第153話
マルコが
もしも彼女が蜘蛛型ミュータントと戦うことを嫌がったら、この仕事はアイザックかノーマンに回してしまおうかと少々無責任なことを考えていたが、それはまったくの
家に帰りカーディルに報告をすると、彼女は子猫に語りかけるような優しい顔でいった。
「ぶっ殺そう」
連れ去られ、生きたまま手足を食われた恐怖は1日たりとも忘れたことはない。彼女にとってミュータント討伐とはそうした恐怖を塗り潰す儀式でもあった。戦いから離れすぎると、じわじわと心が闇に侵食されていくのだ。
23号の完成を待ち、ディアスと共に平和に過ごす日々は何よりも貴重であったが、夜に眠れなくなったり幻覚が見えたりと心の
適度な
場合によっては調査のみで帰ろうかとも考えていたが、こうなっては戦わずには済まないだろう。
装甲車が先導し、23号が後を追う。そうした形で走り続け、既に三時間が経過していた。朝早く出発したつもりであったが、日は真上で輝いている。
(日が落ちる前に帰るためには、戦闘自体は一時間か二時間以内に収めたいものだな……)
戦いに制限を設けるようなことはしたくないが、と考えるディアスであった。思考を中断するようにマスタードから通信が入る。
「なあ、今からでも丸子製作所のトラックを呼ぶことはできないか? ミュータントに捕まっているハンターたちを助けて運ぶには、どうしたってデカイ箱は必要だと思うんだが……」
「駄目だ」
会話にすらならない、拒絶。
「まず第一に、ここからでは無線は届かん。第二に、安全を確保していない場所に非戦闘員を連れ出す訳にはいかない」
「……人の命がかかっているんだぞ?」
「ならば自分で人を雇えばいい」
「それが出来りゃあ苦労はしねえよ」
「誰だって、そう考えながら生きているものだ。お前はペドロを助手席に乗せて帰ることだけを考えろ」
これで話は終わりだとばかりにディアスは黙りこんでしまった。通信機を通してでもプレッシャーが伝わってくる。
正直なところ、マスタードはディアスに対して失望していた。勝手な期待だとわかってはいるが、彼には熱い心を持った正義漢であって欲しかった。人を助けるためなら身の危険を
だが実際に行動を共にしてみれば、自分たちの命が第一で丸子製作所の職員たちが第二、他は余裕があれば助けてやろうという順序を崩さぬ男であった。
今ならばわかる。マスタードたちを助けたのも本当にもののついでであったのだろう。その後の対応を見る限り、情の無い男ではない。首を傾げたくなるほどの公正さもある。だが他人から求められ願われるハンター像にはほど遠い。
数々の偉業を成し遂げたトップハンターなのだから大勢のディアス教ディアス信者がいてもいいものだが、丸子製作所内で彼のことを聞くと誰も彼もが、
『いい奴なんだけどさぁ……』
と、苦笑いを浮かべる。その理由もわかるような気がしてきた。
(俺も丸子製作所に出入りして仲間として認められれば、そんな顔をするようになったのかねぇ……?)
マスタードの顔に自虐的な笑みが浮かぶ。そんな未来はあり得ない。自ら手放したのだ。
「マルコ博士は新型を機織蜘蛛と名付けたが、おかしな名前だと思わないか? 確かに蜘蛛は糸を吐くし網を張るけど、それを編んで服を作ろうとかそういうのじゃねえだろう? ちょいと大袈裟というか、なぁ」
沈黙が居心地悪くなり、マスタードは新たな話題を振った。ディアスと気まずい会話をしてしまったので、また改めてコミュニケーションを取ることでそうした雰囲気を
返ってきたのはカーディルの場違いなほど明るい声であった。
「あ、それね。多分神話が元ネタだと思うのよ」
「神話?」
ディアスも会話に参加した。こいつカーディルと話すときだけ声が1オクターブ高くなるなと、マスタードは妙な嫉妬心を起こし、すぐに馬鹿な考えだと引っ込めた。
「神様と
「負けたのではなく怒りを買ったのか。何をやらかしたんだ?」
「お前の親父の浮気現場をタペストリーにしてやったぜ、って……」
「そりゃ怒られるな」
そう言って三人で笑い合った。声と雰囲気で笑っていることだけは伝わるのだが、あの鉄面皮野郎がどんな顔をしているのか気になるところだ。
このまま目的地に着かず、走り続けていられればどんなにいいか。無意味な行為と知りつつ、マスタードは目を伏せた。そこへ案内しようとしているのは他ならぬ己なのだ。
顔を上げると地形に変化が現れた。前方に深い谷が見える。旧世紀には豊かな水が流れていたのだろうが、今は水が削った跡だけが残る死臭漂うミュータントの巣だ。
戦車が通れないわけでは無いが、幅は狭く不整地である。走行速度は半分以下になると考えるべきだろう。
23号は慎重に、ゆっくりと谷へ入り込んだ。
左右に広がる岩の断面に、ところどころ網が張られているのが見えた。写真で見た、首から下は糸で繭のように巻かれたハンターが何十人とぶら下がっている。頭も含めて全身が巻かれた者もいるようだが、これは写真にはなかったはずだ。
23号が静かに停止した。
「……どうした?」
後方に回ったマスタードが緊張を含んだ声で聞いた。ディアスは答えず、カメラをズームして崖の上に立つ異形の姿を捉えた。
下半身は巨大な蜘蛛。上半身は女の裸体。赤黒く光る八つの瞳がディアスたちを睨み返す。この惨劇の谷の主、機織蜘蛛である。
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