第157話

 機関銃で23号の装甲は抜けない。それは最初からわかっていたことだが、こうして目の当たりにすると改めて戦慄せんりつを覚え、マスタードの背に脂汗が一筋流れた。


(本当に嫌になるな、まったく……)


 ほんの少し、微かにだが、誇らしいとも思う。自分が憧れ続けた相手がこんなにも強い。なんと素晴らしいことだろうか。


 装甲は抜けないが、機銃やガトリングガンを破壊することはできる。それがマスタードの役目だ。カメラやアンテナを潰してもいい。できれば主砲にもダメージを与えたい。


 機織蜘蛛はたおりぐもの粘液で履帯をはじめとする駆動部を止めることができる。初戦で粘液を履帯にぶつけてそれを確認するのは計画の第一歩であった。当てられない、あるいは止めることができなければ裏切らず計画を中止して、ミュータント1体を手土産として帰還するつもりであった。


 進路妨害することで疑いを増すことにはなったが、攻撃が通用するというのはまさに値千金の情報だ。


 火器を全て破壊し、足を止める。それからゆっくりとディアスたちを引きずり出そう。それがマスタードたちの必勝の計略であった。


(ハリネズミの針を一本ずつ抜いて、ただのネズミにしてやる……ッ)


 敵は強い。だが数と地の利はマスタードたちにある。逆に言えば、谷を出るまでが勝負だ。平地で自由に動き回られては手が付けられない。


(行け、ペドロ! 蜘蛛ども!)


 崖上から9体の機織蜘蛛が姿を現し、一斉に粘液を吐き出した。だが射出された粘液は7つだけ。それらは全てかわされるか、ガトリングガンで迎撃された。マスタードのハンドルを握る手に力が込められ、鮮血が滲み出る。


 攻撃するために姿を見せることは、23号の対空射撃を浴びる危険性があるということだ。仲間たちの無残な死に様を前に、怖じ気づいた者がいたのだった。


 機織蜘蛛の粘液は体内で生産されるものだ、連射はできない。だからこそ、


(だからこそ、連携して効果的に使う必要があるというのに……ッ)


 と、マスタードは苛立った。


 機織蜘蛛のなかでも一回り大きな個体、ペドロがまだら模様の足を振り上げ、及び腰であった仲間の頭を掴みそのまま地面に叩きつけた。


 頭が腐ったトマトのように飛び散り、絶命した。生命力に溢れるミュータントの体はその後30分ほど痙攣けいれんし続けたようだ。


 もう1体を睨み付けると、8つの赤い瞳が怯えて揺れた。これで二度と連係を乱す者はでないだろう。


(まったく、頼もしい相棒だぜ。ミュータントになってもクズはクズだ。頼れる奴はやはり頼れる……)


 ペドロはミュータントに転生した。マスタードは人類を裏切った。後戻りなどできはしない。こうなったら、ミュータントとしての幸せを求めるしか道は無いのだ。


(わかってくれとは言わない、身勝手な要求だと理解もしている。それでも俺はお前らが欲しい。この残酷な世界で生き延びる為に……ッ!)


 ミュータントの世界にも食物連鎖がある、縄張り争いがある。力がなければ食い物にされるだけだ、物理的に。


 機織蜘蛛たちは先回りをするべく崖上を走る。


 もうすぐ谷を抜ける、そこが勝負どころだ。


 無間地獄を抜けて光が射す。逃すものかと亡者たちが23号へと一斉にむらがった。


 神なき荒野に展開される、圧倒的な鉄の暴力。


 4体の機織蜘蛛が瞬く間に撃ち殺された。生死を確認する必要もない。頭を潰され胴体を抉り取られ、微かに動く体は生命活動の証明ではなく、さっきまで生きていたという過去でしかない。


 血煙が収まり、砂ぼこりが去った後、漆黒の戦車のなんと堂々たるたたずまいか。


 平地に出られてしまった。


(終わった……)


 マスタードの体から一気に力が抜けた。何倍もの重力をかけられたような疲労感が襲ってきた。


 隘路あいろで数を活かして戦っても仕留めきれなかったのだ、行動の自由を与えた今、勝利のビジョンが少しも浮かばない。あれだけいた機織蜘蛛も残り4体だけになってしまった。


 緊張と興奮で忘れかけていた痛みがぶり返す。いっそこのまま出血で死んでしまえれば、そんな誘惑が脳裡のうりをよぎる。


 薄れ行く意識、狭まる視界のなかで、誰かの声が聞こえた気がした。


 ふと見ると、防弾ガラスにピンと張りつめた糸がくっついていた。


「これから、どうする……?」


 ペドロの声だ。ミュータントに変化して、がらがらとしわがれた声になったが間違いはない。


(どうするか、か。どうすればいいんだ……? 人間を裏切り、仲間の期待を裏切り、この広い世界のどこにも俺たちの居場所なんてないじゃないか……)


