割れた砂時計
第191話
プラエドの街にも一応、オープンカフェというものがある。景観が殺風景なのでオシャレな店かと聞かれれば疑問が残るが。
白衣の男が道行く人々の顔を楽しげに眺めながら、泥のようなコーヒーを
そこへハンターオフィスから帰る途中のディアスが通りかかった。彼は白衣の男の姿を認めると、周囲に目を配ってから大股で近づき、向かいの席に座った。
「……相席を許した覚えはないが?」
男がカップを持ち上げたまま言った。その口調は不快というよりも、どこかこの状況を楽しんでいるようでもあった。
「そうだろうな、俺も許可を得た覚えはない」
ディアスは敵意を込めた、射抜くような視線を向けてきた。
「あまり、驚いていないようだな?」
「とんでもない、ものすごく驚いている。ただ頭の片隅に、もしかしたらという予感はあった。俺だけじゃない、あの戦いに関わった者全てが感じていたことだろう」
「ふ、ふ……。人の生死に対する嗅覚はさすがといったところか」
その男、ドクの青白い顔に笑みが浮かんだ。
「それにしても、よく私の顔を覚えていたものだな」
「丸子製作所に、貴様の首がホルマリン漬けで保存してある」
「え? それはちょっと……、引くな」
ドクは本気で嫌そうに体をのけぞらせた。数百年の記憶を持つなかでそんなことをされたのは初めてだ。乗り捨てた体など、どうでもいいと思っていたのだが内臓を
(まさか、エントランスの中央にオブジェとして飾ってあったりしないだろうな……?)
こればかりは相手の良識に期待するしかない。
「それで、貴様はこんな所で何をしている?」
「見ての通り、ティータイムを楽しんでいる。……では、納得しないよな?」
「当然だ」
ドクはカップの
「本当にただの人間観察さ。出来れば誰か私を知っている人間と刺激的な会話が出来ないものかと期待してもいたが、なんとも大物が現れたものだ」
と、言った。
「貴様の名前は? 俺たちが貴様をドクと呼んでいることは知っているだろう。答える気が無ければドクのまま通すが、それでいいか?」
ドクはしばし考える。まさか自分の名前を忘れてしまったわけではないが、その名を優しく呼んでくれた
人格をコンピュータに移植してから目覚めるまでに三十年かかった。ネットワークを掌握し、様々な機器やロボットを自在に動かせるようになるまでさらに二十年の時を要した。
彼女の身体も脳も、既に腐り果てていた。白骨から遺伝子情報を取り出してクローン体を作り出すことは出来たが、記憶と人格だけはどうしようもなかった。
呼ぶ者がいない名など、何の意味があろうか。
「ドクのままでいい。まあ、今の私には悪くない名前だ」
と、どこか
ディアスはドクの感傷になど興味はないとばかりに話を続けた。
「以前、貴様が言っていたミュータントの生産工場とはどこにある?」
「それを言うわけにはいかないな。私はあくまで観測者だ。潰したければ君たちが自分で見つける必要がある」
「巨人を生み出し、操っていながらよくもぬけぬけと
「闘争を促すために少し手を加えるくらいはな。繰り返すが私はただの観測者だ。人類の戦いと滅びを見届ける、それだけが目的さ」
相変わらず、ディアスにはドクの言っていることが半分くらいしか理解できない。狂人か、とも思ったがドクの瞳には確かに理性の光が宿っていた。
「今度はこちらから質問……いや、提案しよう。ディアス、ミュータントになるつもりはないか?」
「……なんだと?」
「そうだ。ミュータントになれば人間よりもずっと強大な力が手に入る。寿命だって数百年くらいある。人間がミュータント化した場合、生前の能力に大きく左右されるようだからな。私は君に興味があるのだ」
ディアスの脳裡に、今までに殺してきた人型ミュータントの姿が思い浮かんだ。皺赤子、ダチョウ男、肉人間、機織蜘蛛、腐肉の巨人、等々……。
力に溺れ
ディアスはゆっくりと首を振り、
「断る」
と、暗い声で呟いた。
「あんな哀しい生き物になるつもりはない」
憎いとも醜いとも言わなかった。戦場で対峙している時は闘志も殺意も湧いてくるだろうが、戦いを離れればただ哀しい存在としか思えなかった。ディアス自身、己のそうした心境に少し驚いてもいた。
ドクはいささか鼻白んだ様子であった。
「本当にそれでいいのか? 君の女……、そう、カーディルといったか。彼女、あまり長くは生きられないのだろう?」
ディアスの眉がピクリと動く。
「何故知っている、という顔をしているな。情報収集は得意でね、丸子製作所のセキュリティなど私にかかればラブホテルの壁並みに薄い。精密検査の結果を覗き見るなど容易いものさ」
精神が肉体に及ぼす影響は意外に大きい。それこそ命を左右するほどに。
犬蜘蛛の巣に連れ去られ暗闇の中で無数の子犬蜘蛛に貪り食われたことで彼女の精神と肉体は一度、生きることを諦めた。
ディアスの献身により心は立ち直ったものの体は完全復帰とはいかず、神経接続式の義肢や戦車などで負担がかかっていることもあり、ゆっくりと、本当に少しずつ衰弱していった。
これについては丸子製作所のサイバネ医師たちとも何度も相談した。彼女の命は持ってあと数年。神経接続式戦車の使用を止めたところで、寿命が一年か半年延びる程度であり、ミュータントを激しく憎むカーディルが承知するはずもなかった。
狩りから戻って眠る時間もずいぶんと長くなってきた。一度眠れば最低でも十二時間は目を覚まさず、このまま死んでしまうのではないかとディアスはいつも不安に駆られていた。
「ふむ、確か子供も産めない体だったな」
「……さっきから、何が言いたい?」
「そう睨むな。私は親切で忠告しているつもりだ。使い物にならなくなるのは確実なのだから、今のうちにスペアを確保しておいたほうがいいんじゃないか?」
「スペア、だと?」
「君の顔はなんというか……、アイドルやホストになれるようなものではないが、それでも長く頂点に君臨し続けたトップハンターだ。やりようによっては女がいくらでも寄ってくるだろう。それこそ、君のためなら喜んで手足を切り落とすような女が」
よくもここまで不愉快な台詞を並べられるものだ。ディアスは怒りの感情が振り切れて逆に冷静になっていた。
(こいつ、俺を挑発しているのか……?)
