第173話
自分の気持ちに整理がつくと少しだけ気が楽になった。
数日後に控えた製油施設の奪還作戦、それが終わればカーディルたちは南へ帰ってしまう。
「もう一回! もう一回ッ!」
ファティマはそういってまたカーディルに膝枕をせがんだ。せっかくの機会だからとことん甘えてやろう、ということだ。
「まあ、その……いいけど」
カーディルは、そんなに良いものだろうかと困惑しつつも了承してくれた。
(やったぜ)
ファティマは遠慮なく後頭部をダイブさせた。パイプベッドは縦に長いわけではないのでどうしても体勢に無理あり膝を曲げねばならないが、こればかりは仕方がない。
柔らかな肌、甘い体臭、見上げれば慈眼を向ける美女の顔。汚い天井さえ見なければ最高の環境だ。この桃源郷を独占しているディアスに嫉妬心すら湧いてきた。
「はあん、やっぱりいいわこれ。ね、このまま寝ちゃってもいい?」
「いいけど、もうすぐ野郎どもが帰って来るんじゃない?」
ふわふわとした思考が現実に引き戻される。
あのふたりがどんな話をしているかはわからない。そもそも会話が成り立っているのか心配になるレベルだ。ただ確実に言えることは、飲んで朝帰りなど絶対にしないだろうということだ。エリックはどんなに遅くなっても必ず戻ってきたし、話を聞く限りディアスもそうだろう。
「私、これからあいつとどう接すればいいんだろう……?」
「んん?」
「自分の気持ちが固まりました、これからは仲良くしましょ……とか、いきなり言われたって困るでしょうし、意味不明だわ」
ずっと自分から壁を作ってきた。それをいきなり壊そうとしても、どうすればいいのかわからない。ハンマーを持ったまま途方にくれているようなものだ。
「それじゃあ、ふたりでどこかに出かけることから始めてみたら?」
カーディルの提案に、ファティマは身を起こしてから首をかしげた。
「それはつまりデートに誘えってこと?」
「そうそう、それ。自分から誘うっていうのがポイントね」
人間不信の女には少々ハードルが高い。ファティマが返答を保留していると、カーディルはさらに畳み掛けてきた。
「今まで何度アプローチをかけても手応えのなかった女がある日、向こうから遊びに行こうと誘ってくれた。男はこういうの、すごい喜ぶわよ」
男は、などと大きな主語を使っているがお前だって今までに付き合った男はひとりだけだろう。……というツッコミはひとまず置くとして、カーディルの提案には説得力を感じた。
緊張はするが、関係を改善するために少しだけ勇気を出してもいい頃だろう。別に行きずりの男を誘惑しろと言っているわけではないのだ。
「わかった、やってみる。ただ、この街もプラエドと似たようなもので、デートスポットや観光名所なんか無いよ?」
「行き先なんかどこだっていいのよ。一緒に歩いて、どうでもいい雑談して、おいしいご飯食べて、環境を変えてから……」
「変えてから?」
「ズブリ、と」
「うん……うん?」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。理解が追い付くと今度は言葉を失った。姉のように慕い、聖母のように崇めていた相手から出た、あまりにも直接的すぎる表現であった。
「待ってカーディル、待って。言いたいことはわかるけど、何を言っているの?」
「男心をがっちり掴むには最も有効な方法でしょう!?」
「そう言われるとそうなんだけどさぁ……」
「セックスは愛の終着点ではなく、恋の出発点よ。身体を重ねることで初めて、こいつは俺の女だ、私の男だっていう自覚と愛着が出てくるの」
カーディルの熱弁にますます力が入る。一方的な憧れを粉砕されたファティマはまだ何も言えなかった。
「あなただって、エリックのことを信じられない、信じたいと迷いながらもやることはしっかりやっているでしょう?」
「カーディル、言い方。もうちょっとこう、言い方」
「私たちのような自分の存在意義を見失いがちな人間は、定期的に肌の温もりを感じていないと不安になってくるの。肉の悦びを知って初めて自分が確かにここに居るのだという実感を得られるわけよ」
「うん、それはわかる」
「だから私が特別、どすけべだとか淫乱だとかじゃあないのよ」
「ううん……?」
相談する相手を間違えただろうかと考えていると、鋼鉄のドアが三度叩かれファティマはびくりと身を震わせた。端からみれば大袈裟とも思える反応だが本人にとっては笑い事ではない。
「俺だ、エリックだ。開けるぞ」
声をかけられ一安心ではあるが、ファティマはカーディルの腕にしがみついたままだ。予測していない大きな音は全てが死神の足音に聞こえてしまう。
「た、ただいま……」
部屋に入った色男は何故か緊張ぎみだ。仏頂面の男が後ろに控えているが、さすがに四人も入ると狭いのでそこに留まっている。
「お、お帰り……」
ファティマの答えもぎこちない。話したいことは山ほどあるが、どこから話せばいいのかわからない。
エリックは背後から小突かれ、ファティマは隣から鋭い視線を投げ掛けられている。早くしろ、とそれぞれが急かされているのだ。
先に動いたのはエリックであった。懐から深紅の
「君にお土産だ」
だがファティマはすぐには受け取らなかった。嬉しいと思うよりもまず、何故いきなりこんなことを、と考え込んでしまったのだ。
「え、なんで急に……?」
「男が女に花を送るのに、いちいち理由なんか必要あるか!?」
エリックがやや慌てて答えると、ファティマもようやく状況を理解した。これはディアスに相談を持ちかけた結果であり、エリックからの仲良くしようというメッセージだ。
「あ、うん、ありがとう……。つまりこれはデートのお誘いってことよね!?」
「え?」
ファティマが強引に話を転換してきた。
誰もそんなことは言っていない。言っていないが、エリックはここは流れに乗るべきだろうと判断して話を合わせることにした。
「そう……そういうことだな! まだどこに行くかとかは決まってないけど、そういうことだな!」
「適当に雑談しながら歩くとかでいいんじゃないかな。それで一緒に飯食って、後は流れで!」
よし、と頷きあうふたりであった。
ぎこちなさは残るが盛り上がるふたりを尻目に、カーディルは脇をすり抜け部屋を出た。
「世話の焼ける連中だ」
と、苦笑いするディアスの腕を取り、夜の街へと消えていった。
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