第200話

 23号の整備と補給は本当にすぐ終わった。


 同業者たちからは、あいつらはいいように使われていると憐憫の視線を向けられたものだが、休憩はしたいが集中力を途切れさせたくはなかったディアスたちにとってはむしろありがたかった。あと十分ほど休憩が長引けばカーディルは眠ってしまっていたかもしれない。


「じゃあな、生きて戻ってこいよ。そうすればどんなに壊したってすぐに直してやるからよ」


 そう言って笑いながらベンジャミンは立ち去った。


「戦場からわずか20㎞。大した武装もなく留まり整備を続けるというのは、相当な胆力が必要だろうな」


「ミュータントがこっちにまで雪崩れ込んできたらどうするつもりかしら?」


 カーディルが軽く首をかしげる。


「その時はトレーラーに乗って逃げ出す手筈ではあるはずだが……」


 ディアスの視線は整備士たちが忙しく駆け回る簡易テントに向けられたままだ。


「あの人はここに留まり、死ぬつもりかもしれない」


 カーディルは驚いたようにディアスを見やるが、ベンジャミンの立ち振舞いを思い出してすぐに納得した。彼の態度には、確かに覚悟と達観のようなものが感じられたからだ。


 覚悟をしているといえば聞こえはいいが、それはどこか死に急いでいるような印象も受ける。ベンジャミンだけではない、ノーマンもロベルトも、もしかすると自分たちさえも、そうした空気に囚われているのかもしれない。


「……そうならないためにも、私たちが食い止めなけりゃならないわね」


 死ぬためではなく、生きるために戦うのだと証明してみせる。そんな決意を抱きカーディルは軽快に戦車に飛び乗った。




 ディアスたちは再び鉄と臓物のあふれる荒野へと舞い戻った。


 幸いにと言うべきか、ミュータントたちは無理に突破して街へと向かおうとはせず、目の前の人間を殺し尽くすことに専念しているようだ。前線を抜けてくるミュータントもいるが、それは後方に控える装甲車や戦闘バイクでなんとか対処していた。


 味方は何輌やられたのか、敵はあと何匹残っているのか、もう何もわからなかった。荒野のあちらこちらで戦車が横転したり、煙を吹いたり炎上したりとしている。そうした光景を目の当たりにしても何も感じなくなってしまったことが、異常といえば異常だ。


 大地はミュータントの血で汚れていない部分を探すほうが難しい。小型ミュータントが集まって喰らっているものは人間かミュータントか、残った肉片からは判別が付かなかった。


 ディアスたちはミュータントの群れに向けて走り、撃ち、離脱することを繰り返す。いつしか精神までも戦車と一体化したような錯覚に囚われ、現世と地獄の区別も曖昧あいまいになってきた。それでも動きによどみがないどころか、ますます鋭く正確になってきているのは彼らのハンターとしての本能か、あるいは生への執着か。


 戦闘開始から八時間後。頭上に昇った太陽が角度をつけ始めた。


(まずいな、これは……)


 時間という新たな足枷が加えられた。夜になれば人間の体力も精神も持たないだろう。逆にミュータントは活性化する。そうなってはもう勝ち目はない、皆無である。


 タイムリミットを迎えることはハンターたちのみならず、街に住む三百万の住民の命が蹂躙じゅうりんされ、食い散らかされることを意味するのだ。


 他人の命に執着が薄いディアスでさえ、これには手が震えるほどの恐怖を覚えた。


(考えたってどうしようもないことを考えるな。バカだ、バカになれ……)


 迷いを振り払うように放たれた高速徹甲弾がミュータントの頭部を粉砕し、破裂した水道管のように鮮血が吹き出し周囲のミュータントを濡らす。


 ミュータントを一体倒すことで一歩前進したのか、それとも砂漠の一握に過ぎないのか。無心になれと己に言い聞かせるいう矛盾を抱えながら、ディアスは次弾の装填にかかった。




 もう何度目かもわからぬ補給に戻る。ベンジャミンと軽口を交わす余裕も無くなり、『おう』とか『どうも』で済ませるようになった。


 カーディルの身体を23号から切り離した後で義肢を付けることも止めた。四肢のない身体をディアスが抱きかかえ、休憩所の隅に座る。他人の目を気にすることもなくなった。


 膝の上に乗せて日除けマントで包み込むようにしたカーディルの体温を感じることで、ディアスはようやく正気を保っていた。


 のそり、と休憩所に熊が入ってきた。いや、よく見ればそれは人間だ。


「ようアイザック、生きていたか」


「……お互いにな」


 アイザックは疲労の浮き出た顔に笑いを浮かべて向かい側に座った。顔は全体的に土気色で、目玉は零れ落ちるのではと心配になるくらい飛び出ている。ミュータントの返り血を浴びて、乾燥した空気ですぐに乾くということを繰り返したためか、衣服に血の塊がこびりついて身動きする度に赤い粉がぱらぱらと長椅子に落ちた。


