第190話

 愛車を失い、荒野をさ迷い助け出されたあの日からちょうど一週間後。クーは丸子製作所の門前にたたずんでいた。


 修理した車を安く譲ってやるなどと、どうせ出鱈目でたらめに決まっている。そう思いつつも、もしかしたら、ひょっとして、と微かな望みを抱かずにはいられなかった。


 相棒のチサトに無理をさせてしまった結果、彼女の足裏は皮が剥がれて血塗れになった。今も歩く度に痛みが走るようで、徒歩で狩りになど行けそうにない。


 戦車を買うか、あるいは商売でも始めようかと貯めていた金を切り崩して暮らしている。まるで自分たちの未来を食い潰しているような、そんな不安ばかりが日々募っていた。


 丸子製作所は街一番とも噂される立派な工場であり、探すのにさほど苦労はしなかった。


 クーひとりであり、チサトは連れていない。足の治療に専念させたかった。他にも『こいつ本当に来やがった。馬鹿じゃねえのか』と指差して笑われるような屈辱を彼女に味あわせたくはなかった。


(そういうのは、あたしひとりでいい……)


 自己犠牲ではない。クーにとってチサトが笑われることは、自分が笑われるよりもずっと辛いことだからだ。


 正面の立派な入り口からは入りづらくて裏に回った。雰囲気からして整備工場に用事があるハンターはここから出入りするのだろう。


 警備室に声をかけると、妙なゴーグルを着けた女の警備員が対応してくれた。


「あの、ディアス……さん、からの紹介で。車の買い取りの件で来ました、クーといいます……」


 こうした場には慣れておらずたどたどしく語ると、警備員は頷いて、


「はい、クー様ですね。うけたまわっております」


 と言って、どこかに電話をかけた。


 おかしい。何かがおかしい。何がおかしいかと言えば何もおかしくないところだ。あまりにも話がスムーズに進みすぎる。ひょっとするとあの男は本物だったのだろうか、いや、まさか。


 そんなことを考えているうちに奥のゲートからひげ面の男が現れ、整備班長のベンジャミンだと名乗った。クーも慌てて名乗って頭を下げる。


 やはり彼も、全て心得ているといった様子で案内をしてくれた。


 薄暗い格納庫を進み、ベンジャミンが灯りをつけるとそこに浮かび上がったのは確かにクーたちのジープだ。


 ぼろぼろのほろは交換され、錆が浮きへこみだらけのボディも磨きあげられていた。同じ車だと理解するのに少し時間がかかったほどだ。


(ジープって、脱皮するんだっけ……?)


 などと、馬鹿なことを考え込んでしまった。


「お前さんが何処の整備工場を贔屓ひいきにしていたかは知らないが、まあ腕が違うよな、腕が」


 うふふ、と妙な笑いを漏らすベンジャミン。自分の仕事に満足しているのはわかったが、クーとしてはなんともコメントがしづらかった。


 ベンジャミンはひとしきり笑った後で急に真顔になって言った。


「エンジンは丸ごと取っ替えさせてもらったぜ、中古だけどな。前の奴な、ありゃあダメだ。錆び、磨耗、金属疲労。部品劣化のオンパレードだ。たとえ応急処置が出来ていたとしても、またすぐに動かなくなっていたんじゃねえかな」


 クーはなんとなく居心地が悪くなって目を逸らした。整備士ではないのであまり細かいことはわからないにせよ、オーナーとして不具合を放置していた責任は確かにある。そのツケは最悪のタイミングで請求されたのだ。


「これからはオーバーホールをする時はうちに持ってきな。こいつにサインをするつもりがあるならば、の話だが」


 そう言ってベンジャミンはクリップボードを差し出す。受け取り、そこに挟まった契約書を見てクーはしばし固まった。


 安い。中古でジープを買ったときの、さらに半分以下だ。ジープと契約書を何度も見比べる。


(新品同様のジープが、この価格……?)


