第193話

 マルコの執務室から帰る途中の廊下でディアスが呟くように言った。


「ミュータント生産施設を潰したら、ハンターを引退しないか」


 カーディルは信じられない、といった顔で振り向く。長い睫毛が小刻みに揺れていた。


「何を、言っているの……」


 ハンターを辞めようと言われたことがショックなわけではない。ディアスは自分がどれだけミュータントを憎んでいるかを知っているはずだ。それでいて何故ハンターを辞めるなどという言葉が出てくるのか。


(あなたは私の最大の、唯一の理解者ではなかったの……?)


 言葉なき言葉、瞳の訴えをディアスは正確に理解した。人のいない、耳が痛くなるほどの静寂に満ちた廊下でふたりは足を止めて向かい合った。純粋な愛情だけでなく疑惑を抱えて見つめ合うなど、ここ数年なかったことだ。


「聞いてくれカーディル。俺たちには時間が無い。いや、どれだけ長く生きようと俺たちだけでミュータントを絶滅させるのは無理だ」


「そんなことはわかっているわ。だからこそ命が尽きるまでぶっ殺しまくろうって、そう考えていたのよ」


「どこかで区切りを付けたい。生産施設を潰せばミュータントの数は減る。ひょっとしたら大型あたりは二度と出てこないかもしれない。状況は人間にとって、確実に良くなるんだ。それをもって復讐の完了としてくれないか。そして……」


 ディアスはカーディルの眼をまっすぐに見据えて言った。


「君の残りの人生を、俺にくれ」


 カーディルは胸の奥がぎゅっと痛むのを感じた。それは決して不快な痛みではない。


(え、なにこれ? プロポーズみたいなもん?)


 全ての役目を終えて、愛する男に看取られながら穏やかに息を引き取るイメージが脳裡に流れ込んできた。それはとても、とても甘美な夢だ。


 ミュータントの暴走を押し返し、生産施設を潰したところで本当に憎しみを捨てることが出来るかどうかはわからない。ただもう一度、この男を信じてみたくなった。彼は決して、自分の心をないがしろにしてこんな願いを出したわけではない。


 カーディルは、ふぅ、と軽くため息をつく。その表情からけわしさが取れていつもの優しい笑顔が戻っていた。


「あなたに捧げられるものは、全て捧げたと思っていたんだけどね……」


 言いながら、義手をディアスの首に巻き付けた。


 思い返せばこの義手もディアスと共に生きるなかで大きく変わっていった。初めは三本爪のロボットアームだった。次は腕としての機能を不足なく備えた滑らかな銀色の義手であった。今付けているものは人工皮膚を使った、本物と見分けがつかぬほど精巧な義手だ。


 愛情と誠実さをずっと受け続けてきた。そうして腕が成長したのだと、カーディルはそう解釈していた。


「いいわ。施設を潰せたなら私の心、復讐心を含めた全てをあなたに預ける」


 引き寄せられるように唇が触れ合った。




風邪かぜひいた」


 ロベルト商会、会長執務室にて。朝早くからロベルトに呼び出されたマルコが言われた言葉がこれである。


 マルコがデスクの上を凝視しながら聞いた。


「それは、何ですか?」


「風邪薬だが?」


「そうですか。僕にはどこをどう見ても酒だとしか思えないのですが」


 グラスに入った琥珀色こはくいろの液体、傍らに置かれた丸みを帯びたビン。どこをどう見ても完全にウイスキーである。


「卵酒の卵抜きみたいなもんだ、気にするな」


「驚きましたよ。ロベルトさんでも風邪をひくんですね」


 どうやら二日酔いなどではなく、本当に風邪らしい。ロベルトはマルコよりも十歳は年上だ、遠征の疲れが出たとして無理もないことである。


 ふと部屋を見回すと、すみに立つレディーススーツに身を包んだ若い女性と目が合った。ロベルトの新しい秘書、あるいは愛人だろうか。どこかで見たような気がしたが思い出せなかった。


「それでロベルトさん、今日の定例議会はどうしますか。欠席で?」


「いい機会だからシーラを代理として行かせようと思ってな」


「へえ、娘さんに?」


「正式に後を継がせる前に色々と経験させておきたくてな。俺の付き添いで行っているから道がわからねえってことはないだろうが、議会員として参加するのは初めてだ。お前が付いてやってくれないか」


