第171話
ゲオルグが
発電量が減っているので明かりを点けたくはないが、真っ暗闇にすればミュータントの襲撃に対応できなくなるし治安も悪くなる。ポツポツと数個飛ばしで灯された照明。人々の不安が具現化されたような薄闇のなかを、ふたりはもう30分も無言で歩き続けてきた。
ファティマは家に置いてきた。彼女もまた、カーディルに相談したい事があるらしい。今の関係に不安を覚えているという点は一緒だ。ただしその先に望むものが親愛か離別か、それがわからない。
相談を持ちかけておきながら何も言えぬまま時だけが過ぎる。言いたいこと、聞きたいことは山ほどあるのに言葉にならない。
焦りだけが募る。無言の時が続けばディアスの性格上そろそろ、
『用がないなら帰るぞ』
と、いって話を打ち切られかねない。
どこか落ち着いて話ができる店を探して辺りを見回していると、唐突にディアスが口を開いた。
「ファティマとうまくいっていないのか?」
エリックは心臓を鷲掴みにされたような衝撃を覚えた。反射的に、
(余計なお世話だ……ッ!)
と、叫びたくなったが、喉が震えるばかりで声にならない。
辛うじて言葉にしたのが、
「何故、そんなことを……」
であった。
確かに今回話したいテーマはそれだ。だが、まだ何も言ってはいないのだ。見ただけでそれがわかるのか、自分は今どんな顔をしているというのか。
「何故……?」
繰り返し聞くと、ディアスは言葉を選ぶように考え込んでからいった。
「叱られて家に帰りたくない子供、みたいな顔をしていたからかな」
明滅する街灯がふたりの横顔を照らし出す。ひとりは真っ直ぐに相手を見据えていた。もうひとりは相手の靴をぼんやりと眺めていた。
もうこの男に隠し事はできない、ここで話をしようと覚悟を決めてエリックは橋の
「そうか、俺はそんな顔をしていたか……」
「なんとなく、そう感じただけだ。間違っていたら謝る」
「合っているよ、畜生め。今回相談したいのもその話だ」
相変わらず街は騒がしいが、それら全てが遠い世界のもののように聞こえる。
「お前らと別れた後、隊商の護衛としてくっついてこの街に来たんだ。あの頃はミュータントも少しは大人しかったからな」
遠くを眺めながら、ぽつりぽつりと語り出す。
「部屋を借りて、兵器工場に相談して神経接続式戦車を作ってもらってさ、ミュータント狩りも上手くやってたんだ。今じゃあランキング10以内に入る街のエースだぜ。ファティマの玩具みたいな義肢も第二世代に買い換えた。会長の相談役みたいなものでもある。立派なもんだろう? 頑張ったよ、俺たちは」
「……よくそんな金があったな」
ディアスの疑問に、エリックは嫌悪感を
「……どうでもいいだろう、そんなことは」
そうだな、とディアスはあっさりと引き下がった。気になったから聞いただけで、どうしても聞かねばならないようなことでもない。手応えが無さすぎて逆にエリックが戸惑ったくらいだ。
「そうだ、上手くやっている。俺はこっちに来てから頑張った、頑張って、必死にやってきた! ……それでも、ダメだった」
話すうちに感情か高ぶってきたか、今にも泣き出しそうな顔をしている。そこに短期間でエースに上り詰めた男はいない。ただひとりの迷い子がいるだけだ。
「ファティマは相変わらず俺を信用していない、心を開いてくれない。冷たい視線を向けられる度に心が削られていくようで少し、疲れたよ……」
欄干を握る手に力がこもる。潰れたマメや擦り傷だらけの手が、この男の歩んできた道を
「まあ、そういうことだ。同じような境遇の女と付き合っているお前なら、何かいいアドバイスをくれるんじゃないかって期待して相談したわけだ。どこをどうすりゃお前たちみたいに仲良しさんになれるんだよ、なあ?」
必死に
「アドバイスなど出来そうにない。そもそも、カーディルとファティマはその境遇が似ているようで大きく違う点がある」
「なんだよ、それ……?」
「四肢を失うに至った原因だ。カーディルはミュータントに連れ去られ生きたまま手足を食われた。だからその憎しみはミュータントに向かっている。人間不信の傾向はあるが、それはあくまでいざという時に他人は信用ならないという話であって、人間そのものを恨んでいる訳じゃない」
エリックは
