第198話

 透き通るような朝日を浴びて、超巨大戦車機動要塞が荒野を突き進む。付き従うは戦闘用車輌680台。


 参加できる車輌は750台であったが、うち40台はミュータントが防衛線を抜けたときに備えて街の守りとして置いている。


 残る30台は土壇場になって車の調子が悪いと言い出した連中だ。神経が尖って少々冷酷になったロベルトが彼らにどのような裁定を下すか、あまり想像はしたくないところだ。


 マルコは革張りのシートに尻を沈めて機動要塞のメインルームを眺め回した。その眼に宿るのは適度な緊張と、高揚感と、一抹の寂しさ。


(こんなに広かったっけなぁ……)


 機動要塞には丸子製作所の整備士たち、ロベルト商会から借りた操縦手やオペレーターたち、さらには護衛のハンターたちも詰めているのでマルコ独りという訳ではない。むしろ手狭なくらいだ。


 それでもマルコは孤独を感じていた。


 つい数ヶ月前には隣にロベルトがいた。シーラがいた。カリュプスのハンター協会会長であるゲオルグも合わせて様々な話をしたものだ。


 今は、隣に誰もいない。


 マルコはふと、不安に駆られた。自分は何のために戦おうとしているのか。本当に守りたかったものは、全て指の隙間から零れ落ちた後ではないかと。


(いや、そうじゃない……)


 血の染み付いたネクタイをぎゅっと握りしめた。遠目には悪趣味な柄にしか見えないそれこそ、託された命の証だ。


 守るべきは名誉。ドクがどんなカラクリで不死の力を得たかは知らないが、今を必死に生きる人間の命が弄ばれてよいはずがない。


 今まで研究者の興味というフィルターを通してしかミュータントを見てこなかったマルコが、しっかりと前を見据えていた。


「司令、前方30㎞に多数の生体反応。ミュータントです」


 通信機から聞こえるカーディルの声。マルコは黙って大型モニターを睨み付けたままだ。


「あの、マルコ司令? 聞いています?」


「……え? あ、ああ。僕か!」


 どうもこの呼ばれ方には慣れない。これから先、慣れるとも思えない。


 こんな大舞台を率いる立場になろうとはマルコ自身が信じられぬことであり、マルコにしか出来ないことだ。


 敵の進軍速度が予想よりも速い。だが致命的なズレではないはずだ。


「全車停止、ここで迎え撃つ!」


 機動要塞を中心として380輌の戦車が扇状に広がった。残る装甲車などは後詰めだ。戦車砲の一斉射撃に巻き込まれるわけにはいかない。


「敵先頭集団、距離10㎞!」


「戦車隊砲撃開始! てぇッ!」


 オペレーターの悲鳴にも似た報告。マルコは不安を吹き飛ばすように号令を下した。臓腑を捕まれ揺さぶられるような轟音が鳴り響く。指揮者がタクトを投げ捨てた不協和音、鋼のオーケストラが始まった。


 人間を殺すためだけに生まれ突き進む悪意の群れ。砂埃を巻き上げ襲い来るミュータントがちらとモニターに映った。


 銃弾すら跳ね返す脅威の筋肉ダルマ、白猿キラーエイプだ。これがざっと数えただけでも100体はいる。


 様子がおかしい。白猿であることは確かなのだが、どの個体も頭が二つ生えていたり、右腕が二本あったり、腹から足が飛び出ていたりと奇妙な姿をしているのだ。


(哀れだな……)


 生産施設のAIが暴走した結果、人間に対する悪意だけを詰め込まれ、歪な形で放り出された望まれぬ生命体。


 彼らを拒絶し、叩き込まれる砲弾の嵐。


 徹甲弾が突き刺さり、吹き上がる血飛沫。榴弾に巻き込まれ弾ける頭。倒れ伏し、起き上がる間もなく後続に踏みつけられ、潰れた内臓がどす黒い粘液となって口から漏れる。


(ドク、これがお前の望んだ世界なのか? 自らを観測者と名乗り、見たかったのがこんなものなのか?)


