第163話 蜘蛛の糸 ― マスタード4 ー

 人間とミュータントの奇妙な共同生活が始まった。


 当初、マスタードは装甲車に車中泊するつもりであったが、あまりの狭さに断念した。1日や2日程度なら何も問題はなかったのだが、ずっとそこで暮らすとなると話は別だ。


 今はテントを張って暮らしている。


 機織蜘蛛たちからも仲間として認められているのか襲われたりすることもなく、『よう』と挨拶すれば軽く手を挙げたりなどの反応がもらえるようになった。


 谷全体が常に血なまぐさいことにも慣れた。


 ハンターに銃を向けることや、捕らえて仲間に差し出すこと、その肉を食らうことに対する抵抗も徐々に薄れてきた。


(慣れてしまうものだな、どんなことにも……)


 人としての心を失うことが恐ろしく、そしていつかそうなるだろうという確信があった。


 皮肉なことに、ハンターであった頃よりも金回りがよくなった。捕らえたハンターの装備を回収し、街で売ればまとまった金額になったからだ。


 ドッグタグをハンターオフィスに提出して金をもらおうかとも考えたが、これは止めておいた。出所を聞かれると非常に面倒なことになる。


 結局、ドッグタグは一ヶ所に集めて埋めて、適当な石をその上に置くことにした。墓のつもりだ。この行為を無駄と感じ始めたら、それが自分の人間性が失われた時だろう。


 敵はハンターたちだけではなかった。他のミュータントに襲われることが度々あったのだ。


 そもそもミュータントというのが人間の敵となる異形の化け物全てを指した、非常に雑な分類である。鳥型、蜘蛛型、あるいは戦車型などなど多種多様である。それらが無条件で仲間であるはずがない。


 当然といえば当然のことだが、マスタードは実際にミュータント同士の戦いを見るまで思いもよらなかったことである。食べるためか縄張り争いかはわからないが、とにかくこうしたミュータント同士の戦いは日常的であるらしい。


 適当なミュータントであれば谷の奥へと引き込んで返り討ちにしたり、拘束して食料にしてやった。


 何度か敵を撃退して、谷に引きこもっている限り盤石ばんじゃくではないかと安心していたところに白猿キラーエイプがやってきた。


 中型ミュータントのなかでも特に強靭な肉体を持つ最悪の敵だ。


 素早い動きで機織蜘蛛に飛びかかり、1体、また1体と倒されていく。頭からかじられ、足をもぎ取られ、投げ飛ばされる。荒れ狂う暴風のような戦い方だ。


 機関銃では効果が薄いと理解したうえで、マスタードは白猿を撃った。白猿の動きが一瞬止まった。効いたというよりも、何故ここに人間がいるのかと戸惑っているようであった。


 その隙にペドロが中心となって機織蜘蛛たちが一斉に粘液を飛ばした。動きを封じることはできなかったが、粘液のひとつが白猿の目を覆った。


 白猿は奇声をあげ、腕を無茶苦茶に振り回す。とどめを刺したいところだが、危なくてちかよれない。


 やがて白猿は走り去った。目が見えぬままではいつか、他のミュータントの餌食となるだろう。


 手放しで喜べぬ、勝利者のいない勝利。後に残ったものは静寂と、無惨に引きちぎられた機織蜘蛛の死体。


 マスタードは装甲車を降りてペドロに駆け寄った。


「こちらの損害は!?」


「5体やられた……」


「クソッ! あのエテ公、どこまでも俺たちの人生を呪いやがる!」


 いきどおるマスタード。その姿をみて、ペドロがくすりと笑った。


「何かおかしいか?」


「いや、随分と懐かしい話をするものだと思ってな」


 白猿に襲われて死にかけたのはつい数ヵ月前のことだ。あの時はふたりとも人間であった。それが遠い、遠い昔のことのように感じられる。


「すぐにでも戦力を補充しないとな。いっそのこと30体くらいに増やさないか?」


 と、マスタードが聞くと、


「増やしすぎると食料が足りなくなる。10体前後がベストで、限界だ」


 食料が足りなくなれば確保するために動かねばならない。街を襲ったりすれば当然、本格的な討伐作戦が行われるだろう。


 それだけはなんとしても避けねばならない。小規模とはいえ、組織を運営することの難しさを実感するマスタードたちであった。


「しかしな、このままじゃあジリ貧だ。なんとかして戦力増強を計りたいところだな……」


「数を増やせないとなると、質にこだわるしかないか」


「質?」


「ああ、ミュータント化した際はハンターであったころの能力が反映されるようだからな。俺ごときでも一回りでかくなったくらいだ、ランカーを捕らえることができれば、相当な戦力になると思わないか?」


 ここでペドロが想定していたのは、ランキング表に載る50位ギリギリくらいのハンターを捕らえる事であった。マスタードの唇から漏れた名を聞いたとき、8つの目が驚愕きょうがくで見開かれた。


「……本気か?」


「おう、本気も本気、大マジだ。戦力増強という意味でこれほど頼れる奴は他にいるまいよ」


「リスクを承知で言っているのだろうな」


「段階を踏んで強くなろうという考え方は正しい。だが、ランカーが次々と行方不明になれば騒ぎになるだろう。ならばいっそ頭を取っちまったほうがいい」


 と、マスタードは少々興奮ぎみに語った。


「やれるのか?」


「やれるさ。ミュータントと違って、人間相手なら騙し討ちもできる。あの重装甲を抜くことはできないが、粘液で固めてしまえば身動きは取れまい。むしろこの武器は有効だ」


「それはいいのだが、尊敬する相手を後から撃てるのか」


 その言葉にマスタードは、しばし沈黙した。なか惰性だせいで続けてきたハンターとしての活動、そこに現れた命の恩人であり、初めての目標。後から撃てるのか、その言葉が胸を掻き乱す。


 やがて、波紋の広がった水面が平らに戻るように、マスタードの心は覚悟を決め落ち着きを取り戻した。


「……問題ない。あいつらが仲間になってくれるのであれば、最終的には何も問題はない」


 この男が望んでいるのは繁栄か、破滅かどちらであろうか。ペドロはいぶかしんでいたが、静かに首を振って、


(どちらでもいい。俺はこいつとどこまでも突っ走るだけだ)


 と、頷いた。


 その後、ハンターたちをミュータントへと加工し、準備を整えてマスタードは街へと向かった。




 男は銃を構えたまま聞いた。お前らの首を落として埋めてやるから、どこかいい場所はないか、と。


 その構えに隙はない。反撃からの逆転勝利などできそうになかった。


 いずれにせよ機織蜘蛛が全滅した今となっては、彼らをミュータント化させることはできない。全てが終わったのだ。


 逆光にも目が慣れてきて、男の表情が薄っすらと見えた。


(勝利者が、なんて悲しそうな顔をしていやがるんだ……)


 この男は友を、仲間を皆殺しにした憎い敵だ。それでいて必ず約束は守ってくれるだろうという奇妙な安心感があった。


「どこでもいいよ。野犬に食われないよう、深く埋めてくれ」


 マスタードの最期のリクエストに、男は深く頷いた。


 銃声が、青空に吸い込まれた。

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