「対して、ファティマが手足を失ったのは仲間に裏切られてチェーンソーで切断されたからだ。仲間とか、他人とか、そうしたものに対する不信感は俺たちの想像を越えたところにある」
「それは、そうだが……」
「何の慰めにもならんだろうがお前が信用されていないのは、お前の事が嫌いだとか努力していないからだとかそういうことではなく、全くの別問題だ」
ならばどうすればいい、どうすればよかったのだ。視界が狭まり、目の前が暗くなってきた。
「最初から未来など無かったのであれば、俺はどうすれば……」
「逆に聞きたいな。お前はどうしたいんだ」
「俺が、と言われてもな……」
何も考えられない。頭が
「言い方を変えよう。俺からマルコ博士に話を通して、ファティマを丸子製作所で預かるようにしてもいい」
沈黙。この男は何を言い出すのか。わからない、わからないが思考放棄だけは許されないことはわかる。返答次第で取り返しのつかないことになりそうだ。
「さて、これで助けた女の面倒を見続けねばならないという責任がなくなったわけだ。その上で聞こう、お前はどうしたい?」
「俺は、ファティマがそう望むのであれば……」
「彼女の為を思って身を引こう、てか。ふん、俺が聞きたいのはそんなつまらない言い訳じゃない。お前がどうしたいかだ」
一度丸子製作所に預けてしまえば関係は断ち切られてしまうだろう。後になってからやっぱりふたりで暮らしたいです、などと言ってもこの男は許すまい。ファティマからの信用は完全に失い、マルコ博士も貴重な神経接続式戦車のコアを手放すとは思えない。
己に何度も繰り返し問う。報われぬ愛を捨て、自由と孤独を手に入れた先に望むものがあるのか、と。
「俺はやはり、ファティマと共に生きたい……」
悪魔の手を振り払い、迷いを晴らして最後に残った本心を口にした。
しかしディアスは答えに満足していないようで、目を細めて低い声でいった。
「動機が弱い」
「いや、動機と言われても……」
「身も心もとろけあうような濃厚いちゃラブセックスがしたいですと言え」
信じがたいことだがこの男、ずっと真顔である。南の英雄、プラエドのトップハンター、重厚の鉄騎士。そんなイメージが音をたてて崩れて行く。
カリュプスに
「今さら気取るな、言え」
「あ、はい。ファティマのハートをがっちり掴んで濃厚いちゃラブセックスがしたいです……」
「よし」
「答えておいてなんだが、何がよし、だ」
ディアスの妙な迫力に気圧されてつい、いらぬことまで口走ってしまった。確かに自分の望みはそれだが、わざわざ言わねばならぬことだろうか。
「目標を明確にすることは大事だぞ」
「お前のは明確というより
「否定はしない」
たった十数分でディアスに対する印象がすっかり変わってしまった。むっつりスケベという言葉はこの男のためにある。
よくよく考えてみれば、エリックはディアスと立場が似ているから親近感を覚えていたというだけで、付き合いが長いわけではない。
(なんだかんだで話に付き合ってくれたし、いい奴ではあるんだろうな……)
話しているうちに心に溜まった
「俺がどうしたいかはわかったが、結局のところどうすりゃいいんだろうな」
「今まで以上に、好きだ、愛している、自分は絶対に裏切ったりはしないと積極的に伝えていくしかあるまい」
「地味だな。だが、それしかないか」
「愛に近道があると思うな。男が女に示せる愛情は、誠実さの他にはない」
「へっ、何だか実感がこもっているな。体験談か?」
「そんなところだ」
その後、ふたりはあてもなく街をぶらぶらと歩き始めた。強いていえば、よき友人と無言で歩くこと自体が目的だ。
エリックが雑貨屋の前でふと足を止めた。
「そうだ、たまにはファティマに花でも買っていくか」
そういってからディアスの方を見ると、彼は微かに笑って頷いた。
ここでいう花とは造花のことである。生花を扱っている店などない。
造花でも気持ちは伝わるはずだ。エリックはファティマのためにプレゼントを選ぶということが、たまらなく楽しくなってきた。心が弾み、自分は恋をしているのだという実感がわいてきた。
造花の花言葉は偽りの愛。
または、永遠に変わらぬ愛。
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