第168話

 二週間後、状況は何も変わっていない。


 苦情と嫌がらせが増えた。酒の量が増えた。拳銃を握ってじっと見つめるような時間が増えた。


 ゲオルグは会長執務室よりも地下の会議室にいることを好んだ。ここならば人が寄り付かないし、内側から鉄棒を扉と枠に跨がるように通すかんぬきタイプの施錠ができる。もっとも原始的かつ強固な防犯体制だ。


 この日はひとりではなかった。二週間前と同じように、円卓の対面にエリックが座っている。


「飲むか?」


 と、酒ビンを持ち上げてみせるがエリックはかぶりを振った。


「いえ、結構です」


「そうかい、俺は勝手にらせてもらうぜ」


 誰かに相談したかったが、誰が信用できるのかわからない。悩んだ末に選んだのがこの男だ。他のハンターたちに比べて理性的であり、南の街プラエドの出身であるというのもこの際ありがたい。


「まあ、聞いてくれよ」


 南からの援軍を待っているのだという話をするとエリックは、


「そうでしたか……」


 とだけ言い、非現実的だと非難はしなかった。そんなものにすがらねばならないほど追い詰められていたのかと。


「それでどうなんだ、南の連中は地上戦艦に勝てたと思うか?」


「勝てます。それは間違いないでしょう」


 エリックは確信し、即答した。北に比べて南のハンターが優れているなどとは考えていない。どこで生まれたにせよクズはクズだ。ただ、南にはあの男がいる、それだけで十分だ。


 ゲオルグはエリックの堂々たる態度にむしろ、


(こいつは地上戦艦の力をよくわかっていないんじゃないか……?)


 と不安になったが、改めて指摘することは避けた。どちらが強いかと議論している場合ではない。南の戦力は頼れる、重要なのはその一点だ。


「俺がプラエドへの使者になりましょうか?」


 エリックの提案にゲオルグは考え込む。悪くない話だが、細部まで詰めると問題点が次々と浮かび上がった。


 この男の持つ戦車が特別であるということは聞いた。途中でミュータントに遭遇しても問題なく切り抜けられるだろう。


 ただ、基本的に戦車という兵器は恐ろしく燃費が悪い。増槽タンクを取り付けたとしても単独で1000㎞走破は難しいところだろう。


(貴重なガソリンをたっぷり積んで、逃げ出すつもりかもしれないしな……)


 ゲオルグはそんなことを考えてから自己嫌悪に陥った。信頼すると決めたからこそ、こうして呼び出して相談しているのではなかったか。


 いや、責任者としてあらゆる事態を想定しなければならないのもまた事実だ。誰だってこんな街からはさっさと逃げ出したいだろう。信頼とは、思考停止の言い訳にしてよいものではない。


 ゲオルグはグラスに口をつけるが、眉間にシワを寄せてすぐに置いた。酒がひどく苦く感じる。


「使者の件は考えておく。今日はこれまでだ、また何かあったら呼び出すからそのつもりでいてくれ」


「構いませんよ。どうせ暇ですから」


 そういってエリックは閂を外して出ていった。


「おい、鍵くらいかけていけよ!」


 閉じられたドアに向かってそう声をかけてからゲオルグは己の馬鹿さ加減に気がついた。


(本格的に疲れているらしいな……)


 苦い酒を無理に喉へと流し込む。


 特に何も決まらなかったが、収穫がなかったわけではない。南の連中は地上戦艦に勝てるといる証言。その小さな希望にすがって、もう少しだけ正気をたもっていられそうだ。




 エリックがハンター協会本部から出ると、強烈な日差しが降りかかり、反射的に手でひさしを作った。


 使者に出る件を一蹴いっしゅうされたことは不快ではあるが、ゲオルグの気持ちもわからぬではない。街の命運を預けられるほどの信用を得ているという自信もないのだ、仕方ないといえば仕方がない。新参者に、戦車で1000㎞ぶっ通しで走破するからよろしく、などと言われて即決する方がおかしい。


 肩を落として市場へと向かい、食料と水を買い込んだ。値段が平時に比べて数倍にも跳ね上がっていた。


 街全体が苛立っているような、そんなピリピリとした空気を感じる。あちこちで怒声が飛び交い、喧嘩が起きるがそれを止めようという気にもならなかった。


 こんな光景は日常茶飯事だ。いつもの事と、正しい事は違う。そうとわかっているが、行動する気にはなれなかった。


 街も人も、壊れつつある。




 頑丈さだけが売りのアパートに戻り三重の鍵を外して部屋に入ると、ファティマが気だるそうにパイプベッドから身を起こした。


「……おかえり」


「ただいま。飯を買ってきたよ、一緒に食べよう」


「なんだ、ミートサンドか……」


 明らかな失望の声。エリックはかっと頭に血が上るがなんとか耐えた。


(俺はこのクソ暑いなか本部に行って、会長のくだらない愚痴に付き合わされていたんだ。部屋で寝ていただけのお前が文句をいうな……ッ)


