第159話

 機織蜘蛛はたおりぐもとの戦いから三日後。マルコへの報告にはカーディルがひとりでやって来た。


(おや、珍しいな……)


 基本的に所長執務室へ報告に来るのはディアスひとりであり、たまにカーディルを連れてくることもある、という程度だ。カーディルだけというパターンはマルコの記憶する限りでは初めてである。


 報告書はディアスが書くような箇条書かじょうがきのメモではなく、きちんとまとまっていて字も綺麗だ。何も問題はない。


 マルコは報告書を受け取りぱらぱらとめくって目を通した。


(車載カメラの映像は既に受け取って見ているが、こうして当事者から報告書を受け取ると、凄まじい、の一語に尽きるな……)


 案内役のハンターが裏切ってミュータント側についた。

 合計13体の新型ミュータントを相手にすることになった。

 死を待つばかりの捕虜たち数十人にとどめを刺してから帰還。


 どれひとつ取っても大事件だ。特にハンターをまゆでくるんで同族に変化させていたというのは実に興味深い。


「どうせなら繭のひとつでも土産に持ってきてくれたら嬉しかったんだけどなぁ……」


「それ、ディアスの前で言ったら本気で怒りますからね」


 そういってカーディルは魅力的な笑顔を向ける。目が笑っていない。


 こいつは常識人のような顔をして、ディアスが絡むと何をしでかすかわからない女だ。肉を溶かされた人間を間近で見たかった、ミュータントに変化する途中の人間を解剖してみたかったが、諦めた方がよさそうだ。


 解剖中のミュータントが動き出して所内をうろつきまわるなどといった、B級ホラー映画のような展開も避けたい。


「ところでその、ディアスくんはどうしたんだい? 映像データを受け取ったきり、姿を見ていないんだが」


「今は家で寝込んでいます」


「病気とは聞いていないが……」


「いえ、心労によるものです」


 心労で倒れた。ディアスだって一応は人間なのでそういうこともあるだろう。しかしどうにもイメージに合わない。


 あの無表情、無感情、鉄面皮野郎が、心労で倒れる。やはりマルコの脳裡にハッキリとしたイメージが浮かぶことは無かった。


「それはやはり、死に損ないどもを介錯したことが原因で?」


「博士、言い方。もうちょっと言い方。まあ、確かにその通りなんですけど……」


「わからないな。彼は人の尊厳を守り、苦痛を与えぬために介錯したのだろう? こいつはいわば人助けだ、何を悩む必要がある? 彼はもっと合理的かつ極端な判断をする奴だと思っていたのだが」


「判断そのものは合理的です。ただ、そこに至るまでに葛藤かっとうがないわけではありません。そして、判断を下した後も」


「ふぅん……」


 本気で理解できない、そういう顔をしている。マルコには他人に対する共感性が欠落しているところがあるのは知っていたが、こうして目の当たりにすると不気味と思わざるを得ないカーディルであった。


 博士は怖い人だよと、いつかディアスが言っていたのを思い出し、カーディルはその意味を少しだけ理解した。


 もうここでの用はない。カーディルが一礼しきびすを返して部屋を出ようとすると、


「あ、ちょっと待った!」


 マルコが何かを思い出したか、慌てて呼び止めた。


「北への遠征は1か月後に迫っているが、まさかディアスくんがこのまま立ち直らないなんてことはないだろうね?」


 主力が不在で未知の脅威が待つ地へ遠出するなど、冗談ではない。全体の士気にも関わる。


 金と時間と手間をかけて準備を進めてきたのだ、いまさらエースがショックで寝込んでいるので延期です、では済まないのだ。


 カーディルは妖しく笑い、胸元をぽんぽんと叩きながら、


「ご心配なく。彼は私がありとあらゆる手練手管てれんてくだを尽くし慰めているので、すぐに立ち直ることでしょう」


 と、得意気にいった。


「……何をやっているかは聞かない方がいいんだろうな」


「あら、そういう話はお嫌いで?」


「知人の生々しい話なんて聞きたくないんだよ!」


 マルコの言葉が聞こえているのかいないのか、カーディルはどこか恍惚こうこつとした表情で艶のある黒髪を撫でている。


「世間からはトップハンター、大型殺しの英雄と呼ばれる男が私の胸に顔をうずめて安らかに眠る。私だけがその顔を知っているということに優越感や快楽を覚えてしまうなど、浅ましい女と思いますけど。ふ、ふふ……」


 危険な女だ、とマルコは呆れ顔でカーディルを見ていた。ディアスは表情に変化がなさ過ぎるが、こいつはころころと変わりすぎる。


 やがてカーディルの顔から笑みが消え、寂しげに目を伏せた。


「彼はトップハンターらしくないとはよく言われますが、そうではないのです。ハンターとして戦い抜くことは決して輝かしい栄誉ばかりではないと、それをよく知っているからこそ、その称号を誇るつもりがないだけです」


 長い睫毛まつげが小刻みに震える。


「本当に、馬鹿なひと……」


 そう呟いて去るカーディルの背を、マルコは黙って見送った。


 ふたりのめは聞いている。それなりに付き合いも長い。それでも知らない部分が多いのだなと考えさせられた。




 一週間後、本当にディアスは立ち直り所長執務室まで挨拶に来た。


 マルコはふたりの関係について考えることをやめた。

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