第155話

「ペドロは見つかったか?」


 ディアスの何気ない、当然といえば当然の質問。マスタードが答えるのに数秒間、空白の時間を要した。


「ん? いや、これから探すつもりだ。なんせ今までミュータントが暴れまわっていたわけだからな……」


「そうか。俺たちは戦車の整備をしているから探してくるといい」


「一緒に探してはくれないのか?」


「重ねていうが、それは俺たちの仕事じゃない。こっちはこっちで忙しい」


「わかった。だがあいつが吊るされていた場合、降ろすのは手伝ってくれないか?」


「まあ、それくらいはな」


 言葉の節々ふしぶしに不満がにじみ出てはいるのものの、結局は装甲車に乗って谷の奥へと進むマスタードであった。


 ディアスは装甲車が見えなくなるのを待ち、周囲に敵がいないことをよく確認してからようやく、工具を持って上部ハッチから身を乗り出した。


 オーブンに放り込まれたような殺人的な熱気。加えて砂ぼこりと死臭が全身にまとわりつく。


「ねえ、履帯りたいはどうするの? 交換?」


 ヘッドセットから伝わる、耳をくすぐるようなカーディルの声。それだけでディアスの不快感は大きく緩和された。


「交換したいところだが、いつ新たな敵が襲ってくるかわからんからな。バラしました、動きませんでした、では話にならない」


 いいながら、工具箱から電動研磨機ディスクグラインダーを取り出す。


干渉かんしょうしない程度まで粘着部分を削って、騙し騙し動かすしかないだろうな……。すまない、こんな中途半端な形になって」


「いいのよ。戦場で完璧を求めること自体がナンセンスだわ」


 笑いあってから、作業にはいる。


 20分ほどしてカーディルが暇をもて余したのか、それとも不安に耐えかねたのか、首をかしげながら聞いた。


「マスタードと、ペドロ………だっけ? あいつらって仲が悪いの?」


「俺もそんなに付き合いが長いわけじゃないが、よき相棒、よき友人といったふうに見えたな」


「それにしては熱意とかやる気が感じられないというか、こっちに面倒な仕事を押しつけたくてチラチラ見てくるような、そういう曖昧あいまいなところない?」


 確かに、とディアスは頷いた。マスタードの行動にはなにかと矛盾がある。


 ペドロのことをどうでもいいと思っているのであれば、そもそも丸子製作所へ助けを求める必要がない。新たに仲間を募るなり、装甲車を売って転職するなりすればいいだけの話だ。


 頭のなかでパズルのピースは揃ったが、上手く噛み合わない。


「仲間が大切。捜索に乗り気でない。両方とも事実であれば、ある条件が浮かび上がってくる」


「それは?」


「ペドロの居場所を既に知っている場合だ」


 そうであれば何故、ペドロを探したいなどと嘘をついたのかという疑問が残る。矛盾を解決すれば新たな矛盾がわき起こり、真実の輪郭りんかくはぼやけたままだ。


 ……いや、全てわかっていながら最悪の想像から目を背けているだけだろうか?


 思考の堂々巡りは他ならぬマスタードからの通信で途切れることになった。


「ああ、すまないディアス。ちょっとこっちに来てくれないか? なんというかその、妙なことになっているんだ」


「妙なこと? なんだそれは。ペドロは見つかったのか?」


「いや、まだ見つかっていない。だがそれと無関係ってわけじゃないんだ」


 通信機からため息が聞こえる。どう説明すればいいのか本当に迷っているようだ。


「糸で巻かれた人間、らしきものが無造作に転がっているんだ。顔出しが5体、全身巻かれた奴が5体ほど。顔出しはどいつもうつろな目をして、うめき声をあげて……。ああ、こんなところに1人でいたら気が狂いそうだ、早く来てくれ!」