 喉まで出かかった言葉を飲み込む。燃料がなければ狩りにも行けない。お互いに好きで暇をもて余しているわけではないのだ。本部にだってファティマが代わりに行けばよかったのかとか、そういう問題でもない。


 微妙な空気のなか、ふたりはもそもそとミートサンドを食べ始めた。


 ゲロの固形物、自殺誘発材などと不名誉な名で呼ばれる合成肉だが、生きていくための栄養だけはあるし、なにより安い。


(生きるために食う、ただそれだけ。ああ、まるで今の俺たちの生活そのものだな……)


 この街に流れ着いてから一年以上経つが、ファティマが心を開いてくれることはなかった。


 肉体関係はある。街に着き、部屋を決めてから自然に男と女になった。だが、それも性欲処理の延長線に過ぎず、愛の営みと呼べるようなものではなかった。


 今ならば彼女をしいたげ続けてきた男、ダドリーの気持ちも少しはわかるような気がする。どれだけ愛し、尽くしても返ってくるのが冷たい視線だけでは耐えられない。頭がおかしくなりそうだ。


 だが、ダドリーとエリックでは立場が違う。ダドリーはファティマの四肢を切り落とし奴隷のごとく扱ってきたが、エリックは常に心を込めて尽くしてきた。ディアスに土下座してファティマを救うように依頼したのもエリックだ。


(それでもなお、俺はあいつと同じだというのか。体の上を通り過ぎていった男たちのひとりに過ぎないのか。同じ扱いしか受けられないのか……)


 胸がキリキリと痛む。いっそ彼女を撃ち殺し自分も死ねば、その魂は永遠に自分のものになるだろうか。


 そんな危険な考えをとがめるようにけたたましく電話が鳴り出した。


 番号を確認してエリックは舌打ちした。ハンター協会本部からだ。


「はい、エリックです」


「おう、すぐにこっち来てくれ! 大至急だ!」


 ゲオルグの声は上ずっている。浮かれているといってもいい。あのおっさん、とうとう狂ったかと同情はするが、くだらないことでいちいち呼びつけないでもらいたいものだ。


「明日にしてもらえませんか? 今日はもう部屋で休んでいるところなんですよ」


「そんなこと言ってる場合か! 来たんだよ!」


「何です? 生理ですか?」


「巨大な戦車だ! 間違いない、あれは地上戦艦のモデルになった機動要塞ってやつだ! わかるか、つまり南から来たってことだ! 護衛の戦車も10輛くらいいるぞ!」


「え、本当に……?」


「いいな? わかったな? すぐ来いよ!」


 ガチャリ、と勢いよく切られた後もしばらく受話器を握って立ち尽くしていた。


 本当に助けが来た。いや、助けになってくれるかどうかはこれからの交渉次第なのだろうが。それでも本当に来てくれた。信じられない。


「ねえ、何の話?」


 と、ファティマがぼんやりとした口調で聞いてきた。


(そういえば、会長は南からの援軍を待っていたのだという話はしていなかったな……)


 どこから説明したものかと迷った後にとりあえず出てきた言葉が、


「ディアスとカーディルがこっちに来ているかもしれない」


「え、カーディルが来ているの!?」


 ファティマの表情がぱっと明るくなる。これだ、これこそがダドリーたちとチームを組んでいた頃によく見せた本来の顔であり、エリックが一年以上求め続けて手に入らなかったものだ。


 ファティマとカーディルは付き合いが長いわけではない。むしろほぼ他人といっていいだろう。聞くところによると、暴走する神経接続式戦車から救いだした後で震えるファティマをずっと抱きしめていたのがカーディルだという。ファティマにとって、カーディルは安らぎの象徴しょうちょうなのだ。


 その名を聞いただけで笑顔が戻るのかとカーディルに対して嫉妬心が沸き起こるがすぐに、


(いや、待てよ……)


 と、思い直した。


(あいつらならいい感じのアドバイスをくれるんじゃないか? 夫婦円満の秘訣、みたいな。それとも俺たちの仲を取り持ってくれるだろうか? いずれにせよ相談する価値はあるな……)


 希望が見えてきた。出口のない迷宮で保存食をかじるような生活に、一筋の光が差し込んだ。よし、いけるとエリックは拳をぎゅっと握る。


「これから一緒に本部へ行かないか? 事情は歩きながら説明するから」


「いいね、よし行こう!」


 またこうして笑いあって出かける日が来るとは思わなかった。


 今だけは精油施設がミュータントに占拠されていることも、街に不穏な空気が漂っていることも、全て忘れた。

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