 これならば少し無理をすれば買えないことはない。まだ、戦える。クーの胸の内から熱いものが込み上げてきた。これが希望というものだろうかとぼんやり考える。


 性格、あるいは性分というべきか、どうしても頭の片隅で考えてしまう。何か裏があるのではないかと。


「失礼ですが、これであなたたちに儲けは出るのですか?」


 クーが上目遣いにそう聞くと、ベンジャミンは一瞬きょとんとした表情になり、すぐに小太りの身体をゆすって笑い出した。


「心配するな。本体は拾ってきたものでタダみたいなものだしな。工賃、材料費を上乗せしてその値段だ。もっとも……」


 と、少し間を置いてから、


「ディアスの野郎は小遣いをもらい損ねたみたいだがな」


「つまり、ディアスは車を見つけて牽引してきた代金を受け取っていないということですか?」


「受け取ったのは燃料代くらいだな。……うん、まあ、何でって思うよな。それで俺も聞いたんだよ、お前はそれでいいのかよって」


 ふぅ、と呆れたように息をつき、ベンジャミンは話を続けた。


「荒野の落とし物に所有権が無いとはいえ、運んでいる最中に持ち主が現れたのでは無視するわけにもいかないでしょう、だとさ」


 言わんとすることはわかる。だがそれを、ルール無用がルールであるはずの荒野でやる必要があるのか。怪訝けげんな顔をするクーにベンジャミンは答えた。


「そういう奴なんだよ」


「それで済ませてしまっていい話なんですか」


「仕方ねえだろ。実際そうとしか言い様がねえんだから」


「まあ、それは……」


「ただ、素直にあいつはいい奴だと言いたくもないんだよな。善意と書かれたボールをいきなり投げてくる。それを相手が受けとればよし、受け取らなかったら後は知ったことじゃねえ、みたいな。弱っている相手にも判断を問うような厳しさがある」


 荒野で戦車を止めたときに欲を出して交渉を続けようとしていたら。もしもあの時、チサトが進み出て頭を下げていなかったらどうなっていたか。話を聞く限りでは彼らは容赦なく無言で立ち去っていたことだろう。


 今更ながら恐ろしく、クーは背筋に走る悪寒でぶるりと身を震わせた。


「それでどうするんだ。買うのかそれ?」


「え? あの、出来れば仲間に相談してからでよろしいでしょうか……?」


「半額とはいえ安い買い物じゃねえからな。三日は取り置きしてやるよ。それを過ぎたら適正価格で売りに出すからな」


 クーはしっかりと頷いた。希望が繋がったという事実と、実感とがうまく噛み合わない。チサトにこの話をすればきっと無邪気に喜んでくれるだろう。その顔を見ればきっと自分も素直に喜べるような気がする。


 格納庫を出ようとして、ふと立ち止まり振り返った。


「あのディアスって……本物、ですか?」


「ディアスなんてありふれた名前だからな。何をもって本物と言うかはわからんが……」


 ベンジャミンはひげ面をニィっと歪めて笑って見せた。海賊が頼れる仲間を紹介する時のような、そんなイメージが湧いてくる。


「ハンターランキング一位、鉄騎士と呼ばれる男かという意味でなら、間違いない」


 そういえば、と思いついた。まだクーはディアスの顔も知らない。


(本当に酷い奴だ。礼を言う機会も与えてくれないなんて……)


 ならばこちらから追いかけて行くしかないだろう。クーは力強い足取りで、丸子製作所を後にした。




 数日後、荒野を軽快に走るジープがあった。


 エンジンを換えたとはいえ、これが本当に同じ車かと疑いたくなるほど素直に動く。三つ用意したクーラーボックスは全て小型ミュータントの生首で満杯であり、少し早いが帰路につこうというところであった。大収穫であり、クーもチサトも大満足で笑顔を浮かべていた。


「ねえクー、ひとつ聞きたいんだけど……」


 チサトが右手でハンドルを握りながら、左手で見慣れぬスイッチを指差す。


「これ、なに……? ニトロ、って書いてあるのはわかるけど、なんでこんな所に?」


「ベンジャミンのおっさんが言うには、サービスだってさ。直線以外では使うなって念を押された」


「そのひとサービスっていう言葉の意味、知ってる?」


「笑顔で危険物を渡すことだとでも思っているんだろ」


 クーは苦笑いを浮かべて頭を振った。どいつもこいつも、親切心の表しかたが下手くそ過ぎる。


(まあ、何て礼を言おうか未だに迷っているあたしが言えた義理じゃないけどさ……)


 チサトがハンドルを切って岩を避ける。異音がない、振動も少ない。ストレスなく運転できる素晴らしさに、しばし酔いしれていた。


「本当に素敵よね……」


 と、チサトが熱っぽい吐息と共に呟いた。


「そうだな。本当にいい車だ」


「あ、うん、車もなんだけどさ……」


 もう一度ため息をついてから、


「ディアス様って、どんな方なのかしら……?」


 潤んだ瞳で空を見上げた。


「はあッ!? いや、待てチサト、ちょっと待て! あんた、あいつの顔も知らないだろ!?」


いにしえのヘーアン貴族は相手の顔も知らずにラブレターのやり取りをしていたとか……」


「あたしら貴族じゃなくて、最底辺のクソハンターだっつうの!」


「恋する女の子はみんな尊いから! 誰もが貴族でしょ、お姫様なのよ!」


 ずっと一緒にやってきた相棒の口から、恋という単語が出てきてしまった。


 クーは呻きながら思わず空を仰いだ。逆恨みとわかってはいるが、やはりディアスという男を好きになれそうにない。

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