第187話

 希望を取り戻した、とまではいかないが、とりあえずカリュプスの街には喧騒けんそうが戻ってきた。


 意味不明な怒声が飛び交う街の中を、ディアスとエリックは並んで歩いていた。


 エリックが橋を指さし、ディアスも無言で頷いた。数日前、ファティマとの仲のことで相談に乗ってもらった場所だ。


 あの時と同じように欄干らんかんに体を預け街を見回す。夜と昼とで景色の印象がかなり違って見えた。変わったのは街か、時間か、あるいは自分か。


「悪かったな。ご休憩で疲れているところを呼び出しちまって」


「いいさ。帰る前に挨拶くらいはしておきたかったからな」


 そのまましばらく街を眺めていた。臭くて、汚くて、うるさい。最低の街だ。


 だがここには多くの人が住んでいる、なくなってしまえばいいとは言えない。少し前までは本気でそう思っていた。


「俺たちは、この街を守れたのかな……」


 無邪気に喜べるような大勝利ではなかった。施設はかなり破壊されてしまったし、今も巨人の死体を焼却処分するために多くの市民が駆り出されている。肉食蝿が増えて現場は大変だそうだ。


 ディアスも街を見たまま答えた。


「男としてハンターとして、やるべきことはやった。完璧など求めるな」


 その言葉は巨人との戦いのみに向けられた言葉だろうかと、エリックはしばし考えた。パートナーとうまくやっていく為の心構えのようにも解釈できる。特に聞き返すようなことはしなかった。それはきっと、無粋ぶすいな真似というやつだ。


(俺が勝手にそう思っているだけだ。それでいい……)


 またしばらく無言で街を眺め続けた。仲間と一緒に同じものを見ているというだけで、不思議と飽きることがなかった。


 やがてエリックの口からこぼれ落ちるように言葉が出た。


「以前ここで、神経接続式戦車を買う金はどうしたのかって聞いたことがあるだろう?」


「あったな、そんなこと」


 言うべきではなかったという後悔と、この男にだけは聞いて欲しいという願いが心のなかでせめぎあう。


「俺ってほら、この通りイケメンじゃん?」


「……用がないなら帰るぞ」


「いやいや待て、待ってくれディアス。これ、ここからの話に大事な事だから」


 そう言って大きく息をついてから、


「このツラのせいでな、周囲からはホストになった方がいいだの、金持ちの愛人にでもなった方が稼げるだろうのと、散々な言われようだ」


「勝手なものだな」


「ああ、他人様ってやつは勝手なもんだ。さらにタチの悪いことに、こいつが事実だってことだ」


「え?」


 振り向くと、エリックの表情は蒼白であった。ディアスは、


(辛いのならば言わなくていい……)


 と、言いかけて口をつぐんだ。男が魂を絞り出すような告白をしているのだ、余計な気遣いはするべきではないだろう。


「中央議会員のひとりに取り入ってな。ババアの股ぐらに顔をうずめて稼いだ金で戦車を作って、そんなものに惚れた女を乗せているんだぞ。惨めとしか言いようがないじゃないか……」


 震える唇を隠すように、エリックは顔を背けた。


「ファティマと共に生きるためにやったことだろう?」


「……ああ」


「ならば、自分を卑下ひげする必要はない」


 ディアスの言葉は本当に短い。だがエリックにはそれで十分伝わった。認められた、背中を押してもらえた、それだけでいい。


 救われたと思う。


やがて、ディアスは欄干から体を離して言った。


「そろそろ俺は帰るよ」


 ホテルに戻るというだけではない、明日になれば彼らはこの街を離れてしまう。そう考えるとエリックはたまらなく不安になってきた。


「またいつか会えるよな?」


「……いや、もう二度と会うことはあるまい」


「おいおいおい、ちょっと待て! こういう問いに対して、無理とか答える奴初めて見たぞ! 嘘でもいいから再会をやくして爽やかに別れる場面じゃねぇのこれ!?」


 エリックの不安を見透かしたようにディアスは薄く笑った。侮蔑ぶべつの笑いではない、相手を思いやる優しい笑い方だ。


「エリック、お前たちの人生において俺とカーディルの出番は終わったんだ」


「……出番?」


「役目と言ってもいい。これから先、ファティマを守ってやれるのはお前だけなんだ。俺たちがしてやれることは何もないし、その必要もない」


 ディアスはそう言って頷き、きびすを返して歩き出した。


 今生の別れがこんなあっさりとしたものでいいのか、エリックの目が問う。

 男の別れ際なんてこれでいいんだと、ディアスの背が答える。


(……いいわけがないだろう。俺はまだ、ハッキリと礼も言っていないんだぞ)


 たまらずエリックは走り出した。ディアスを追いかけてその背中が見えると、周囲の喧騒に負けないくらい大きな声で叫んだ。


「ありがとう! お前に会えて、本当に良かった!」


 何事かと人々が振り返る。そんなことは気にせずにエリックは去り行く男の背を見つめ続けた。


 ディアスは立ち止まらず、右手を挙げて軽く振って見せた。

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