第194話

 翼竜、プテラノドン。旧世紀の知識を持つ者ならばそう表したであろう。飛行するミュータントは中央議会塔に突っ込み、自爆した。


 街全体を揺るがすような轟音。権力の象徴である塔の最上階が崩れ、太陽が伏魔殿ふくまでんを照らし出す。立ち上る黒煙の下でシーラは目を覚ました。


 体が動かない。爆風に巻き込まれ激しく叩きつけられたはずだが、何故か痛みはない。


 なんとか首だけを動かし自分の体を確かめ、理解した。下半身が無い。腹の下から溢れた内臓と、どす黒い血の染み。それだけだ。


 ひっ、と声が漏れて白いのどが引きつる。だが取り乱しはしなかった。どう足掻いても死ぬ、その事実が逆に彼女を冷静にさせた。


(あのスカート気に入っていたんだけどなあ……。自慢の美脚もなくなって穿けないからどうでもいいか)


 とりとめのない考えが頭の中に浮かんでは消える。


 破天荒はてんこうな父に振り回され、疲れはするがそれなりに楽しい人生だった。心残りは、自分が生きた証というものを何も残せていないことだ。


 愛や恋といった言葉とも無縁の人生だった。


 ディアスとの結婚話が出たときは即座に断りを入れたが、今にして思えば、


(惜しいことしたかな……)


 と、いう後悔がないわけでもない。


 あの時点でディアスに対する評価は得体の知れない男であり、優秀なハンターをロベルト商会に引き込むためだけに結婚させられるということに嫌悪感を抱いただけだ。後から考えれば、この上ない優良物件と言える相手だった。


(ディアスさんとカーディルさんを引き離すことは絶対に無理だとしても、三人で一緒に暮らすとかそういう道もあったんじゃないかな。それで私はディアスさんとだけでなく、カーディルさんとも淫らな真似をしたりして。ふふ、なんてね……)


 今となってはあり得ない妄想にふけっていると、


「……ラ。シー……ラ、くん……」


 と、誰かが呼ぶ声が聞こえた。


 首だけを回すと、そこには這い進むマルコ博士の姿があった。瓦礫の上を進んだからか両腕は傷だらけで血が滲んでいた。


「博士、ご無事でしたか……」


「シーラ君が咄嗟とっさに突き飛ばしてくれたおかげでね。右の膝から先が見当たらないが、なんとか生きているよ。君は……」


 と、言いかけてマルコは首を振った。何も言う必要は無い、言うべきでもない。


「何か、言い残すことはあるかい?」


 そこでシーラはひとつ思い付いたことがある。自分がこの世に残した爪痕が、確かにあるではないか、と。


 シーラは震える指で、しかし器用にネクタイを外してマルコに差し出した。


「これで、足を縛って血止めをしてください」


「今は僕の心配なんかしなくてもさ……」


「あなたの命が、私の形見です」


 どういうことだろうかと、怪訝な顔をしながらマルコはネクタイを受け取った。


「あなたが生き延びて、対ミュータントの指揮をり撃退することが出来たならば、私の死にも意味があったと言えます。歴史に私の名が残ってしまいますね、ふふ……」


 そう言って微笑むシーラの手を、マルコは両手で固く握った。


「任せろ。必ず、君をこの街の英雄にしてみせる。だから、だから安心して……後は、任せろ……ッ」


 シーラはもう、言葉を発することは出来なかった。


 マルコは己の感情を上手く言葉に出来なかった。


 満足げに頷くシーラの眼が、ゆっくりと閉じられた。そして二度と目覚めることはなかった。


 数分後、銃を構えた警備隊が突入し、マルコは無事に救出された。


 シーラは手の施しようがなく、議会の正式なメンバーでもないので後回しにされ、遺体が回収された頃には数匹の肉食蝿にたかられていた。




 天井を見上げていた。


 丸子製作所の医務室でマルコはベッドに寝かされていた。右手にはあの日に託されたネクタイが握りしめられている。


 容体が落ち着いたら義足を付けるつもりだが、今は何もやる気が起きなかった。


 ドアの外がなにやら騒がしい。


「ロベルトさん、ちょっと待って!……ああもう、親父! 待てってば!」


「うるせえ! ガキは引っ込んでろ!」


 ロベルトがドアを蹴飛ばして入ってきた。息が荒く、顔が赤いのは病気のせいかそれとも抑えきれぬ憤怒のためか。


 少し遅れてノーマンが入って来た。眼が赤く腫れぼったい。


 大股でベッドに近寄ったロベルトがマルコの胸ぐらを掴み、強引に引き起こした。


「シーラは死んだ、何故貴様はのうのうと生きていやがる!?」


 並みの者ならば震え上がって声も出なくなるであろうロベルトの眼光。マルコはそれを正面から見据えていた。これから先、何があろうとも逃げることだけは許されないと己に課していた。


「……シーラ君が守ってくれたからですよ」


 答えながら血の付いたネクタイを差し出した。ロベルトはそれがシーラのものだと一目で理解した。


「死体から剥ぎ取った……わけでは、なさそうだな。あいつは最期に何か言っていたか?」


「僕の命が、形見であると」


 この先の戦いに必要なのはマルコであると、そう判断して咄嗟にかばったのだろう。シーラは、そういうことが出来る女だ。


 彼女の気持ちは痛いほどに理解できる。立派な覚悟だと誉めてやりたい。一方で親としては、他の何を犠牲にしてでも生きていて欲しかった。そう願うことは我が儘だろうか?


 ロベルトはマルコの胸ぐらから手を離し背を向けた。


「マルコ、貴様に機動要塞をくれてやる。金も商会からいくらでも流してやる。好きに使え」


 だから、と呟いてから拳を握りしめた。


「殺せ! ミュータントどもを一匹残らず! ドクが不死身だというのであれば、何百回でも殺し続けろ!」


 悲痛な咆哮。ロベルトは肩で息をしている。少し落ち着いた頃を見計らってマルコが答えた。


「お約束します。奴らは必ず、仕留めて見せます」


「……すまんなマルコ。俺はもう、前線には出られそうにないし、出ても役に立てないだろう。議員たちにも金は出させる。未だに四の五の言う奴がいたらこっちで絞めておくから安心しろ」


「何よりもありがたいお言葉です」


 手を振りながら出て行くロベルトの背は、十も二十も老けて見えた。


 マルコは手の中のネクタイをじっと見つめ、やがて意を決したように枕元の受話器を取り上げた。


「僕だ、手術の準備をしてくれ。……ああ、そうだ。義足を取り付ける」


 懺悔と後悔の時間は終わりだ。


 これから自分の足で歩かねばならない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る