第189話

 灼熱の荒野をふたりの女が歩く。その足取りは疲労と後悔とでひどく重い。最低限の荷物とマシンガンだけを抱えて、足を引きずり街を目指す。


 大人の女とも、少女とも呼べる顔立ちであった。


「うぅ、ジープ……。私たちのジップー……」


「泣くな、水分がもったいない。それといつの間に車に名前なんか付けていたんだ!?」


 背の高い、おっとりとした雰囲気の女、チサトがぐすぐすと泣きべそをかく。


 小柄で勝ち気な少女、クーが頭ひとつ分を見上げながらたしなめた。


 彼女たちはつい数時間ほど前に頼れる相棒であったジープを失ったところだ。エンジントラブルであった。応急処置で動かそうにも部品が足らず、いつまでも荒野で立ち往生しているわけにもいかず、泣く泣く置き捨てて徒歩で街を目指しているのだ。


 中古のジープだったが、これがあるとないとで狩りの効率が段違いであった。敵を探すにも逃げるにも車の存在は大きい。


 小型ミュータントを撃って、首を斬って荷台に載せて、また探しに行く。徒歩での狩りでは日に一体か二体しか倒せなかったものが、車があるだけで五体くらいは余裕で狩れるようになったのだ。一番調子の良いときは十体の首を斬って、荷台が生臭すぎると笑いながら文句を言っていたものだ。


 穴の空いたほろに布を当てて大事に使っていた。お金が貯まったらハンターなんか辞めてふたりで可愛いお店でも持とうかと話し合ったこともある。全ては過去の話だ。


 もっとエンジンの整備について勉強していれば。

 何が起きても対応できるようパーツを揃えていれば。

 安いだけではなく、信頼できる整備工場に預けていれば。


 そんな後悔がいつまでも、頭のなかでぐるぐると回る。


 このペースで歩き続けていたら街に戻るのは夜になるだろう。臆病な小型ミュータントが凶暴化して、一斉に襲ってくるかもしれない。中型ミュータントが現れれば徒歩ではどうしようもない。


 クーは他のハンターが通りがかったら助けてもらえないだろうかと考え、すぐに打ち消した。荒野に全裸の絞殺死体がふたつ横たわり、蝿がたかっているような光景しか思い浮かばず、ぶるりと身を震わせた。荒野で出会う他人など、潜在的な敵だ。


(冗談じゃない。私はどうなってもいい、チサトだけは絶対に守ってみせる……)


 この愛らしいパートナーに嫉妬しっとしたことはない。むしろチサトの美しさはクーにとっての自慢であり、彼女に頼られることは一種の快楽でもあった。


 マシンガンをぎゅっと握りしめ、痛む足に力を込めて前へと踏み出した。だが数分もすれば空元気も尽きてしまい、またペースが落ちる。


 いっそのことお互いの胸に銃口を当てて、同時に撃って死んでしまってはどうか。少なくとも感じる苦痛は少なくて済むし、身体を汚されることもない。


 クーの脳内で死神がテリトリーを広げてきた頃、チサトが何かに気付いたようにはっと顔を上げた。


「ねえ、何か聞こえない?」


 そう言われて足を止めて周囲を見回す。きぃんという耳鳴りのなかに、微かなエンジン音が聞こえた。


「チサト、隠れて!」


 クーはチサトの腕を取って岩陰にしゃがみこんだ。やがて見えてきたものは、巨大な漆黒の戦車であった。


 助けを求めるべきか、どうか。苦悩するクーの瞳が、


「あっ……」


 と、見開かれた。


 戦車は車を牽引けんいんしている。それがなんと、自分たちがつい数時間前に乗り捨てたジープではないか。


「ちょっ、待て、コラァ!」


 警戒心も足の痛みも忘れて思わず飛び出していた。大きく手を振るが戦車は止まらない。走りながらマシンガンを青空に向けて乱射すると、ようやくクーの姿に気付いたのかゆっくりと停車した。


「その……、車を……、どうするつもりだぁ!?」


 息を切らせながら戦車に向けて怒鳴る。戦車からの反応はない。後からチサトも走って追い付いた時、スピーカーを通して声が聞こえてきた。外部の音声をマイクで拾っているのか、戦車と人間という構図で普通に会話が成り立っていた。