 戦いの前には歪んではいるが覚悟があった。今は親を見失った迷い子のように、不安にうち震えていた。


 死ぬのが怖いのではない。存在意義の全てを失ってしまったことが、何よりも恐ろしかった。


「マスタード、よく、聞け」


 ペドロの声が続けて聞こえる。暗闇の中に見える一点の光のように、マスタードはそこに意識を集中した。


「砲塔に、粘液がへばり付いている。旋回は、できない。左の、ガトリングにも、だ。撃てば、爆発する」


 23号は無敵ではない、確実にダメージは与えている。ゴーストではない、回避性能が高すぎるだけですり抜けているわけでもないのだ。


 だがここまで来るための犠牲はあまりにも大きすぎた。13体の機織蜘蛛、荒野を支配できると夢見たことさえあるくらいの大軍団が、今や残り4体を残すのみだ。


 ペドロの誘い、その真意はなんであろうか。


 一緒に勝とう、か。

 一緒に死のう、か。


(いいさ、どちらでも……)


 やるべきことが決まった。たとえ破滅に続く道でも、マスタードにとってそれは救いに他ならない。


 23号も待ってくれている。さっさと街に戻って修理をして、仲間を引き連れてくれば一番楽だろうに、彼らはそうしなかった。


 ここで決着を付けよう、そう言っているのだ。


 マスタードの全身を、わけのわからぬ熱い感情が貫いた。


「行くぞペドロ! 突撃だ!」


 岩影から飛び出す装甲車。機織蜘蛛たちもそれに続く。作戦など何もない、ただ愚直に突き進むだけだ。


 重機関銃を連射、乱射する。銃身が焼けつこうとも構わない。どうなってもこれが最後だ。


 銃弾は全て弾かれた。潰れた銃弾がぱらぱらと地に落ちる。機織蜘蛛たちの吐き出す粘液は避けられ、1体、また1体と撃たれ、討たれていく。


 装甲車に主砲が向けられた。音も影すらも置き去りにして榴弾りゅうだんが迫る。


(逃げるな、ここは正面で受ける……ッ!)


 装甲の一番硬い部分で受けた。それでもなお衝撃は凄まじく、装甲車はふわりと持ち上がり頭上から落ちた。


(装甲車に乗ったままひっくり返されるのが人生二度目とか、そんな奴あるかぁ……?)


 幸か不幸か、まだ生きているらしい。震える手でシートベルトを外し、なんとかい出た数秒後に装甲車は爆発、炎上した。


(そうだ、ペドロは?あいつはどうした!?)


 慌てて見回すと、上半身の左側が吹き飛ばされたペドロが、今まさに崩れ落ちるところであった。


 砂ぼこりを巻き上げて倒れるペドロ。どこにそんなに詰まっていたのかと思えるほど大量の血が流れ出す。


「ペドロ!」


 マスタードは生身で戦車に狙われているのだという恐怖も忘れ、血の池に飛び込みペドロに顔を寄せた。


「マス、タード……」


 ペドロの唇が弱々しく震えた。


「ごめんな。お前は、俺のために、人間を裏切った……」


「バカをいうな! 俺は、俺の好きなようなやっただけだ! お前が気にするようなことじゃない!」


 ペドロが呼吸をする度に、ヒュウと風が抜けるような音が聞こえる。命が目の前で消えていく、それがハッキリとわかった。


「俺たちは、いいパートナーだったよな……?」


「ああ、最高の友達フレンドだ……ッ!」


 マスタードの答えを聞くと、ペドロは微かな笑みを浮かべてそのまま動かなくなった。赤い瞳から光が消える。


「ペドロ……ッ」


 友の流した血にまみれて泣いていた。熱いと感じられる涙が止めどなくあふれ出て、頬を伝って落ちる。


 全てが終わった。もう、何も考えられない。


 ふと、影が落ちた。見上げるとそこには拳銃を構えたディアスがいた。逆光でどんな顔をしているのかよくわからない。


「どこか、見晴らしのいい場所はあるか?」


「何で……?」


「お前とペドロの首を落として、一緒に埋めてやる」


 マスタードはぽかんと口を開けていた。ディアスの言葉を理解するのにしばしの時を要したからだ。


 こいつはずっと自分を疑っていた。

 仲間を皆殺しにした。

 装甲車を破壊し、親友を殺した。

 それでいて最後にこんなことを言う。


(そうかそうか、つまりこいつはそういう奴なんだな……)


 ディアスをよく知る者たちは皆、彼について語るときは苦笑いを浮かべながら『いい奴なんだけどさぁ……』と言うと聞いた。その気持ちが理解できたような気がする。


 マスタードは笑っていった。


「どこでもいいよ。ああ、うん、できれば野犬に掘り返されたりしないように深く埋めて欲しいかな」


 ディアスは頷き、そして銃声が青空に吸い込まれた。

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