第161話 蜘蛛の糸 ー マスタード2 ー

 全財産を吐き出して装甲車の修理を終え、買ったばかりの機関銃も交換することとなった。


 機関銃を車内から遠隔操作出来るようにしたのだが、いくつか問題もある。


 まず、運転と射撃をどちらもマスタードが行わなければならないので忙しく、どちらも中途半端になることだ。


 機械式にしたので旋回が遅くなった。ペドロが敵の動きに合わせて力任せにブン回していたこと、その重要性が今になって実感できる。


 また、注文したところが丸子製作所ではなく以前使っていた整備工場なので、品質が悪いとまではいわないが、少々格が落ちるところはあった。


 これでどうにか戦う準備は整った。だが、装甲車に水とマシンガンを積み込むマスタードの顔はどこまでも暗く沈んでいた。


(勝てるかどうかと聞かれりゃ、まず間違いなく勝てないだろうさ。1体ずつ釣り出して奇跡的に全滅させたとして、ペドロが生きているという保証はない。本当に助けたければあの時しかチャンスはなかったんだ……)


 それが無理であることはよくわかっている。何度も考えたことだが、武装なしで突っ込んでどうしようというのか。


 結局出来ることといえば、あの時一緒に死んでやるか、後から死んでやるかの二択しかない。


(ま、仕方ないよな。あの世でゆっくり謝ろう。どうせ俺もあいつも地獄行きだ。それだけは間違いない……)


 装甲車に乗り込みドアを閉めようとするマスタードに、工場長が白髪混じりの頭をぼりぼりときながら話しかけてきた。


「どうしたマスタード。これから狩りで大儲けしようって奴が、しけたツラしやがってさぁ」


「そんな気になれなくてな……」


「戦う前から気持ちで負けてどうする。何の役にも立たないが、気合いってやつは大事だぞ」


「役に立たねえのかよ」


「気合いでミュータントが倒せるなら、整備屋は商売あがったりだ」


 そういって、工場長は豪快にゲラゲラと笑いだした。


 駆け出しの頃から世話になってきた相手である。最期に何か挨拶を、とも思ったが、気の利いた台詞は何も思い浮かばなかった。


「なんだお前、昼飯積まずに水だけかよ」


「ちょっと食欲なくてな……」


 半ば死にに行くようなものである。食欲などあろうはずがないし、そもそも必要がない。だがそれを説明するわけにもいかず、曖昧あいまいに笑うしか出来なかった。


「いい若いもんが何を言っていやがる。体が資本の商売だろうが。ちょっと待ってろ」


 工場長は返事も聞かずに休憩所に走っていき、何かの包みを持ってすぐに帰ってきた。


「ほれ、これ持ってけ。腹が減っては戦はできぬ、こいつは真理だぞ」


「はぁ、どうも……」


 流されるように受け取って助手席に置いた。置いてから、ここに座る奴がいないのだと思い知らされる。


(こういう下町のおっさん的な優しさがありがたくもあり、鬱陶うっとうしくもあり、だな……)


 今度こそドアを閉めて、発進した。後ろから工場長が手を振りながら叫ぶ。


「生きて帰るまでがハンティングだぞ!」


 その通りだな、とマスタードは頷いた。そして、死ぬつもりで出撃する自分はもはやハンターではない。




 谷へと向かう途中で、昼飯どころか朝飯も食べていないことに気が付いた。


 食欲はないが腹は減っているという状態に戸惑いつつ、運転を続けながら片手で包みを開けると、そこに出てきたのは合成肉のミートサンドだった。


 餓死寸前の人間が躊躇ためらう。野良犬が見向きもしない。自殺志願者の背中を押す。などと言われる恐ろしく不味い飯だ。


(これを食いたくなくて俺に押し付けたわけじゃあるまいな……)


 腹が立つよりも先に笑えてきた。これこそ人間臭さというものだ。こんな下らないことがマスタードの心の中で救いとなったような気がした。


(おやっさん、最期に話ができて良かったよ……)


 ミートサンドを摘まんで一口。マスタードの動きがピタリと止まった。


 前言を全て撤回し、最期に食うものがこれかよと、ひどく後悔した。




 ミュータントの巣へたどり着いたマスタードは1体でも多く道連れにしてやろうと意気込んでいたが、結果は惨憺さんたんたるものであった。


 釣り出して各個撃破が基本方針であったのだが、いきなり10体の機織蜘蛛に囲まれどうしようもなかったのだ。


 四方八方から粘液が飛ばされ、機関銃もタイヤもべったりと固められた。鋭い足で防弾ガラスが割られ、マスタードは糸で巻かれて外へ引きずり出された。


(何もできなかった、俺は何をしに来たんだ? これじゃあペドロに会わせる顔がないじゃあないか……)


 身動きが取れぬまま機織蜘蛛たちに囲まれ、今になってどうしようもなく恐ろしくなった。


 自分はこれからどうなってしまうのか。ただ殺されるだけならまだマシな方だ。だが、どうもそういった雰囲気ではない。拷問を受ける前の捕虜のような気分だ。


 彼は叫びだしたいほどの恐怖を、歯を食いしばってなんとか耐えた。誰に決められたわけでもないが、ここで弱音を吐くことはペドロに対する裏切りであるかのように思えたのだ。


 覚悟は決まった。決まったはいいのだが、何故か機織蜘蛛たちは襲ってこない。


(処刑や拷問を待つ時間ってやつは、それはそれでキツいな……。俺をもてあそぶつもりだというなら、ちょっと性格悪すぎやしないか?)


 1体につき8個、計80個の赤い瞳に囲まれて、マスタードは戸惑っていた。


 ミュータントの感情などわかるはずもないが、自分の無様な姿を笑っているというわけでもなさそうだ。


 やがてミュータントの群れが2つに割れて、奥からひときわ大きな機織蜘蛛が現れた。こいつらのボスだろうか。マスタードは敵の姿をハッキリ見てやろうと顔を上げて、そのまま思考停止した。


 下半身が蜘蛛の身体だ。目が8個ある。それでも見間違えるはずはない。


「ペドロ、なのか……?」


 変わり果てた友の姿がそこにあった。

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