第162話 蜘蛛の糸 ー マスタード3 ー
「マス、タード……?」
無理に絞り出すような、
ペドロの瞳に困惑の色が浮かび、恥じるように顔を背けた。こんな姿になって何を話せばいいのだと、お互いが感じていた。
「
「何故、って……」
しばしの間を置いてから、マスタードは言葉を選ぶように答えた。
「お前を助けに来たんだ。いや、正確に言えば一緒に死ぬためかな……。さすがに俺だって、こんな装備で勝てるだなんて本気で信じちゃいない」
「そう、か……」
「ごめんな、遅くなって済まない」
「いいさ、こうして来てくれたからな」
と、ペドロは優しげにいった。どんな形であれ友人が自分を見捨てずに来てくれたことが嬉しかったのかもしれないが、マスタードには納得できるものではない。
(いい訳がないだろう、おかげでお前はそんな姿になっちまった。武装なしで突っ込んでいれば確実に死んでいた。たとえ援軍を引き連れて来たとしても間に合わなかった。結局、俺たちの人生は詰んでいたってことか……)
蜘蛛の足がマスタードの上でスッと走ると、全身を縛っていた糸は縦に切れて
それからペドロは己の身に何が起きたのかを説明してくれた。
ミュータントに連れ去られた後、糸で全身を巻かれて意識を失い、気が付いたらこの姿であった。
個体としての強さは人間であった頃の能力に関係するらしく、一回り大きなミュータントとして生まれ、この群れのボスになったらしい。
「マスタード、俺はもうミュータント側だ……。人間の中では生きられない」
「まあ、うん……そうだろうな」
「だから、お前を生かして帰すわけにはいかない。情報が出回っていないというのが俺たちの強みなんだ。仲間になるか、ここで死ぬか選べ」
ペドロが苦いものでも吐き出すようにいった。マスタードは心臓を鷲掴みにされたような痛みを覚えた。そうだ、ミュータントとして生きるとはそういうことだ。
「それは、俺にもミュータントになれということか……?」
「そうだ。群れの長として、友人だけを特別扱いというわけにはいかない。……死を選ぶならばせめて苦しまぬよう、ひと思いにやってやる。俺がお前にしてやれるのはそれくらいだ」
マスタードは言葉を失った。世界の残酷さという、見えない手に殴り付けられたような気分だ。
今から化け物になって人類の敵になれ、そう言われて即答できる者がいるだろうか。無理だ、できない、それでも答えねばならぬ。
「わかった。お前を二度も裏切ることはできない……」
「そうか、やってくれるか」
「待ってくれ。仲間にはなるが、ミュータントになる必要はないと思うんだ」
「……どういうことだ?」
「その姿になったら装甲車にも乗れないだろう? 俺がミュータントになるより、ハンターとして連携して戦う方が力になれるはずだ」
疑惑の視線が8つ、マスタードの全身に突き刺さる。それなりに理はあるが、ミュータントになりたくないがための言い訳であることは誰の目にも明白だ。
この
(仕方がないだろう。俺を非難できるのは、この場面でミュータントになれる奴だけだ……ッ)
ここが正念場だと、マスタードは大きく息を吸ってから続けた。
「人間のままなら街へ行くこともできる。物資の調達から情報収集、場合によってはハンターどもを口先で誘い出してもいい」
「……わかった、人間のままでいい」
「そうか、うん。理解してもらえて嬉しいよ」
助かった、それなのに胸の奥がちくちくと痛む。
「ただし、お前が仲間になったという証が欲しい」
「え?」
「付いてこい」
そういってペドロは背を向けて、谷の奥へと歩き出した。歩幅が大きいのでマスタードは小走りでなければ付いていけなかった。
(それにしても……)
あのペドロが、蜘蛛の足で歩いている。頭のどこかでこれは悪夢だと、いつか目が覚めるのではないかと期待もしていたが、
ペドロが案内した先に、白い塊がいくつも積み重なっていた。
「……食堂だ」
それは、顔だけ出して身体は糸で巻かれた人間であった。どれも目が
「これを見ろ」
ペドロが口を大きく開けると、中から太い
凄いのはわかったが、それがどうしたのだと疑問符を浮かべるマスタードに、ペドロはいった。
「俺たちは人間を生きたまま保存している。こうして身動きを取れなくして、管を挿し込み唾液を流す。どろどろに溶けた肉を
ペドロが淡々と語るその内容に、マスタードは背筋が凍るような思いであった。
人の尊厳など完全に無視した、ミュータントとしての合理性を突き詰めた食事。マスタードも一歩間違えればこの保存食のひとつになっていたことだろう。
なにより、これを当然の事として語るペドロに恐怖を覚えた。
ペドロは蜘蛛足を一本振り上げて、拘束された人間の胴体に振り下ろした。
「ぐぅえッ」
苦悶の声があがるが、苦痛に叫んだり泣きわめいたりもしなかった。
足を引き抜いて、できた穴から赤黒い肉がどろりと流れ出す。
「食え」
「……え?」
「食え。それでお前は、俺たちの仲間だ」
いつの間にか機織蜘蛛の群れがマスタードたちを取り囲み、その一挙一動に注視していた。
食わなければなぶり殺しにするつもりだろうか。お
「食え」
繰り返すペドロの声は切実であった。食わねば、お前を守れないと。
マスタードは夢遊病のようにふらふらと進み出て、被害者の前で屈みこんだ。
ずるずると肉を啜る音が耳の奥で反射した。周囲の殺気が弱まる気配を感じる。
この日、マスタードは人の身でありながら、人であることを捨てた。
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