「落ちていたから拾った。持ち帰って修理して売る。以上だ」


 淡々と語る男の声。せめて女性であればもう少し交渉しやすかったものを、とクーは舌打ちしたい気分であった。


「その車は、あたしのだ!」


「そうか。ならばこの場で返そうか?」


「あ、いや、動かない車を返されても困る。街まで乗っけていって、それから返して、もらえると……」


 クーの語尾が段々と小さくなっていく。その要求が図々しく正当性のないものだと自覚しているからだ。


 荒野で落ちているものに所有権など無い。それがハンターのルールだ。動かない車を持ち帰る労力だけ押し付けて、戻ったらそれをよこせなどと、図々しさを通り越して狂人の発想である。


 再び、沈黙。戦車の男が何を考えているかはわからないが、決して好意的なものではないだろう。


 やがてまた、スピーカーが震えた。


「選べ。街まで乗ってジープは諦めるか。黙ってこの場を立ち去るか。あるいは俺たちと戦うかだ」


 相変わらずぶっきらぼうな物言いだが、選択肢のなかに乗せて行ってやる、というものが入っている。飛び付きたくなるような破格の条件ではあるが、それを認めてしまえばジープの所有権を完全に手放すことになる。かといって、いつまでも無言でいれば呆れて立ち去られてしまうかもしれない。


(どうすればいい。何か、なにか手はないのか……?)


 悩んでいると、脇からチサトが進み出て戦車に向けて深々と頭を下げた。


「お願いします。私たちを街まで連れていってください」


 クーは何を勝手なことを、という言葉をなんとか喉元で飲み込んだ。他に手段があるわけでもない。チサトに頭を下げさせてしまったのは、自分の決断の遅さだ。


「わかった、ジープに乗れ。引っ張ってやる」


 チサトは頷き、クーを促した。運転席と助手席に座るとすぐに戦車は発進した。


 これで命は助かった。だがクーは諸手もろてを挙げて喜ぶような気にはなれなかった。大切なものを二度も手放してしまった、自分は何も出来なかった。そうした思いが次第に積み重なってくる。


「……ごめんね」


 振動に身を任せながら呟いた。


「何が?」


 チサトに明るく聞かれるとクー自身、何について謝ったのかよくわからなかった。ただ言わずにはいられなかったのだ。


「親切なひとが通りかかってくれて良かったね」


 そう言いながらチサトがブーツの紐を解くと、むっと血の臭いが立ち上ってきた。現れたのは白い足首と、血塗れの靴下。足の皮がずるりと剥けて、思わず眼を逸らしたくなるほど痛々しい。


「ちょっとお行儀が悪いけど……」


 と、苦笑いしながら鞄から薬と包帯を取り出して処置を始める。その様子をクーはぼんやりと眺めていた。


 そういえば、とクーは思い返す。チサトはジープを置き去りにしたことで泣いてはいたが、足が痛いという泣き言は一度も聞かなかった。


「……ごめん」


 クーはもう一度、訳もわからず呟いた。




 街の入り口で戦車は停止した。


「お客さん、終点だよ」


 と、場違いなほど明るい女の声が聞こえた。それが戦車から発せられたものだと気づくのに十数秒の時を要した。


 これからどうすればよいのだろう。何もわからぬまま、のろのろとクーが降りる。続いてチサトも降車すると、彼女は意を決したように戦車に駆け寄った。


「あの! この車を修理して、それを私たちが買い戻すことは出来ますか!?」


 すると戦車の男は、ふむ、と唸ってから、


「君たちの名前を聞いておこうか」


「え?」


「一週間もしたら丸子製作所を訪ねるといい。君たちには安く譲るよう、話を通しておこう」


「私はチサトで、こっちのはクーといいます。それで、あの、あなたのお名前は……?」


「ディアスの紹介でジープを買いに来たと、そう言ってくれればいい」


 ディアス、その名を聞くとクーの表情に不快感が滲み出てきた。ディアスとはこの街のトップハンターの名であるが、雑誌などに顔出しはしない主義なのか、その功績や知名度に対して顔を知っている者は極端に少ない。


 そのため名をかたる者が後を絶たず、ハンターオフィスに行けばディアスが常にひとりかふたり居るような状態だ。なりすましが多すぎて価値を失った名前なのである。


 ディアスと名乗ることは、本名を教えるつもりがないと言っているようなものだ。当然、修理した車を安く譲るという話も全てデタラメということになるだろう。


 土煙をあげて去り行く戦車と、引きずられて行く愛車を、クーは恨めしげに見つめていた。


 命を助けてもらったことには感謝するが、無駄に期待させるようなことを言うのは止めてもらいたかった。


 またしばらくは徒歩でミュータント狩りをしなければならないのか。それで生活が改善される保証がどこにあるというのか。不安で心が押し潰されそうになる。


 ひどく疲れているが、家に帰っても眠れそうになかった。

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