第158話

 ディアスはチェーンソーを取り出し、ペドロとマスタードの首を切り落とした。


 ミュータントの首を切るのは日常茶飯事であるし、人間を切ったのも初めてではない。だがそれが顔見知りのものとなると心に重くのしかかる。


 1メートルほど深く掘って、2人の首を埋めてやった。花でも添えてやりたいと周囲を見回すが、荒野にそんなものがあるはずもなかった。


 サボテンの花ならばあるいは、とも期待したのだが、そうそう都合よく咲いているものでもなかった。


(下手に目印を付けるよりも、誰にも知られず朽ちるほうがあいつらの為かもなあ……)


 そういうことにした。あの時、死後のリクエストを細かく聞いていられるような場面でも無かった。


 砲塔にへばりついた粘液を削ぎ落とし、なんとか旋回することを確認してからディアスは戦車に乗り込んだ。


「お帰り。もう街に戻る?」


 カーディルが明るい声で出迎えた。ディアスがカーディルの頬や髪を撫でると、


「んっふ……」


 彼女は猫のように嬉しそうに身をくねらせる。対して、ディアスの目はどこまでも暗い。


「すまないがまだ、やらなきゃならないことがある。谷の奥、まゆが積まれていた所に行ってくれ」


「んん? そりゃまあ、構わないけど……」


 ゆっくりと走り出す23号。


 そういえば彼女は繭の中身がどうなっているのか見ていなかったなと、ディアスはカーディルに説明をした。


「ふぅん、つまり放っておけば大量に涌き出して、また巣ができちゃう可能性があるわけね」


「そうなるな」


「でもさ、それって私たちの仕事?」


「うん?」


「いまさら、本当にいまさらだけどさ、私たちの仕事は調査なわけじゃない? 帰ってマルコ博士にレポート出して、後始末はお任せしますでいいじゃないの」


 この時、カーディルは面倒だから帰ろうといっているわけではなかった。彼女が恐れる事はただひとつ、ディアスが傷つくことである。彼がこれから何をしようとしているのか、痛いほどによくわかっていた。


 そうしたカーディルの気持ちを全て理解したうえで、ディアスは静かに頷いた。


「勝手な解釈かもしれないが、マスタードに後始末を頼まれたような気がしてね」


「あなたたち、そんなに仲良かったっけ?」


「いや、まったく」


「何よそれ……」


 谷の奥へとたどり着き、ディアスは戦車を降りた。


 いつかミュータントとして生まれ変わる繭が5個。


 首だけを残して、他の肉は全て流れ出した死骸がひとつ。


 首だけを出して糸で巻かれた人間が4人。これらは全て、ミュータントの餌として肉体を溶かされた者たちだ。助けるすべは、ない。


 ディアスはしばし、彼らを無言で見下ろしていた。


 巻かれた者たちのうち、1人の女がディアスの姿に気が付いて、力を振り絞るように青白い顔を向ける。


「……けて」


 聞く者の背筋を凍らせるような悲痛な声。


「たす、けて……」


 ディアスは目を伏せて首を振った。


 カーディルが犬蜘蛛に捕らえられたときは、生きたいか死にたいかと本人に尋ねたものだが、あの時とは訳が違う。手足がなくとも生命活動が停止するわけではないが、体全体を溶かされたのではどうしようもない。


「助けることはできない。もう、どうしようもないんだ。俺にできることは君たちを殺すことだけだ」


 女の瞳が絶望に揺れる。生きたい、死にたくない。そう叫び出したかったが声にならない。


「このまま衰弱死するか、野犬に食われるか。……そんな死に方よりは多少、マシだと思う」


 それだけ言うとディアスは立ちあがり背を向けた。


 呻き声が聞こえる。それは女の口からだけでなく、谷全体から響くようであった。

救いを求めた者たちの怨嗟えんさ。ディアスはただひとりその中を歩く。


 戦車に乗り込み、主砲を山積みの繭へと向けた。


「榴弾、装填」


 ディアスのこれほど暗く冷たい声はカーディルも聞いたことがなかった。どんなことでも言い合える仲のはずなのに、今はその背が遠く見える。


 震える指で発射装置が押し込まれ、榴弾が放たれた。本来、戦車やミュータントや防衛陣地に向けて使われる砲弾である。巻き込まれた人間の体などひとたまりもなく、爆風のなか一瞬で原形を失った。


 ディアスは敵対者を殺すことに何の疑問も抱かぬ男である。相手はこちらを殺すつもりで、自分も相手を殺す。荒野における対等、平等、公平だ。


 しかし今やっていることは何だというのか。身動きの取れぬ罪なき犠牲者たちを一方的に殺すこと、それは虐殺と呼ぶべきものではないか。


(正義もない、道理もない。それでもなお、やらねばならぬことだ。正しさを理由に逃げ出すことはできない……)


 ディアスは手に滲んだ汗を膝でぬぐった。


「……戻ろう。戻りながら、両脇に吊るされた奴らを機銃で撃ち殺す」


「ディアス、もう一度聞くけどそれはあなたがやらなければならないことなの?」


「餌袋にされているとか、ミュータントに変化しているとか、そんなことを知らずにいれば当初の予定通りにさっさと帰って報告するだけでよかったんだけどな……」


 彼の覚悟は決まっている、ならばカーディルから言えることは何もなかった。


(全てが終わった後、彼はきっと自分を責めて苦しむことになる。そうとわかっていながら止められないなんて……)


 カーディルは己の無力さに打ちのめされた。


 死の行進が始まった。


 崖に吊るされた者を見つけてはひとりひとり順番に、丁寧に正確に、対空機銃で撃ち殺していく。


 撃つ度に全身が包まれた繭からは未成熟な蜘蛛の体や溶けかけの人体パーツが、首だけを出した繭からは赤黒い溶けた肉が吹き出した。


 人の尊厳を全否定するかのような地獄絵図。


 機銃の弾が切れると、ディアスはライフルを手にして上部ハッチから身をのりだし撃ち続けた。


 数十人の始末をつけて砲手席に戻る頃には、苦悩のためか頬がげっそりと削げていた。そこに英雄と呼ばれる男の姿はない。


「帰ろう、俺たちの家に……」


「ええ、そうね……」


 道中、ふたりは無言であった。カーディルはディアスに声をかけたかったが、さて何と言えばよいのかわからない。


(ええい、私たちの仲でなにを遠慮しなきゃならんのよ。思い付いたことを思い付いたように話せばいいだけじゃないの)


 カーディルはよし、と気合いを入れた。


「あの、ディアス?」


「なんだい?」


「私はいつでもあなたの味方だから、ええと、それだけは覚えておいて」


 沈黙。これは外してしまったという奴だろうかとカーディルが気まずい思いをしていると、5分ほどしてからディアスが呟いた。


「……ありがとう、いつも側に居てくれて」


「え? あ、うん。もちろん、もちろんよ、うん」


 それからまたずっと無言であったが、カーディルは満足していた。会話がないのではない、必要ないのだ。心は確かにつながっている、それでいい。

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