 同じテーブルを囲んで座ったが、特に会話があるわけでもなかった。口を開けば不安か不満しか出てこなさそうだ。


 やがてアイザックは言葉を選ぶように言った。


「俺はこの戦いが終わったらハンターを引退するつもりだ。それから、やりたいことがある」


「……なんだ?」


 戦況に関する話であれば無視するつもりだった。その先を見据えたアイザックの言葉に、ディアスは少しだけ興味を引かれた。


「学校のな、先生になろうと思うんだ」


「あなたの人生で、ひとさまに教えられるようなことが何一つでもあった?」


 カーディルが顔だけを向けてからかうように言った。


「ひでぇ言い草だ。誇れるかどうかは別としてひとつだけあるぞ。ハンター専門の学校を作るんだよ」


 話しているうちにアイザックの顔にわずかな血色が戻り、言葉は力強さを帯びた。


「ミュータントの情報、有効な武器や立ち回り。そういうのを教えてやれば若いもんが無駄に命を散らすこともなくなり、街の戦力増強にも繋がるだろ。どうだ?」


「……悪くない。いや、とても良いな。今まで無かったのが不思議なくらいだ」


 ディアスは楽しげに頷いた。


 ハンターの生死は常に自己責任、その言葉が曲解されてはいなかっただろうか。それは誰もが独りで生きていけという意味ではないはずだ。協力することが全体の利益に繋がるならばいくらでも助け合うべきなのだ。ハンターが一丸となって危機を乗り越えた後ならば、きっとアイザックに賛同する者も多く出てくるだろう。


「うん、すごく良い」


 ディアスはもう一度頷いた。


「どうだ、お前さんたちも講師として参加しないか? もちろんハンターを続けながらでいい。たまにトップハンターが顔を出してくれりゃあ、みんな喜ぶだろ」


 咄嗟とっさには言葉が出てこなかった。ディアスは視線を逸らし、数秒の間を置いてから答えた。


「俺たちの戦い方が参考になるとは思えないな」


「まあ、そりゃそうだけどよ」


 アイザックはからからと笑い、対照的にディアスは嘘をついた後ろめたさを覚えていた。


(俺たちはもう、長くは生きられないよ)


 それを伝えることはアイザックのきらきらと光る未来に影を落とすような気がして、何も言えなかった。


 やるべきことを終えた後で、ひっそりと消えてしまいたい。自分たちのことなど忘れてしまって構わない。出来れば生き延びた人たちは幸せに暮らして欲しい。


 ディアスの指先がカーディルの髪を優しく撫でて、カーディルも安心したように身を預けていた。


 スピーカーがガリガリと不快な音を立て、ハンターたちの怯えた視線が向けられた。補給完了、それは地獄へ引き戻される死神の呼び声。


「ベンジャミンのおっさん、いつか刺されるな」


「冗談にしては趣味が悪すぎるわよ」


 カーディルににらまれると、アイザックは反論せずに肩をすくめてみせた。


『あー……、ハンター諸君、良い知らせだ』


 スピーカーから飛び出してきたのは恨みを一身に背負う哀れな整備班長ではなく、この戦いの総指揮官、マルコの声であった。彼の声を聞くのはずいぶんと久しぶりのような気がした。


『まず、敵の増援が途切れた。今いる奴らを倒せばそれでおしまいだ』


 マルコは具体的な数字は出さなかったが、あえて数に触れなかった気持ちはディアスにもわからぬではない。


『もうひとつ、大型ミュータントが現れた。つまりこいつらを倒せば流れは大きく変わるということだ』


 それのどこがグッドニュースなのか。疑問ではあるが、指揮官として悲観的な言葉は吐けなかったのだろう。地獄の蓋が開きました、などと正直に言って得することは何もない。


『以上だ。諸君らのより一層の奮闘を期待する』


 自分で毛ほども信じていない言葉を恥じるように、マルコは早口で用件を終えて通信を切った。


 残されたハンターたちの頭上いっぱいに浮き上がる疑問符。戦闘中の車輌全てにも同じ内容の通信が流れたことだろう。ハンターの半数くらいは状況をよく理解していないかもしれない。


「勝利条件が曖昧なことと、勝利が程遠いと知ること。不幸なのはどっちだろうな」


 笑おうとしたが失敗した、そんな顔でアイザックが呟く。


「認め、受け入れなければ生き残れない。それだけは確かだ」


 最悪の状況と知り、かえって腹をくくることが出来たのか、ディアスの声は落ち着いていた。


「退路が前にしかない。男の人生、そんなこともある」

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