「構いませんよ。それで、シーラ君は今どこに?」


 ロベルトと秘書らしき女性が眼を丸くしている。何かやってしまっただろうかと、いたたまれない空気が流れた。


「どこもくそも、目の前にいるじゃねえか」


「え? あ、ああ。いや失敬、いつもと雰囲気が違ったもので」


 見覚えがあるに決まっている、スーツの女性がシーラだ。メイド服はどうしたのかと言いかけたが、あれは別に体の一部というわけではなく、脱着可能だ。


 シーラは一歩進み出て、メイドであった頃と変わらぬ優雅な一礼をした。


「マルコ博士、何卒なにとぞ指導しどう鞭撻べんたつのほど、よろしくお願いします」


 これから街の最高権力者たちが集まる会議におもむこうというのに落ち着き払っている。なんとなくマルコの方が気後れしてしまったくらいだ。


(ロベルトさんが後継者に選ぶわけだ……)


 マルコが感心していると、シーラは腕時計をちらと見てから、


「それでは、また議会場でお会いしましょう」


 と言って、滑るように部屋を後にした。


 形の良い尻と、スカートからすらりと伸びた黒タイツの脚を見送りながら、マルコは己の人生に縁の薄かった情欲というものが掻き立てられるようであった。


(ああいったタイプの格好いい女性は周りにいなかったな。いやいや、何を考えているやら。僕と彼女では倍も歳が離れているわけで……)


 ロベルトが疑惑の視線を送っていることに気付き居心地が悪くなって、


「では、僕もこれで失礼します」


 と、そそくさと出て行った。


 心が弾んでいることを自覚しながら、らしくないなと自嘲した。




 中央議会塔、最上階。外壁が全てガラス張りの廊下でシーラの姿を見つけた。街を眺めているようだ。


 マルコは猫背を意識して反らして近づいた。


「や、お疲れ」


 シーラも振り向き、会釈を返す。また街を憂いを帯びた瞳で見下ろしながら言った。


「博士、ミュータントの暴走はいつ頃になるとお考えですか?」


 色気のない話題に少しだけ落胆するが、マルコはすぐに研究者としての顔に戻り答えた。


「そう遠くはないだろうね。ディアス君の話だと、ドクはミュータントと人間の争いを見物するのが目的だ。五年、十年と経ってしまうのでは興醒きょうざめだろうさ。一年以内と僕は考えている」


 同意する、という意味でシーラが頷いた。


 恐らくAIが狂いかけているというのは、繰り返される自己更新のなかで自然に発生したことだろう。だがあの傍観者ぼうかんしゃ気取りは時期をずらす程度の手出しはする、そういった印象だ。


「今回の会議で、そのことを議題にあげますか?」


「……難しいな。これはディアス君がドクから聞いたという話で、信憑性が薄い。もちろんディアス君がこんなことで嘘をつくとも思えない。彼がそういう会話をしたのは事実だろう。だがドクの言葉が真実かどうか、それを確かめる術がない」


「他人を説得する材料としては心許ないですね」


「今回は遠征で持ち帰った映像を軽く流してミュータントの脅威を訴えるくらいしか出来ないだろうね。要するに、いつも通りだ」


 マルコの拳がガラス壁を強く叩く。


(ドクめ、舌先ひとつで引っ掻き回してくれるものだ。議会に乗り込んで宣戦布告でもしてくれた方がまだマシだった。信憑性とか説得力とか、そうしたものがまるで無いから協力者を募れず、身内で準備を整えるしか出来やしない……ッ)


 視線がつい、逃走経路という形で扉を追ってしまう。街の有力者たちが一度に集まる絶好の機会だ。


 ……いや、街を混乱に陥れることこそドクの思う壺ではないか。


 悪魔の誘惑を胸に押し込みながら外に眼をやると、空に黒い点のようなものが浮いているのに気が付いた。


「何だ、あれ……?」


 この世界に飛行機やヘリコプターは無い。全て旧世紀の大破壊により消失したテクノロジーだ。


 故に、マルコたちは飛行する物体を見慣れてはおらず、認識と反応が遅れた。それは勢いよく、まっすぐに議会塔へ向かって来た。激突し、ガラスが一斉に割れる。


 マルコはスローモーションのような視界の中で、シーラが必死に手を伸ばす姿を見た。


 そして、閃光が走った。

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