第205話

「ど畜生ぉ!」

 カーディルは履帯の右側だけを全力で走らせた。コンパスの動き、信地旋回によって逆さ熊を振り払う。


 一方的なバック走行ならば押さえられた。斜めにかかったベクトルに対応しきれず逆さ熊は車体を離してその場でよろめいた。体力も限界であったのだろう、吹き出す泡は真っ赤に染まり、血混じりどころか血そのものだ。


 足をもつれさせて倒れた逆さ熊は、立ち上がろうとはしなかった。疲労によるものか、歪な姿で産み出されたことへの絶望か、それはわからない。


 哀れであった。ディアスの胸に、針金の先で引っ掻いたような痛みが走る。だが、いつまでも感傷に浸っているような贅沢は許されない。


 寄生虫まみれの薄汚い毛皮に竜の火弾が突き刺さる。粉砕、重量感のある肉と血煙が23号の車体へ降りかかった。


 何もかもか一瞬の出来事である。


 態勢を立て直すべく、カーディルは23号を高速で走らせた。距離を取らねばならない。だが、本拠地である機動要塞や簡易補給所へ赤竜を案内するわけにはいかない。進むべきは逆方向。街や仲間たちから離れることに不安はあるが、要は赤竜を倒して戻ればよいだけの話だ。


(これも、いつものことってねえ!)


 己に言い聞かせ、心を奮い立たせる。


 赤竜は追っては来なかった。代わりに黒煙を吹き出し動かなくなった戦車にのしかかる。乗員がどうなったかはわからない。中で死んだか、脱出して外のミュータントになぶり殺しにされたかのいずれかであろう。


(ありゃ、フラれちゃったかな。しつこい男が追って来ないのは、それはそれで結構だけど……)


 後部カメラを最大望遠、丸く切り取られた光景のなかで赤竜は戦車砲に噛みつき、噛み砕いた。


「なっ……!?」


 ディアス、カーディル共に絶句。


 鋼鉄の主砲がまるでビスケットのように噛み砕かれ、赤竜は喉をうごめかせて飲み込んだ。


「……ああやって鉄分を補給しているわけね」


「やはり奴とは仲良くなれそうにないな。食生活が合わない」


「ミートサンドを食わせたら向こうも同じこと言うわよ、きっと」


 牙を抜かれた無惨な姿と成り果てた戦車を蹴り飛ばし、赤竜は空へと舞い戻る。天空の絶対王者、彼の眼に映るハンターもミュータントも等しく虫ケラだ。


 赤竜は優雅に大きく旋回しながら23号を追う。逃げて見せろ、楽しませろと言っているかのようだ。


 ディアスの表情は変わらないが、右のまぶただけがピクリと動く。安全な位置から一方的に相手を攻撃できる者が持つ傲慢さ、それが彼の怒りに触れた。


(何が空の王者だ。俺の主は荒野の女王だけだ)


 指先でモニターをトントンと軽く叩きながら言った。


「方針は決まったな。奴が食事のために降りてきたその瞬間を狙う」


「そうね。ただ……」


 と、カーディルは少しだけ言い淀む。


「私たちがそこを狙うことは、あのトカゲ野郎も承知の上ではなくて?」


「奴の知能ならば、そうだろうな。バレているということを前提で動くべきだろう」


「降りるふりをして降りないとか、十分に距離を取ってから食事をするとか……」


「考えるだけで腹が立つな。だが、こちらにも有利な材料が無いわけでもない」


「それは?」


 カーディルが疲労と明るさの混じった声で聞いた。どこをどう考えても楽しめる状況ではないが、ディアスがどんな答えを用意してくれたのかは興味が湧いてきた。


「まず、奴は俺たちを舐めている。どこかで隙が生じるはずだ。不快ではあるが、傲慢さのツケは払ってもらおうじゃないか」


 具体的にいつ、どんなヘマをやらかすかはわからない。こればかりは勝機を見逃さぬ集中力が要求されるだろう。有利な材料ではあるが、決して楽ではない。カーディルは固い表情で頷いた。


「もうひとつ、これは一対一の戦いではないということだ。さっき俺たちは中型に邪魔をされたが、同じことが相手にも言える。俺たちが注意を引き付けている間に、他のハンターが赤竜のケツをほじってくれれば万々歳だ」


「確かにそうね。連中がどこまであてになるかはわからないけど」


「ぬぅ……」


 ディアスは唸り、言葉が続かなかった。


 この戦いに参加しているハンターたちは誰もが必死だ。手を抜いている、などと言うつもりはない。


 しかし大型ミュータント相手となると、どうしても及び腰というか、大型を倒すのはディアスたちの役目で自分たちはサポートに徹すればよいという空気が出来上がってもいた。


 実際、赤竜との戦闘が始まると援護の為に数両の戦車が遠巻きに陣取っていたのだが、超高速の火弾を放つとわかると姿を消してしまった。


 ディアスに彼らを責めるつもりはない。また、その資格もないと考えていた。釈然しゃくぜんとしない思いはあるが、それだけだ。


 ハンターがまず考えるべきは己の命、それが基本だ。危険とわかれば遠ざかる、彼らの行動は何も間違ってはいない。少なくとも、ハンターの倫理観ではそうだ。


 今まで仲間と連携を取って戦うということを重視してこなかった結果であるとも言える。本来ならば大型ミュータントの出現頻度が上がってきたところで真剣に考えねばならないことだった。


 だがディアスは、カーディルさえいれば良いというスタンスを崩さず、仲間を作ることよりも己の戦車を強化することで解決策とした。臓物戦車に21号を潰されて、命からがら逃げ帰った後ですら変わらなかった。


(我ながらどうしようもないな。面倒ごとから目を逸らしてきた、そのツケが回ってきたというだけのことか……)


 とはいえ、カーディル以外の人間に目を向けて、束ねて導くような真似が出来ただろうか?


 考えるまでもなく結論が出た。無理だ。


 カーディルとふたりだけで戦うことを望んだ。そういう生き方しか出来なかった。四肢を失ったカーディルを背負ってさ迷い歩いたあの日から、ディアスの血肉に刻み込まれた生き方だ。


 反省するとか、必要に応じて変えるとか、そんなレベルの話ではない。


(結局、これが俺たちの限界ということだ。出来る範囲で、出来ることをするしかない)


 ディアスは薄く笑った。それは自嘲であり、自分自身を知った喜びでもあった。


「とりあえず赤竜のデータを機動要塞に送ろう。後は向こうの出方次第だ」


「ま、それしかないわよねぇ……」


「悲観したものでもないさ。身の安全の為に逃げ回るのがハンターならば、勝機を掴めば食らい付いてくるのもハンターだ」


 ディアスの言葉には数多くのミュータントを討ち果たし生き延びてきたトップハンターとしての、風格と余裕すら感じられた。

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