここまでくれば安全ではあるが、救いはない。
「そういうのは処分してから来てくれねえかなぁ」
ベンジャミンはクーの死体を見て、心底不快そうに言った。彼もまた多くの死を見すぎて心が磨り減っていた。いつもの陽気な中年男ではいられなかった。
首なし死体などただの邪魔な肉塊に過ぎず、仲間を失ったばかりのチサトを気遣う余裕もない。
ベンジャミンが
正直なところ、死体の処分にガソリンを使うことすら惜しいというのがベンジャミンの本音であった。
「このままで、いいんです……」
チサトの呟きにベンジャミンは眉をひそめた。
(こいつも壊れたか……)
仲間の死を受け入れられずに、まだそこに居るものとして扱っているのか。もう何人もそんな奴らを見てきた。そして、誰も帰っては来なかった。
チサトが振り向く。瞳には意外な力強さがあった。その光を理性と呼ぶべきか、狂気と呼ぶべきかはまだ定かではないが。
「機関銃の弾はいりません。ガソリンも十分にあります」
「……何をしに来たんだお前は?」
「軽くて強力な爆弾を。……そう、出来ればプラスチック爆弾などがあれば積んでください」
「死ぬ気か?」
「結果として、そうなるでしょうね」
チサトは優しく微笑んだ。
死にたい訳ではない。だけどもう、どうしようもない。
ベンジャミンは心臓を鷲掴みにされたような痛みと息苦しさを感じた。場違いな感想だが、彼女を本当に美しいと思った。
行くな、もう戦わなくでもいい、そんな言葉が出かかって喉で引っ掛かった。
もう何人も、何人も死地へと送り出してきたのだ。今さら一時の感情で戦わなくてもいいなどとは言えなかった。
この戦いに敗れれば街は滅ぼされ住民は死に絶える。小娘ひとりの犠牲で赤竜を倒せるのであれば、お得な取引だと笑うところだ。そのはずだ。
わずかに取り戻したベンジャミンの人間性が悲鳴をあげるが、これもどうしようもないことであった。
結局、ベンジャミンが死を受け入れた少女にしてやれたことは希望通り爆弾を積むことと、押せば通電するだけという単純な作りのリモコン式起爆装置を渡してやることくらいであった。
チサトは恨み言のひとつも言わず、丁寧に頭を下げ礼を述べてから走り去った。
装甲ジープが豆粒のようになり、砂煙の向こうへ消えた。こうしている間にも傷付いた車輌が次々と入ってくる。罪悪感を覚えている余裕もなかった。
ジープと入れ替わるように大型戦闘用バイクが入ってきた。鉄腕が特徴の大男、アイザックだ。
「よう大将。弾とガス、満タンで頼むぜ」
ベンジャミンは答えない。
虚ろな目をして、自分が今どこにいるのかもわからないような様子で周囲を見回し、十数秒も経ってからようやくアイザックを視界に収めた。
「アイザック、助けてくれ……」
「あん? 何だって?」
「あいつを、助けてやってくれ……」
痛いほどに渇いた喉で、それだけを言うのが精一杯であった。
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