当初はそう思っていたがその後の様子を見る限り、どうもこのドクという男は本気で親切のつもりで言っているらしい。
あまりにも長く、永く生きすぎて数えきれぬ死を見続けた。己の命さえも消耗品として扱ってきたためか、死生観がガバガバだ。
壊れたから、新しいものを用意して、交換する。ひとの命であるという点を除けば実に合理的だ。
ディアスは何も答えない。成り立たない会話に飽きたか、ドクはつまらなさそうに立ち上がった。
「ああそうだ、最後にひとつ。生産施設のAIが狂い始めていてな。そのうち何か起こるかもしれない」
「何か、とは?」
「さあね。ミュータントを生産しまくって暴走させるか、あるいは逆に施設を稼働停止させるか。それが一年後か十年後か、何もわかりゃしない」
本当にわからないんだ、といったふうにドクは肩をすくめてみせた。
「施設というのはひとつだけなのか?」
「世界中に散らばっている。戦争のために先を争うように開発、研究され続けてきた生物兵器だ。まさに人類の負の遺産だな。歴史というやつは相続放棄を認めていないらしい」
何がおかしいのか、ドクはひとりでくすくすと笑い出した。
「ただまあ、この地方にはひとつだけだな」
ミュータントには他の生物を取り込んで増える奴がいる。卵などを産んで自然繁殖する奴もいる。生産施設を潰したところですぐに絶滅というわけにはいかないだろう。しかし、確実に数は減るはずだ。特に大型ミュータントの発生を抑えられるのは大きい。
使命や運命などといった言葉は好きではないが、ディアスは己のなかでやるべきこと、その方向性が定まったように思えた。
「ありがとう、助かったよ」
礼を言われるとはおかしな話だとドクが笑いかけたところで、ディアスはハンカチでも取り出すような自然な動きで銃を抜いた。
破裂音。ドクは口許を歪めたまま眉間に穴を空けられ、その場に崩れ落ちた。
周囲の人々は悲鳴をあげて逃げ出すか、眉をひそめてかかわり合いにならぬよう早足で去って行った。後に残されたのは冷たい眼をしたディアスと、血の染みを広げ続けるドクだけである。
店の奥から店主らしき男が包丁を持ったまま飛び出して来た。
「てめえ何してやがる! 店を汚すんじゃねえ!」
「すまない、ご店主。電話を貸してくれないか。すぐに死体を引き取りに来させる」
「ああッ、んだと!?」
ディアスはポケットに手を突っ込んで無造作にクレジットを取り出すと、それを店主に握らせた。店主は手の中を確認すると、下品な笑いを浮かべた。文字通りの手のひら返しである。
「へ、へ……。話のわかる奴は大好きだぜ兄ちゃん。電話はカウンターの奥にあるから好きに使いな。他に何か手伝えることはあるかい」
周囲を軽く見回してから、ディアスの視線がテーブルの上で止まった。
「俺にも熱いコーヒーを」
「……ここで飲むのか?」
「そうだが」
あまりもあっさりと言われてしまった。店主は首を捻りながら調理場へと戻った。ディアスも続いて屋内へと入り、丸子製作所へ連絡を取る。
ドクを見つけた、殺した、引き取って欲しいと伝えるとマルコは、
「へ? あ? うん? ああ、わかった。すぐに人を寄越すよ」
と、疑問と好奇心とが混ざったような声を出して了承してくれた。
ディアスが席に戻るとすぐに店主がコーヒーを出してくれた。他の店員はいないのか、あるいは逃げてしまったのか。
「貴様が何を考えているのかは知らんが……」
ディアスはコーヒーカップを持ち上げ、ドクの死体を見下ろしながら言った。
「俺とカーディルの世界に、土足で踏みいることだけは許さん」
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