 捕まった人間全てが壁にぶら下げられているというわけでもないようだ。それともこれから吊る予定で一時的に保管していただけだろうか。


 いずれにせよ、調査目的で来ている以上は見ないわけにはいかないだろう。


「わかった、すぐに行く」


 戦車に乗り込み、谷を奥へ奥へと進む。


 人間の根元的な嫌悪感をき立てる悪魔の厨房。まだ戦いが終わっていないという予感が確信へと変わる。


 装甲車を見つけ戦車を降りる。マスタードが指差した先に見える、無造作に積まれた白い塊。芋虫のようにうごめくそれが人間であると認識するのにしばしの時を要した。


 虚空こくうを見つめ、口を半開きにして何事かを呟き続ける哀れな犠牲者たち。


 ディアスはナイフを取り出して足元に転がる男の糸をまっすぐ縦に切り裂いた。どろり、と赤黒い液体が流れ出す。


「こいつは……ッ」


 それはどろどろに溶け合った肉であり、骨であり内臓であった。蜘蛛くもは拘束した獲物の身体に消化液を流し込み、溶けた肉をすすって食らうという。


 虫の世界のルールを人間に適用するだけでこうまで残酷にも悪趣味にもなるものか。自然の摂理、そんな言葉で彼らの無念を切り捨てることはできなかった。


 肉が、命が流れ落ち続ける。つかとどめるすべはなく、ただ黙って見ているしかできなかった。やがて男は蒼穹そうきゅうを見つめたまま事切れた。


 ディアスは指先で男のまぶたをそっと閉じてやった。そんなことしかできないという無力感を覚えながら。


 振り返ると、マスタードは目をそらしうつむいていた。


「探したんだ。崖にぶら下がっている奴も、そこに転がっている奴の顔も確かめた。だけどあいつはいなかったんだ……」


 ディアスは黙って言葉の続きを待った。周囲はやけに静かだ。風は止み、虫は去り、死の檻に入れられた囚人たちの意味不明な呻き声だけが微かに聞こえる。


「だから、あいつがいるとすれば頭も含めて包まれた方だと思うんだ。ディアス、ここにある分だけでもいいから切って確かめてくれないか?」


「何故、自分でやらない?」


「怖いんだよ! あいつが居なかったらじゃない。もしもこの中に居たとしたら、どんな姿になっているか……」


「わかった、俺がやろう。ここにある5体分だけでいいな? 居なければ諦めろ。ぶら下がっている奴まで全て確認するのは不可能だ」


「ごめん、情けないよな……」


「いいさ」


 ディアスは大きな繭状まゆじょうの塊を作業しやすい位置に引っ張り出してから、屈みこんでナイフを突き立てた。


 開かれた悪意の扉。そこには顔があった、体があった。だがそれを人間と呼べるのか、どうか。


 糸のように閉じられたまぶた、それが二つだけでなく顔中に散らばっている。人間の足は半ば溶けており、小さく折り畳まれた蜘蛛の足がいくつも生えている。


 疑う余地はない。これは人がミュータントへと変化する過程、そのためのまゆだ。


 あまりにも恐ろしく、おぞましい光景。戦慄せんりつに凍るディアスの背後で、マスタードが静かに拳銃を抜いた。


 全てはこの一撃のために。


 疑われていることは知っていたので、機織蜘蛛はたおりぐもを倒して自分が味方であることを強調した。


 衝撃的な光景を見せて注意をそこに向けさせた。


 進路妨害をして23号を破壊できれば一番楽だったのだが、さすがにそうもいかなかった。


 この位置ならばマスタードの背で隠され、銃を構えているところはカーディルからは見えないはずだ。


(殺す必要はない。いや、殺しちゃあまずいんだ。両肩を撃って戦闘能力を奪うくらいでないと……)


 崖に反射し、響き渡る銃声。


 吹き出す鮮血が荒野を濡らし、すぐに熱で固まる。


「なん、で……?」


 地に落ちる拳銃と、指三本。ディアスの振り向き様の射撃がマスタードの右手を撃ち抜いた。


 ディアスは立ちあがり、さらにマスタードの両足を貫いた。マスタードがその場に崩れ落ちる。あまりの苦痛と恐怖で喉が引きつり、マスタードは叫び声すらあげられなかった。


容赦ようしゃねえな、こいつ……ッ)


 覗けば引きずり込まれてしまいそうな、漆黒の殺意が宿る瞳が向けられる。つい先程まで仲間であったことなど、なんの保証にもならない。


「いくつか聞きたいことがある。何故、俺たちをこんなところに誘い込んで殺そうとした? お前とミュータントの関係は何だ?」


 マスタードは答えず、あざけるように笑った。その笑いが向けられたのはディアスか己自身か。質問に答えなかったことだけは事実だ。


 銃声。マスタードの左肩に焼けた鉄棒を突き刺したような痛みが走る。ディアスはマスタードが答えるまでいくらでも破壊し続けるつもりだろう。


「何か嘘をついていたことは知っていた。ただ……」


 目に見えそうなほど濃厚なディアスの殺気が、ほんの一瞬だけ薄れた。


「捕らわれた仲間を想う気持ちだけは疑いたくなかったな」


 悪鬼、銃神が見せた甘さ。その隙を突いてか、マスタードの体がふわりと浮かび上がった。その腰に糸が巻き付いていたのだ。


(撃つか。いや、まだ何も聞き出してはいないが……ッ)


 ディアスが迷ううちに、マスタードは弾かれたように崖上へと引き寄せられた。


 いつの間に現れたのか、そこには大量の機織蜘蛛がずらりと並んでいた。その数、12体。


 中央に位置するマスタードを引き寄せた機織蜘蛛、その顔には見覚えがあった。


「ペドロ、なのか……」


 顔には8個の赤い瞳が光り、下半身は蜘蛛の体となっているが間違いはない。丸子製作所の工場で、整備班と冗談をいいながら笑いあっていた、あの男だ。

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