 もう何年前になるだろうか。ディアスが犬蜘蛛の巣に乗り込んだ時、子蜘蛛の首を親蜘蛛の前に放り投げて難を逃れたことがあった。その様子を語る彼は、


「悲しい眼をしていました」


 と、恥じるように言ったものだ。


 こいつは意外にロマンチストだな、くらいにしか思わなかったが今ならばわかる。ミュータントもまた、くのだと。


 異形の化け物として生まれ、訳もわからぬまま同胞に踏み潰され命が消える。モニターに映る白猿の眼が問いかけた。俺は誰だ、と。マルコに答える術はない。


「撃て! 撃ち続けろ! 殺せ!」


 救え。そんな願いを込めながらマルコは殺戮を命じ続けた。


 接近戦に持ち込まれては圧倒的に不利だ。出来る限り遠距離で仕留めたい。


 変異形白猿の後に続き、小型ミュータントが雲霞のごとく押し寄せる。


 蟷螂の頭に、バケツ一杯のステロイドを注入したような筋肉質の犬。身体の所々が壊死し、骨まで見えているが快楽に顔を歪ませ奇声をあげて走り来る猿。野犬サイズの蟻がミュータントの死骸を食いながら突き進む。


 ハンターたちの胸に宿るのは根源的な恐怖と、生命の冒涜ぼうとくに対する憎悪。


 正義感や使命感といったものはハンターには無縁の言葉だが、今は誰もがミュータントの存在を許してはおけぬと理解していた。これは命の尊厳を守る戦いだ。


 音速を越えた砲弾が降り注ぎ、荒野を屍山血河へと変貌させる。それでもミュータントたちは止まらない。やがて一体の白猿が突出した戦車に取り付き、主砲を信じられぬ怪力で叩き折った。


 その白猿は衰弱していたこともあり機銃で仕留めることは出来たのだが、ミュータントが触れる距離に来たということがハンターたちを恐怖させた。


 ここは地獄だ。そして、自分たちの足首は亡者に掴まれた。




 薄暗い地下工場。その管理室にてドクは明かりも点けずにモニターを眺めていた。


「死ね。ミュータントも、人間も。歴史の絞りカスども全て死に絶えろ……」


 人類が戦いを追い求め、進化すら手中に収めたと思い上がった結果がこの光景だ。


「たとえば……」


 ドクは独り、モニターの中の人間たちに語りかけた。


「たとえばクリスマスに、ボタンひとつで生命を混ぜ合わせる機械を子供に送ったらどうなると思うね?」


 一輌の戦車が炎上している。喉が変形するほど大きな爆弾を呑み込んだ翼竜の自爆特攻に巻き込まれたのだ。傍受ぼうじゅした無線から生きたまま焼かれるハンターの悲鳴が聞こえるが、それもどこか遠い世界のもののようにしか思えなかった。


「初めは面白がって適当な組み合わせで作り続けるだろう。やがて慣れてくると、強力なミュータントを求めるようになる。そのうち飽きると、とにかく悪趣味なものを、笑えるものを作り出すようになる」


 ドクの目蓋と唇が細かく震えだした。そこにある感情は悲しさか悔しさか、彼自身にもわからなかった。


「世界が滅びた経緯はおおよそ、そんなところだ。馬鹿だろう? ……本当にくだらないな」


 そんなことで自分たちは死ななければならなかった。ミュータントが住み着いたビルの一室で息を殺して怯えて過ごし、ひとつの缶詰を分けあって、愛する者の死を見届けた。記憶が痛みを伴って色鮮やかに甦る。


 モニターの中でまた、誰かが死んだ。彼らも被害者であり、愛しき隣人だ。


 青白い光に照らされた顔、その唇が微かに動く。


「死ね。君たちの死に様を全て、私が見届けよう」


 その声はむしろ優しげでもあった。

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