第177話
敵は亡霊戦車だけではなかった。
戦闘が始まってしばらくしてから、作業員用の宿泊施設にでも潜んでいたのか人間の皮を強引に剥がしたかのような赤黒い生物、肉人間が大量に現れた。
不明瞭な唸り声をあげ、100人ほどの肉人間がふらふらと歩き散らばった。
砲弾に当たれば原形を留めぬほどの肉片と化し、戦車に轢かれ履帯に巻き込まれればミキサーに放り込まれた熟れた果実のようにジュースにされる。
それでもなお、彼らが歩みを止めることはなかった。すぐ隣で仲間がミンチにされようとも、表情ひとつ変えずに徘徊していた。顔の皮も剥がされているので表情など知りようもないが。
多少強化されているとはいえ、元は人間である。戦車に取り付いて引っ掻いて開けようとするがその程度で開くはずもなく、戦車に対し物理的な脅威とはならなかった。
問題はハンターたちに与えた心理的なダメージである。
臓物戦車戦のように、どこの誰ともわからぬ相手であるならまだ良かった。ここに勤めていた人間だったのだろうと想像してしまえば後はもう止まらない。
家族はいたのだろうか。
夢はあったのか。
趣味は何だったのか。
こんな姿になりたくはなかっただろう。
敵を人間と認識してしまった。哀れと感じてしまった。発射装置を握る指に
「もう嫌だ! 止めてくれ、やめてくれよ!」
叫び、動きを止める戦車があった。操縦桿を握る手が離れ耳を塞ぐ。
何事かを訴えかけるように車体に取り付く肉人間ごと亡霊戦車の徹甲弾に貫かれ、彼らもまた地獄へ引きずり込まれた。
プラエド、カリュプス連合軍はさらに押され始めた。あとひと押し、なにか切っ掛けさえあれば完全に瓦解するだろう。まだ大型ミュータントの姿さえ見ていない。
そんななか黙々と肉人間を処理する男がいた。戦闘用バイクに跨がる鉄腕のハンター、アイザックである。
彼は敵本隊の背後に回り込み、バイクの先端に取り付けた機関銃で肉人間に狙いを付けた。12.7㎜の重機関銃である。本来、人間に向けるようなものではない。誰の目にも明らかな
肉人間は貫かれるのではなく、弾けた。まるで地面に叩きつけられたザクロのようだ。上半身を失った肉人間は下半身だけで二、三歩進み倒れた。身体の上を他の肉人間や亡霊戦車が押し潰し、アスファルトの染みへと変えた。
一体倒し、また一体とアイザックは繰り返す。遠くにいれば撃ち殺し、近くにいればバイクに乗ったまますれ違いざまにサムライソードを抜いて斬り伏せた。
戦場を縦横無尽に駆け殺戮を繰り返すアイザックを他のハンターたちは、
(あいつには人の心がないのか……?)
と、軽蔑の視線を送り、自分がやらずに済んだという安堵の吐息を漏らしていた。
わからないはずがない。
アイザックは貧民窟の出身であり、そして他人の痛みがわかる男だ。日々労働に追われる人々の辛さを知っていた、ある日突然ささやかな幸せすら奪われミュータントに利用される人々を我が事のように苦しんでいた。
彼らは仲間だ、自分と同類だ。だからこそやらねばならぬ。そう思い定めていた。
肉人間の討伐を買って出るのはこれで二度目だ。あの時よりもさらに苦悩の色は数段濃くなっている。
ふと、ディアスの仏頂面が懐かしく思えてきた。あの男も少し前にミュータントに捕らえられ、溶かされてまだ生きているハンターたちに止めを刺して回ったことがある。そして傷つき、悩んでいた。
誰に頼まれたわけでもない、やらねばならぬと見定めたからだ。
(それが男の仕事ってもんだよ、なぁ?)
アイザックは奮い立ち、さらに肉人間の首を斬り飛ばした。
心は前へ、前へと進む。だが疲労は確実に蓄積されていた。ずるり、と溶けた肉で後輪が滑りバランスを崩す。なんとか踏み留まったその先に、砲塔を向ける亡霊戦車が見えた。
(しまった……ッ)
ここで死ぬのか、それとも皮を剥がれて奴らの仲間入りをするのか。選べぬ選択を突き付けられる。
世界が一瞬、静止したような感覚があった。
ハンターならば誰もが知っている、獣ならば誰もが理解していることを、鉄と肉の融合体である凶獣は知らなかった。獲物を狙う時こそが最も無防備な瞬間であると。
後部エンジンが徹甲弾に貫かれ、爆発。死体が焼けるような悪臭と共に黒煙が立ち上る。アイザックを狙う必殺の一撃はあらぬ方向へと飛び去り、雑居ビルの一部を破壊した。
「アイザック! これで借りは返したぜ!」
ヘッドセットから飛び込んでくる若い男の声。ノーマンだ。TD号が誇らしげに向かって来た。
少々意外でもあった。自分がこの少年に助けられる日が来ようとは、と。
「若い奴はちょっと見ないうちに、すぐ大きくなるなぁ……」
「なんだよその反応! お前は俺のお爺ちゃんかってえの!」
アイザックは笑いながらハンドルを握り直そうとすると、そこで手が震えていることに気が付いた。
(この俺が怯えている? そうか、それほどまでにヤバい状況だったのか……)
気を落ち着けるために辺りをぐるりと見回したが、これはむしろ逆効果であった。
周囲に散らばるものは人として死ぬことさえ許されなかった人間。かつては街を支える重要な産業であった製油施設の成れの果て。
「俺たちは、一体何と戦っているんだろうな……?」
弱気から出た呟きに、ノーマンが鋭く反応した。
「何と戦っているかはわからねえ。だが、何のために戦うかはわかる」
「……それは?」
「こんな地獄を望んだ奴がいるなら、絶対に許しちゃおけねぇってことだ!」
若者の怒りと情熱。アイザックは今、ノーマンの声を初めて聞いたような気がした。この体の奥から湧き上がるような叫びこそ、彼の本質ではないのだろうかと。
(もう頼りない後輩ではなく、一人前のハンターとして扱ってやらねばなるまいなあ……)
それが嬉しくもあり、どこか寂しくもある。
「なあアイザック、俺はやはりあの白衣の男が……ドク、だったか。あいつがこの戦いの鍵を握っているとしか思えんのだ」
「同感だ」
「肉人間をある程度始末できたら探してくれないか?」
「……まあ、手が空いたらな」
「助かる」
プツリ、と通信が切れた。TD号は次なる戦場を求めて走り去る。
(あの野郎の指図で動くのかぁ……)
それを生意気だと思う一方で、不快感はない。唇の端を歪めながらアイザックはハンドルを握りアクセルを吹かせた。いつの間にか、震えは止まっていた。
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