第154話

 崖上へ向けて放たれた二条の閃光。23号砲塔の左右に配置された対空機銃だ。その射撃はコンマ数秒後には機織蜘蛛はたおりぐもを人と蜘蛛とが混ざり合った無残な肉片へと変えるはずだ。ディアス、カーディル、マスタードはその光景を幻視した。それほどまでに正確かつ、完璧なタイミングでの一撃であった。


 ふっ、と機織蜘蛛の姿が消えた。いや、落ちたのか。それさえも正しい表現ではない。機織蜘蛛は崖に対して垂直に立っていたのだ。

]

(そんな馬鹿な……)


 ディアスの思考にできた一瞬の空白。


 虫が壁をよじ登ることなどよくあることだろう。だがそれは吹けば飛ぶような小さな体だから出来る芸当であって、乗用車ほどのサイズを持つミュータントには不可能なはずだ。壁に引っかかりやすいよう足に毛が生えているから、などという小細工で済む話ではない。


(ミュータントが非常識な存在であることは今更だが、物理法則まで無視しなくてもいいだろうが……)


 ディアスの動揺はほんの一瞬。他人から見ればそれが動揺であるとは気づかぬほどの刹那せつなであった。すぐさま第二射を放つが、これも滑るようにかわされた。


 ワンテンポ遅れてマスタードの装甲車が重機関銃を放つが、これもただ虚しく岩壁を削ったのみだ。


 滑る、落ちる、登る。その不規則な動きを捉えねば勝機はない。ディアスは機銃掃射をけん制程度に留め、乱射することは避けた。これから先、何が起こるかわからない。無駄弾を撃つべきではないと。


 機織蜘蛛の首がぐるりと異様な角度にねじれた。顔はどこを向いているのかもわからないのに、八つの赤い目は確かに23号を見ている。あごが外れそうなほど大きく口を開き、白い塊が徹甲弾にも劣らぬ凄まじい速度で飛び出した。


 装甲を貫くような力があるとは思えない。相打ち覚悟で撃てば当たるかもしれない。


(なんとなく嫌な予感がする……)


 カーディルは回避を優先した。勝つことよりも生き延びること、それは二人の取り決めでもある。


 二つの誤算があった。ここは平地ではなく谷底だ。左右は岩壁に挟まれ接地面は石、穴、傾斜だらけだ。動きにくいとはわかっていたがいざという瞬間の、こう動かそうという感覚と実際の戦車の動きの鈍さ、その剥離はくりがあまりにも大きすぎた。


 もう一つは装甲車の位置だ。つかず離れずの後方に居たはずだが、いつの間にかにじり寄っていた。普通に動く分には問題ない。だが大きく旋回するとなると邪魔になる、そんな絶妙に鬱陶うっとうしい位置だ。援護射撃のために前に出た、そう言われてしまえば納得せざるを得ないポジション。


 カーディルはぶつけるつもりで旋回した。装甲車は1ミリたりとも動いていないが、ぶつかりはしなかった。本当にただプレッシャーを与えるだけの、心理的嫌がらせのような立ち位置。


 故意か、事故か。マスタードの真意はわからない。ただこのとき生まれた迷いと不信感は重大な結果をもたらした。


 完全にはかわしきれず、機織蜘蛛の吐き出した粘液は23号の右側履帯に張り付いた。強力な接着剤を流し込んだかのように履帯と地面とが接合される。


(この……ッ)


 強引に動くと地面が抉れた。砂岩は履帯に巻き込まれ、砕かれるが完全に剥がれたわけではない。異物を抱えたまま動き続ければすぐに壊れる。戦車と一体化したカーディルはその感覚をはっきりと知覚した。


 23号、精神接続式洗車の強みは操者が自分の体と変わらぬほどの一体感、そこからくる軽快な動きにある。その強みが今、潰された。足回りのご機嫌を取りながら走るような欠陥品に成り下がったのだ。


(このガキ、ぶっ殺してやろうか……)


 血の気の多いカーディルの殺意がマスタードへ向けられるが、そちらにばかりかまっている余裕はない。裏切っているかもしれない味方よりも、明確な殺意を向けている敵だ。


 機織蜘蛛の口から再度、粘液が放たれる。右の履帯にはなるべく負担をかけぬよう、左の履帯を駆使した動きでこれを避ける。回避と同時、流れるようにディアスが対空機銃を放つがこれも避けられ、敵は崖上へと消えた。


 次はいつ、どこから襲ってくるのか。カーディルが緊張で渇いた喉に唾を流し込む。ずっと黙っていたディアスがぼそりと呟いた。


「見えたぞ……」


「え?」


「岩壁に薄く、本当に薄くだが糸が張り巡らされている。奴はそれを八本足で掴み、滑ったり登ったりしていたんだ」


 カーディルは外部カメラをつい先ほどまで機織蜘蛛が居た位置に向けた。拡大、拡大、さらにズーム。画像がぼやける寸前、ようやく見えた水晶のような光を持つ幾何学模様。


「あなたこれ、見えたの?」


 カーディルが感心半分、呆れ半分といったふうにいうと、


「はっきりと見えたわけじゃない。太陽光線の具合か、妙な光り方をしているなと」


 ディアスは淡々と答えた。


 動きに規則性があるならばどれだけ速かろうとも捉えられる。壁を滑るような三次元の動きにも対応できる。


 カーディルは周辺のデータを洗い出し、次々とモニターに映し出す。ディアスは流れる情報を目で追いながら、敵がこう動いたらここに撃つといったパターンをいくつも脳内で組み上げていた。


 狙撃銃を構えて獲物を待つような緊張感。奇妙な話ではあるが二人は微かな高揚感も覚えていた。まるで狙撃手スナイパー観測手スポッター。二人一組でただ一撃に賭ける。一緒の戦車に乗って戦うよりもさらに一体感が感じられた。次で仕留められる。根拠などないが、確信に近い。


 機織蜘蛛が現れた。口を大きく開き、既に粘液の発射体勢である。もう片方の履帯を止められれば身動きがとれなくなる。主砲やガトリングガン等の火器に当たればそれらも封じられるだろう。考えるほどに厄介な相手だ。


 紙一重でディアスの射撃が先手を取った。崖上に向けて放たれる対空機銃。斜め下へと流れる機織蜘蛛。速い、だがその軌道は予測済みだ。


(降りてきてくれるのならば好都合……ッ)


 機織蜘蛛の進路を塞ぐように撃ち込まれるガトリングガン。対空機銃よりも射角は低いが、今回は向こうから射程内に飛び込んだ形だ。蜘蛛の足、左側の3本がはじけ飛んだ。


 耳をつんざくような絶叫。吐き出しかけた粘液が胸元にぼたぼたと落ちて固まった。怒りに燃える真紅の瞳が23号へ向けられるが、燃え尽きる前のロウソクのようなものだ。恐怖も重圧も感じない。ただの哀れな死に損ないだ。


 左に残った足1本は役に立たない。右足4本でなんとかぶら下がっているが、崖上へ登ることは不可能のようだ。


 とどめの一撃、慎重に狙いを付けるが発射するよりも速く機織蜘蛛の腹に大穴が開けられた。人の上半身と、蜘蛛の体とが分離され大地へ叩きつけられる。


 しばしの沈黙。意識が後方へと向けられる。


「出しゃばったようですまない。俺が、やらなければならないことだと思ってな……」


 撃ったのはマスタードだ。


 人を見る目に自信があるわけではないディアスだが、マスタードの言葉にはある種の真摯しんしさを感じた。


 わからない。この男の真意がわからない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る